05

 穂純千歳は、警察に自身の経歴を調べられることに怯えている。
 それが本当に無戸籍者であるがゆえの怯えなのか、それとも何か別の理由があってのことなのかはわからないが、警察に対して何か悪い感情があるわけではなく、ただ踏み込まないでほしいと願っているだけなのだろう。
 彼女が"安全"なのかを判断するためにも、調べることは避けられないが。
 暗号の法則は、単純ではないが比較的わかりやすかった。彼女が測っているのは、こちらがどれだけ手間をかけることを許容するかだ。

「……彼女に関しては保留?」
「えぇ。適度に探りは入れますが、嫌がられて協力を得られない方が厄介です」
「確かにね。……終わるかなぁ、これ」
「終わるとは思いますよ。どれもインターネット上で辞書が見られる言語のようですし」
「頑張る……」

 わかる範囲で訳し、藤波の手伝いもして、すべての単語を訳し終わったのは夕方だった。
 連絡を寄越した風見によると、穂純千歳は家から出る様子が見られないらしい。おそらく、徹夜で暗号を作ってそのまま届けに来て、帰って寝ている。

「藤波、頭文字だけ取り出して横書きにできるか?」
「できますよ。あぁ、もしかしてこの鶏の嘴ですか?」
「おそらくな」

 出力された文字と鶏の絵を見比べながら、不要な文字を消していく。浮かび上がったのは英文で、ところどころ翻訳のミスは見受けられたが、それも調べ直せば正しい言葉に行き着いた。
 内容は、"明日の夜八時から深夜零時までの間に、風見に接触させたバーで、彼女の馴染みのバーテンダーに風見と初めて会った時に彼女が頼んでいたカクテルとケーキを注文しろ"というものだった。
 確かあの時、彼女はカルーア・ベリーとガトーショコラ、そしてティフィン・ミルクとナッツの盛り合わせを注文していた。ケーキとセットにして考えるのなら、前者が正解だろう。

「あとは誰が行くかだが……、藤波」
「僕はパス。ああいう気の強そうな女性はニガテです」
「白河さんは?」

 水を向けると、白河さんは穂純千歳に関する調査資料を眺めながらぼやくように答えた。

「降谷君が適任だと思うよ。"公安警察の降谷零"として行けば、効果は抜群。誠実に対応していけば、気を許してくれるんじゃないかな」

 全く同感だった。
 事業を始めるにあたってきちんと届出をしていること、風見との話の合間にわからないことを調べていたこと、そして藤波の調査でわかった日頃の仕事ぶりからは、真面目な性格であることが窺える。
 そして、警察を相手にしても自分にとって不利な状況を歓迎しない強かさも持ち合わせている。
 対等に、誠実に。この姿勢を徹底すれば、少なくとも邪険にされることはないはずだ。フェイクだとしても、彼女の経歴に関しては興味以上のものはないという態度で臨まなければならない。その加減は、確かに俺の方が得意だろう。

「僕が行きます」
「よろしく。私はこれでカバーの職務に戻るから」
「えぇ、お疲れ様です」

 彼女が待っているのは、明日の夜八時以降。一人で解いていれば翻訳に時間がかかって間に合うかどうか、という具合だっただろう。手分けできるだけの人員が確保できたことは幸運だった。
 少しでも仕事をしておこうと定時まで書類を捌き、一晩休んだ。
 日中は探偵としての仕事をし、夕食をとってから本庁へ出向くときに着ているグレースーツに着替えた。
 人目につかないように送迎してくれるという藤波の言葉に甘え、車でバーまで送らせた。探偵の仕事を終え、本庁で打ち合わせをしていたら彼女を一時間も待たせる結果になってしまった。とはいえ、本人は複数の人間で手分けして作業をするほど重要視されていないと考えている様子だった。このぐらいの時間が丁度良いはずだ。
 ネクタイを締め直し、"帰りにまた連絡を入れる"と伝え車から降りる。店内に入り、まっすぐにカウンターの内側にいる彼女の馴染みのバーテンダーの元へ向かった。

「カルーア・ベリーとガトーショコラを、穂純千歳さんに」

 声をかけると、まだ若いだろうバーテンダーは作業をしていた手を止めて、にこりと笑んだ。個室の並ぶ二階に続く階段に視線を向けたことからも、正解だと確信が持てる。

「かしこまりました。ただいまご用意いたしますので、お待ちください」

 手早く注文した物が準備される。ついでにバーボンをボトルで頼んだ。

「こちらへどうぞ」

 彼女から指定された物、そしてバーボンのボトルとショットグラスが載ったトレイを持って階段を登っていくバーテンダーの背を追う。
 ある部屋の前で足を止め、こちらを見るバーテンダーに向けて手を差し出した。

「案内はここまでで結構です。ありがとうございます」
「では、何かありましたらお呼びください。穂純様にもそうお伝え願えますか」
「えぇ」

 トレイを受け取って立ち去る店員の背を見送ってから、扉をノックして開ける。
 個室には、酒が備えつけられたカウンター席と、ローテーブルと上質なソファという落ち着ける席が用意してあった。本来ならカウンターの中にバーテンダーがいて面倒を見てくれるのだろうが、生憎と話を聞かれたくない状況だった。密談に使う人間もいるというから、バーテンダーもあっさりと引き下がってくれるのだろう。
 待ち合わせの相手はカウンター席で待っていた。臙脂色のシックなワンピースを着て黒のクラシックボレロを羽織り、足元は黒のパール入りのパンプスでまとめている。緩やかにウェーブする長い髪は、彼女の自由人な雰囲気を強調する。
 椅子を回してこちらに向き直った穂純千歳は、俺の顔を見て目をぱちくりとさせた。
 警察官だと聞いていた人間がこんな風貌では、驚くのも無理はない。
 風見の尾行に気がついていたことには驚いたが、それでも彼女は一般人だった。しかし、この通訳者が情報提供者として理想的であることは確かだ。
 やはり今はバーボンでも安室透でもなく、警察官として協力を仰ぐべきだ。扉を後ろ手に閉めて、鍵をかけた。

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