02
昨夜動きがあったと連絡を受け、都合をつけて本庁に出向いた。
風見がバーで一つ空けた席に座ったところ、タイミング良く穂純千歳のスマホにクラウセヴィッツ氏からの連絡が入ったらしい。
密かに身に着けていた小型のカメラが記録した映像を藤波と確認した。
初めは怪しまれないように対象の方へ体を向けることもなく、音声だけがわかる状態になっていた。
その時既に頼んであったらしい物を飲み終えたのか、カルーア・ベリーとガトーショコラを注文した。
『やっぱり甘いものが食べたいときはここに来るに限るわね』
待ち時間は暇なのだろう彼女は、親しいらしいバーテンダーに話しかける。
『それは何よりです。穂純さんはご自宅ではお酒はあまり?』
『炭酸苦手なの。一杯とか二杯分で、そのまま飲めるのが手軽にあればいいんだけど』
『あぁ、確かにスーパーなんかにある缶のカクテルは大抵炭酸入りですよね。かといってカクテル用のリキュールをボトルで買っても残してしまったり』
『そうなのよね。それに、バーテンダーさんに相談した方が外れないもの。弱めにって言えばそうしてくれるし』
『美味しく飲んでいただくのが一番ですから。今度から炭酸が入るものは事前にお教えしますね』
『本当? ありがとう』
穏やかな会話からは、親しい店員と客の間柄だということしかわからない。
出てきたカルーア・ベリーをリキュールとミルクが均等になるように混ぜてもらい、弾んだ声でガトーショコラも楽しんでいるところは素直に微笑ましいと感じる。
突然、落ち着いたジャズミュージックに溶け込むような抑えた声で、"エド"と呼ぶ声が聞こえた。
藤波に視線をやると、同時通訳をしてくれる。
「"そちらだと昼間ですよね、お気遣いありがとう"。……"トラウトが?"」
トラウトの名前だけは、はっきりと聞き取れた。
藤波と顔を見合わせ、続きを訳してもらう。
「"前回もだけど、どうやって嗅ぎつけてくるのか。それで?"……"なるほど。トラウトもいい加減諦めたらいいのに。それだけ貴方の持っているルートが魅力的なんでしょうが"」
電話の相手の言葉を聞いてのことなのか、軽やかな笑い声が聞こえた。
「"正解。自分は大丈夫、自分の選択の責任は自分で取るから"。……"なるほど。それなら、エドに任せます。ヘレナはどうするんですか?"……"ですよね。承知しました"」
通話はそれで終わり、穂純千歳はティフィン・ミルクとナッツを頼んだ。先ほどからの注文の傾向を見るに、ミルクの入ったカクテルを好んでいるらしい。
ようやく映像にも動きがあり、バースツールに座る穂純千歳の姿が映る。
『失礼、先ほどのお電話口で"エド"、"トラウト"という名前が聞こえましたが。――それについて伺ってもよろしいですか』
ぴくりと細い肩が跳ねた。
驚いた様子で風見を見上げているらしく、バーで方便もわからない男に話しかけられたときのような、警戒の混じる少しばかり幼い表情をしていた。
視線が左上に滑る。多くの人間は過去の記憶を思い出そうとするときにそちらに視線を向ける、が。
『あぁ、この四日間わたしに張りついてたのね』
ぽつりと落とされた言葉に、カメラの映像が不自然にぶれた。
『……気づかれていましたか』
『いえ、いま気づいたわ。そういえば似たような顔の男性を見かけることが多かったって』
気づかれたら駄目だろう。米神を揉むと、藤波は苦笑した。
穂純千歳は、グラスを撫でながら何か考え、はっとした様子で隣のスツールを示して風見を座らせた。バーテンダーの視線を感じたのだろう。どう見てもナンパではないが、常連客が不審者に絡まれているという状況ではある。助けに入るか困った様子だったのかもしれない。
首を横に振って微笑みかけ、カクテルにも口をつける。リラックスできる状況なのだと察してもらえたようで、バーテンダーが離れていく足音が聞こえた。
『それで? さっきの電話の何が気になったのだったかしら』
頬杖をついて横目で風見の方を見る彼女に、あまり良い印象は抱いてもらえていないようだと察する。当然だ。
『"エド"、"トラウト"、二つの人名と思しき単語です。"ヘレナ"という単語も聞き取れましたが……。それは、エドガー・クラウセヴィッツとオットマー・トラウト、そしてエドガー・クラウセヴィッツの配偶者であるヘレナ・クラウセヴィッツという人物のことではありませんか?』
あくまで協力を仰ぎたい人物相手に、風見は丁寧に応じる。
穂純千歳は少し考えて、口を開いた。
『……もう隠せることでもないから、それは正解だと返しておくわ。その人物が何か?』
カメラの方に向けられる胡乱な視線に、トラウトと同類だと疑われているのだとわかる。
『個室でお話できませんか』
『……別にいいわよ。空いてる?』
風見の少し慌てた声にも、彼女はやはり少しの思考を挟みつつ冷静に答えた。
成り行きを見守っていた近くのバーテンダーに声をかけて、部屋を確保しようとまでしてくれている。
『え、えぇ。ですが、よろしいので?』
『わたしの仕事に関係する話でもあるから、ここだとしにくいのよ。聞きたいことがあるだけみたいだし、大丈夫。これも運んでくれる?』
『かしこまりました』
戸惑うバーテンダーに頼んだ物を運ばせ、個室に通してもらう。
風見は部屋のチェックをして、防犯カメラすらないことに気がついたようだ。
『カメラの類はないんですね』
『あなたみたいな人も多いから』
明らかに嫌味が込められている。風見は咳ばらいをして、部屋の奥側にあるソファを勧めた。
そして素直に腰を落ち着け、ティフィン・ミルクに口をつける彼女の挙動を見守っている。
グラスを置いたタイミングで、風見が口火を切った。
『さて、長々と自己紹介もないまま失礼しました。私はこういう者なのですが』
風見が携行用の紐で繋がれた警察手帳を出すと、彼女は静かに手を伸ばしてきた。
警察官に扮した詐欺師もいる、彼女が一般人なら、警戒心は持ってもらうに越したことはない。
風見も彼女の好きにさせて、警察手帳をじっくりと確認させた。
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