01
一日目の夜、風見が彼女が着替えて外に出たと電話で連絡をしてきた。この時間に出かけるのなら、おそらくはバーにでも行くのだろうとも。
白河さんと示し合わせ、風見に尾行させて連絡を受けながら米花町に向かい、姿を見つけた穂純千歳の後を追ってバーに入った。シックなワンピースの上にボレロを羽織り、エナメルのピンヒールパンプスを履いている。
カウンター席に座った彼女が見えるテーブル席に座ると、白河さんが腕を組んでくる。
頼んだ酒を待ちながら、バーテンダーとかわされる会話に耳を傾けた。
「今日のおすすめは?」
「抹茶ミルクはいかがですか? 今日は抹茶スイーツもございますよ」
「抹茶尽くし。いいわね、スイーツは何があるの?」
「チョコレートもケーキもございます。ミルク系はお腹に溜まりますし、チョコレートにされますか?」
「えぇ、そうしてちょうだい」
機嫌よくバーテンダーと会話し、甘い物に声を弾ませる様子からは普通の女性だということしか感じられない。
出されたカクテルやチョコレートについて話をしながら、適度な速さでグラスの中身を減らしていく。
「安室君、そのうち彼女にナンパ男が近寄るよ」
白河さんからの囁き声に頷きを返し、運ばれてきた酒に口をつけた。
予告通り、カウンター席の少し離れた場所で一人で飲んでいた男が、席を立って穂純千歳に近づいた。
「お姉さん、一人? 良かったら俺と一緒に飲まない?」
「ごめんなさい、人と待ち合わせてるの」
彼女はにっこりと笑い、男の誘いをすげなく断った。
バーテンダーと会話を弾ませながら一人で飲んでいる様子からして、嘘だろう。あの男も彼女が入店したときからいたようだから、ちっとも待ち合わせの相手が来ないからと声をかけたに違いない。
彼女の格好は、デートか、ともすればナンパ待ちだと捉えられる可能性が高いものだった。
「きっぱり。男漁りに来てるんじゃないのかもね」
「えぇ」
あの格好は、おそらくバーの雰囲気に合わせて選んだだけのものだ。
彼女は一杯だけ飲んでチェックし、カードで支払って店を出て行った。
バーで接触した他者は、バーテンダーと偶々居合わせた客の男のみ。不自然な点はなかった。
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一日空けた三日目、夜にまた出かけたという情報が入ったので、店を探らせてそちらへ向かった。一昨日とは違う店を選んだところからすると、あちこち行ってみるのが趣味なのかもしれない。今夜の店は、壁面がガラス張りで夜景が一望できるようになっている、とあるホテルの最上階のバーだった。
そこでも彼女はナンパに遭い、人との待ち合わせだと言ってすげなく断っていた。
長居する気らしくロングカクテルとケーキを注文していたし、バーテンダーとの会話は相変わらず弾んでいる。何軒か馴染みの店があって、バーテンダーとも仲良くなっているのだろう。
ロングカクテルが残り少なくなった頃、先ほど彼女を誘っていた男がまた近づいた。
「なぁ、待ち合わせってのは嘘だろ? 待ち合わせ相手なんてちっとも来ないじゃないか」
「……っ」
彼女は目を僅かに泳がせて、唇を薄く開閉した。
「ありゃ、困ってる?」
「……恩を売るべきか迷うところですが」
「安室君がいるんじゃまずいでしょ。警察として接触したいんだから」
隙のない女性だと感じていたが、流石に方便を使って断ったことを察してもらえないとは予想していなかったらしく、動揺――というよりは、微かに怯えを見せていた。
「こちらのお客様は待ち合わせの前にゆっくり一杯飲まれるんですよ。アルコールが入ると少し緊張が和らぎますからね」
バーテンダーが助け舟を出し、彼女は明らかにほっとした様子を見せていた。
あのバーテンダーは彼女が来店してからやけに近くで仕事をしていると思ったが、目をつけられやすい彼女を慮ってのことなのかもしれない。
男は店員に意識を向けられているのだと理解すると、バツが悪そうに自分が座っていた席に戻っていった。
「……本当にお酒とお菓子が好きなだけなのかもね」
「そのようで」
バーテンダーとの会話に勤しみ始めた対象を観察し、タクシーに乗り込むところまでを確認した。
ホテルから出ると見覚えのあるジュークが停まっていて、近づくと助手席の窓が開いた。
「お疲れ様です。乗ります?」
「あぁ」
藤波のからっとした声に頷き、車に乗り込んだ。
白河さんはぐっと伸びをして、凝った肩をほぐす。
「さぁて、どうしよっか。"安室君"なら行けるんじゃない?」
「……五分五分かと」
「"ナンパはすべてお断り"って感じだったもんねぇ」
「同性の"黒川さん"の方が警戒心を解きやすいのでは?」
「あとは女慣れしてない感に溢れてる藤波君もいいと思う」
「え!? 僕は嫌ですよ、若い女性の協力者なんてただでさえ面倒なのに」
「そんなに敬遠してどうするのさ」
藤波は"嫌です無理です"とぼやきながら、タブレット端末を弄った。
必要になれば潜入でもなんでも器用にこなすくせに、妙に協力者を選ぶところがある。余程の女嫌いなのかと踏んで、特に触れずにおいた。
「あぁ、風見さんからメールきましたよ。どうぞ」
手渡された端末を、白河さんと一緒に覗き込む。
一日目、穂純千歳はタクシーで杯戸駅の近くにある大型書店に行き、ノルウェーの文化について書かれた本を買った。その後、奥まった場所にある喫茶店に入り昼食を摂った後、紅茶を飲みながらスマホのバイブアラームを設定して買った本を読み続け、家に帰っていった。藤波の調査でメールにノルウェーの文化に関して調べる必要がありそうな仕事の受注のやりとりがあった事実は確認できた。
二日目の報告には、対象は昼過ぎにマンションを出てファミレスに向かった、とあった。そこでクライアントと商談の通訳をする際の打ち合わせをし、その後少しお茶を飲みながら世間話をして帰宅したらしい。
その日は夜に出かけることもなかった。
三日目は、ドレスのレンタルショップに向かった。風見は公安部の女性刑事に協力を依頼して張り込んだようだ。彼女は臙脂色のドレスを選び、試着をして気に入ったのか予約をした。その後、ヘアサロンに行って受付で十五分ほど話をし、特に何も受けずに店を出た。一日かけて、のんびりと一週間後のパーティーの準備をしていただけだった。
「なんていうか……普通に仕事してるね?」
まったくその通りだ。
自宅で何をしているかはわからないが、少なくとも外に出たときはゆったりと仕事をしている。
プライベートで隙が見られないのなら――。
「風見に行かせるか……」
「その方がいいかも。って言っても自宅に突撃するのは無理があるでしょ?」
「……となれば、彼女の行きつけのバーだな。張り込んでクラウセヴィッツ氏から電話が来ることを期待するしかないが」
「だね。じゃ、こっちで風見君に指示出しとくから、降谷君は一旦離脱しな。藤波君は……」
「明日の昼から出張です。ドイツ語ならわかるんで、風見さんに録音だけするよう頼んでおいてもらえますか?」
「伝えとく」
安室透の自宅近くまで送らせて、白河さんからの連絡が来るまで探偵業に勤しんだ。
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