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ジンに仕事の報告をしに行って、すぐに"タイミングを間違えた"と察した。
機嫌が悪い。灰皿に煙草の吸い殻の山を作り、何度も舌打ちをしている。
諦めてウォッカに報告をし、"何かあったんですか"と小さな声で尋ねた。
ウォッカは困った様子で、"それが……"と切り出す。どうやら誰かに聞いて欲しかったらしい。
「オットマー・トラウトとかいう武器商人が、アニキに何度もコンタクトを取ってきてるんだよ。向こうは日本にいるらしくて、近々良いルートが手に入るとか言って。……ですよね、アニキ」
ウォッカの確認に、ジンは舌打ちで返事をした。
小声で訊いた意味がなくなった。
それはさておき、頭の中に入れている部下からの報告に考えを巡らせる。
「オットマー・トラウト……ですか。インターポールの指名手配犯でもありましたね。ですが止めておいた方がいいと思いますよ。たしか派手好きな面がありますから」
「だろうな。……バーボン、事情に詳しいならテメェが処理しろ」
ジンからの厄介な命令に、ぴくりと自分の眉が跳ねたのがわかった。
だが面倒事の処理を引き受けて、ついでにトラウトを逮捕できれば御の字だろう。
これ見よがしに溜め息をつき、"仕方ないですねぇ"と了承の返事をした。
「ただし、条件があります。個人的に雇った人間を使って動きますから、手出しは無用です」
「……理由は」
「派手好きなトラウトのことです、大勢で接触してこの組織のことが明るみに出ても困るのでは?」
ジンは三秒考え、大きな舌打ちをした。
「抜かるんじゃねぇぞ」
「わかってますよ。では」
踵を返し、ヤニ臭い部屋を出た。バーボンを疑っているジンとの接触にはより神経を尖らせなければならない。細く息を吐き、吸い込んだヤニ臭さを空気に溶け込ませた。
街中まで歩いて公衆電話を探し、風見に電話をかける。
『はい』
「風見か? 僕だ。オットマー・トラウトを組織には内密に逮捕する。情報を探ってくれ」
『了解』
端的に指示を伝え、通話を終えた。
********************
探偵業に組織の任務にと動いていると、二日と立たずに風見から連絡が来た。
凡その時間と場所を示し合わせ、混み合ったバーのカウンター席で風見が置いていったUSBメモリを攫う。
家に帰って中身を確認すると、日本で伝統工芸の職人や国内のみの商品販売を行っている企業の重役との親交を築くためにエドガー・クラウセヴィッツという人物が開くパーティーで何か事を起こすのではないかという情報が入っていた。
並ぶデータに目を通すと、クラウセヴィッツ氏の協力を取りつけられればトラウトも追いやすいということ、そのクラウセヴィッツ氏への接触の足掛かりとして穂純千歳という通訳者の女性が挙がっていることもわかった。
これは一度打ち合わせをした方が良さそうだ。藤波に明日本庁に行く旨を連絡し、パソコンを閉じた。
久しぶりに数時間眠り、冴えた頭で本庁に向かった。
風見が会議室を手配し、白河さんと藤波の時間の都合もつけていた。
席について机に置かれている資料を手に取り、目を通す。
「まず、降谷さんにも送ったデータの確認ですが……オットマー・トラウトはエドガー・クラウセヴィッツという人物が日本で開くパーティーに目をつけているようです。エドガー・クラウセヴィッツ氏は近頃日本に輸送ルートを開拓したドイツの海運会社のトップに立つ人物です」
「なるほど、ジン相手に言っていた"近々良いルートが手に入る"というのはそういうことか」
クラウセヴィッツ氏を脅迫し、彼の会社の持つルートに食い込もうという算段か。
「トラウトに付き纏われることを快く思っていないという情報もあります。協力を取りつけることは容易いかと」
「だがいきなり接触できるような人物ではないんだな? そこで出てきたのが――」
「はい、穂純千歳という女性です」
資料を捲ると、風見が協力者候補として挙げた女性の情報が載っていた。
「協力者として不足は?」
「ない、とは言い切れないのが現状です」
穂純千歳、二十四歳。通訳・翻訳を業として行う個人事業主。運転免許を持ち、セキュリティの充実したマンションに住む、生活に少しだけ贅沢さが窺える女性。親しいクライアントはクラウセヴィッツ氏、宇都宮貴彦氏で、その伝手で紹介を受けた仕事しか受け付けていない。客が客だ、機密性の高い情報も取り扱い、信用を得てブランド化されて高額な報酬でもやっていけているのだろう。リピーターも多く、人となりにも仕事にも問題はなさそうだと見受けられる。
警視庁に残っていたという調書にも、以前オットマー・トラウトとオットマー・フランツが起こした事件への対処に協力し、宇都宮氏の娘である光莉という少女を助け出したと記載されていたらしい。
「犯罪に手を染める理由を持っていない、事件解決に協力する善性もある。それでも問題があったのか」
「えぇ、頁を捲っていただければおわかりになるかと」
言われるがまま捲ると、穂純千歳の経歴が載っていた。
「……何だこれは」
――いや、"経歴"という項目があるだけで、その実経歴なんてものは書かれていなかった。学歴、職歴なし。それどころか、戸籍情報も四ヶ月前に家庭裁判所の就籍許可を得て作られたものだ。
どこかの工作員か? それにしては、戸籍情報が杜撰だ。少しぐらい誤魔化せないのか。
就籍許可を得て戸籍を作った後、運転免許を取得し、銀行口座を開設。その後国民健康保険に入っている。税務署にもきちんと届け出をして事業を行っている。
「これさぁ……彼女、無戸籍者なの?」
頬杖をついて退屈そうに資料を眺めていた白河さんがぼやく。
「えぇ、風見さんに言われて電子データを洗いましたが、彼女の痕跡が確認できるのは四ヶ月前からです。無戸籍者――という割には、仕事では何ヶ国語も扱っている様子だ」
藤波も首を傾げていた。彼は情報収集のスペシャリストだ、何も得られなかったことに疑問を抱いているようだ。
「……信頼できるかどうか怪しいな」
「でも、トラウトほっとくのもまずいんじゃない? バーボンの立場のこともあるし、この国で好き勝手に武器を売らせるわけにはいかないでしょ」
白河さんの言うことも一理ある。
さて、どうするか。
藤波が提出している資料によれば、穂純千歳という女性はクラウセヴィッツ氏とその妻に娘のように可愛がられ、宇都宮氏とその娘と懇意にしている。信用商売であるというのに、彼らほどの人物がこんな怪しい人物を信頼する根拠は何なのだろう。
――そもそも彼女は、トラウトよりも危険な人物か?
スパイかどうかは後から暴けばいい。一般人として暮らしているというのなら、調書を見る限り警察として協力を要請すれば応じてくれるだろうと予想できる。そうでなければ、"警察への協力を拒むのはトラウトと繋がりがあるからではないか"と彼女について探る大義名分ができる。
「風見。日中の張り込みを頼む。夜に動きがあったら連絡をくれ」
「はっ」
「白河さん、彼女は夜にバーに行く趣味があるようですから、僕たちはそちらから探りを入れましょう」
「了解」
「藤波、引き続きトラウトと彼女について探ってもらえるか」
「わっかりました。腕が鳴りますね」
「ひとまず、彼女が信頼できるかどうかはこれから四日間で見極める。パーティーは十日後、それまでに協力を仰ぎたい。トラウトについて対処した後、彼女についても徹底的に調べる」
日本国内で武器を売り捌くつもりでいるインターポールの指名手配犯と、戸籍を誤魔化し一般人として過ごしているらしい女性。どちらが危険かは、もうわかりきっている。俺が出られないにしても、表立って刑事として動くことができる風見が行けばいい。
理解した三人は深く頷き、各々の業務に戻っていった。
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