02
パーティーが始まり、ホール内が音楽と話し声で満たされた。
下調べの段階で目をつけていた人物がいたのか、降谷さんが笑顔で話しかけ相手の心を開かせていくのを眺める。ふと、話し相手の男性の目がこちらを向いた。
「恋人ですか? それとも妹かな」
「あぁ失礼、貴方のお話が興味深くてすっかり紹介を忘れてしまっていました。恋人の穂純ちせです」
「はじめまして」
笑顔を意識しつつ会釈をすると、相手の男性は少し身を屈めて視線の高さを合わせてくれた。
「初めまして。とても奥ゆかしい方ですね」
「ありがとうございます。それで、先ほどの話なんですが……」
降谷さんは、極力すぐに話を逸らしてくれる。周囲の会話をなんとなく耳に入れながら、特に見るものもなくグラスの中で揺れるシャンパンを眺めていた。
中身の減ったグラスを一口舐める程度に飲んだだけのものとさり気なく取り替えられ、それにも話し相手から温かい目を向けられてしまった。
何人かと情報交換をして満足すると、壁際に連れて行かれた。
降谷さんは空になったグラスを見て、ついっと周囲に視線を巡らせる。
「何か飲めるものがあると良いんですが。探してきましょうか?」
「えっ」
思わず降谷さんのスーツの袖を握ってしまった。
確かに一人でいるのは不自然じゃない。兄妹や親子で来て、同年代の相手を探し会場に流れる音楽に合わせて踊る人たちも見受けられる。
でも、わたしをここで放っておかないでほしい。
「……冗談ですよ。可愛い人だ」
くすくすと上品に笑いながら言われ、頬に熱が集まる。
「そんな可愛い顔をする恋人を、放っておくわけないじゃないですか」
……あぁ、もう。やっぱり"安室透"と向き合うのは苦手かもしれない。心臓に悪い。
その奥底に存在しているのが降谷さんだと知っているからこそ、勘違いしてしまいそうになる。
「さて、ちせさんは踊れそうですか?」
「え?」
グラスをそっと取り上げられ、スタッフに渡された。
降谷さんは苦笑して、周囲にちらと視線を向けた。
「貴方をダンスに誘おうとそわそわしている男性が見受けられるので」
手を取られ、指先に唇を寄せられる。
掬われただけの指で降谷さんの手を握って、詰めてしまった息をそっと吐いた。
「……ヘレナに教えてもらって、エドと少し練習したぐらい。リードしてもらえれば、なんとか」
「十分です。行きましょうか」
自信に満ちた声で言われ、何組かの男女が躍るスペースに連れて行かれた。
曲の切れ目でするりと引き込まれ、降谷さんのリードについていく。
向けられている視線が気になって集中できない。周りに比べたら下手なのは一目瞭然だし、あぁでも誘われないようにするにはこれでいいんだっけ――。
「僕と目を合わせて」
「!」
ベストのボタンを見ていた視線を上げて、降谷さんと目を合わせる。
青い目をゆるりと細めて微笑みかけられた。
「上手ですよ。楽しそうにしてくれれば完璧です」
言葉に促されるようにして肩の力が抜けると、降谷さんの笑みは深まった。つられて笑みを浮かべると、"その調子"と褒められる。彼ほどの人が"良い"と言うのなら、大丈夫、自信を持っていい。
そう思えるようになると、余裕を持ってリードについていけるようになった。
曲が終わると、降谷さんはスペースの周囲から降り注ぐ拍手の音には意識ひとつ向けずにわたしの手を取り、にこりと笑った。
「よくできました」
ウインクとともに褒められ、手の甲にキスを落とされる。
頬に熱が集まったのがわかった。
スペースから抜けると、バーカウンターに連れて行かれた。カクテルも作ってもらえるらしく、シャンデリアの光をきめ細やかに反射する瓶が後ろの棚に並んでいる。
降谷さんはカウンターに手を載せて、棚に視線を走らせ注文を口にした。
「カルーア・ミルクを」
「かしこまりました」
バーテンダーはすぐに作ってくれて、カクテルグラスを渡されて受け取る。
「ありがとうございます」
「他にもいろいろお作りできますよ。どうぞ楽しんでください」
にこやかに応じてくれるバーテンダーに会釈をし、踵を返して人波に混じると、ダンススペースを見ていた人に先ほどまでのダンスを話のタネにして声をかけられた。
わたしが応じる必要はなく、降谷さんが相手に不快に思わせないように対応してくれている。相手は初めから友好的で、情報収集も最初よりスムーズにできるようになっていた。
甘く作られたカクテルを飲み終えると、降谷さんにグラスをひょいと取り上げられてスタッフに返される。
「ちょっと出ましょうか」
「? えぇ」
エスコートしてくれる降谷さんについてホールを出ると、隅の方で黒川さんと風見が待っていた。
黒川さんは風見の陰で電話をしているようだ。ぽそぽそと喋る声が聞こえてきた。
「はい、……はい、問題なし。彼女は問題なく手助けをしてくれました。……えぇ、了解。戻り次第報告を上げます」
電話を終えた黒川さんは、わたしを見て上品に微笑んだ。
「お疲れ様。数日のうちに、単発で通訳の仕事を受けてもらうことはできる?」
「できます……けど」
「良かった。ちょうどコネが欲しい人物がいて、話してみたら機械の輸入を絶対に成功させたいっていうのが出てきたの。"同時通訳が得意"って売り込んできたから、よろしくね」
うんうん、と満足げに頷く黒川さん。横目で見ると、風見が気まずそうにわたしから視線を逸らしているのがわかった。隣に立つ降谷さんの顔を見上げると、相変わらずの優しい笑みで"ん?"と発言を促された。
……これは、もしや。
「餌にされたのね……」
苦笑いを浮かべて呟くと、降谷さんは眉を下げて笑った。
「流石に気づいてしまいましたか。ちせさんのおかげで色々な方と話ができましたし、黒川さんも恩を売りたい相手に良い提案ができました」
"ただ隣にいてくれればいい"という話は事実だったけれど、追加で仕事の依頼が来た。想定外ではあったけれど、命を狙われるようなものでなければ断る理由はない。
多分、今日のことはわたしがちゃんと協力するのかを知るためでもあったのだろう。
「通訳の仕事は黒川さんがセッティングして、当日は僕が密かに警護に当たります」
「それで十分。……今日はもういいの?」
「えぇ、疲れたでしょう? 荷物を引き取って、今日はもう帰りましょうか。……あとは頼みます」
「了解」
降谷さんと白河さんの間で密かに言葉を交わして、クロークに連れて行かれた。
荷物を回収してから、呼んでもらったタクシーに乗って息を吐くと、"お疲れ様です"と労われた。
「……何か気をつけた方がいいことはあった?」
「いいえ、特に気になることはありませんでしたよ。またお願いしたいぐらいには」
「そう、良かった」
頼まれたことだったとはいえ降谷さんの仕事の邪魔をするような結果にならなくて、本当に良かった。
安堵の溜め息をつくと、降谷さんは苦笑した。
「また頼んでもいいんですか?」
「お供するぐらいなら」
「……ありがとうございます」
苦笑いは引っ込まない。
こうした頼みごとをされることがわたしにとって不本意で、降谷さんもそれを申し訳ないと思ってくれている。
それだけで、十分。その裏で何を考えているとしても、見えるものだけを追いかけていればいい。
――いずれは、会うことすら叶わなくなるのだから。
今以上を望む欲張りな心に蓋をして、降谷さんに笑いかけた。
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リクエスト内容:甘orほのぼの
降谷とパーティーに潜入捜査/ゼロの人たちに自慢される
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