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「オットマー・トラウト……」

 写真で見た顔そのままの、凶悪犯。
 反射的に逃げ出したくなる足を、ドレスの裾を握ることで叱咤して、なんとかその場に留まる。
 対峙する二人はわたしを背に庇ったまま、無言で拳銃を構えている。

≪ようやく追いついたな。鬼ごっこは楽しかったかい? お嬢ちゃん≫
≪楽しいわけないでしょう≫

 トラウトはスタッフ用の控室から出してきたのか、ライフルを背負っていた。
 まだ、手に持っているのは拳銃だ。わたし諸共警察官の二人を殺そうということはないのかもしれない。
 にたにたと笑いながら、野太い声で話しかけてくる。

≪俺の言うことを聞いてくれねぇか? なに、エドガーの前で"助けて、この人の言うことを聞いて"って泣いて見せりゃあいいだけだ。俺はフランツと違って女を痛めつける趣味はねぇんだ≫
≪嘘ね。"捕まえてぼろぼろにしてからクラウセヴィッツに見せてやる"、そんな言葉が聞こえたもの≫
≪おっと、口が滑ってたか≫

 白々しく笑われ、気味の悪さに思わず後ずさりそうになる。
 安室さんの左手がわたしの右手を握ってくれたから、そうせずに済んだけれど。
 虚勢だけで言葉を返すのがやっとだ。恐怖で胸が押し潰されそうで、呼吸が細くなる。

「……もういいね。これ以上彼女を怯えさせる必要もない」
「えぇ。彼女をお願いします」

 小声でのやりとりが、耳に届いた。
 安室さんはわたしの手を女性捜査官に受け渡すと、拳銃を構えたまま優雅に一歩踏み出した。

≪はじめまして、ミスター・トラウト。僕たちと取引をしたいそうですね?≫
≪……なんだてめぇ、取引?≫

 安室さん――否、おそらくはバーボン――が、朗らかな声で話しかける。
 トラウトは、安室さんに合わせて英語で返事をした。

≪おや、何度もジンにコンタクトを取っていたでしょう≫
≪ジンだと!?≫
≪今夜あなたが動くと聞いて、ジンの指示で様子を見にきてみたんですが……だめですね、話になりません≫

 トラウトの気が安室さんに向いた隙に、ようやく壁に隠れられた。
 突然銃弾を撃ち込まれるという恐怖から逃れられて、また一息つく。

「何の話かわからないとは思うけど、忘れてね」
「はい……」

 女性捜査官に言われて素直に頷いたけれど、何の話かわかってしまった。風見さんが"トラウトがとある組織に武器を流そうとしている"と言っていたし、その組織が安室さんが潜入している組織なら、今回彼がここにいるのも納得だ。
 一緒に行動している捜査官は個人的に雇った人間だとでも偽っているんじゃないだろうか。
 それなら、ジンの指示で、本当の仲間を連れてこの作戦を遂行するのは難しくない。

≪なんだと……?≫
≪僕たちの基本方針は、影も残さず行動すること。これだけ派手に散らかして証拠を残されては、おいそれと取引なんてできませんよ。いずれあなたが捕まって、情報を漏らさないという確実性もない≫
≪優男が言ってくれるじゃねぇか。俺は手荒な真似をして言うこと聞かせたっていいんだぜ!?≫
≪僕は荒事は好んでいないんですが……≫

 かしゃんと何かが落ちた音と同時にどたどたと足音が響き、トラウトが叫ぶ。
 その叫び声は、"がっ"という蛙が轢き潰されたような声に止められた。
 ひゅう、とわたしを守りながら周囲を警戒していた女性捜査官が口笛を吹く。

≪なん……っ、げほ、おえっ≫
≪荒事は好みませんが、不得手だとは言っていませんよ?≫

 "見てみる?"と女性捜査官ににこやかに廊下の先を指差され、安全ならと好奇心が湧いて、そろりと壁の陰から顔を出してみる。
 トラウトがうつ伏せにされて、その上に安室さんが圧し掛かっていた。トラウトの腕は痛みを感じるであろう方向に捻り上げられて固定され、立ち上がるのに力を入れるであろう場所に膝をつかれている。
 走り出したであろう場所には、拳銃がぽつんと落ちていて。

「……どうして拳銃を捨てたんでしょうか」
「相当拳に自信があったんだろうねぇ。優男一人に銃を持ち出すのは、奴のプライドが許さなかったんじゃないかい?」
「理解できないわ……」
「私も理解できないよ。ま、相手が悪かったな!」

 安室さんが押さえ込んでいる間に、女性捜査官は手際よくトラウトの武装を解除していった。
 武器を押収して、トラウトの身柄も連絡を受けてやってきた他の捜査官に引き渡される。
 周囲を公安の人たちが走り回り始めて、ようやく安全が確保されたと実感できた。

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