01

※組織壊滅後


 すっかり慣れた指紋認証。家主にいつでも入っていいと認められた証拠のそれに、少々浮かれてしまうのは仕方がないと思いたい。
 エレベーターに乗り、目的の階まで昇って、降りたら愛しい女性が住む部屋の前へ。
 部屋のドアの鍵も指紋認証で解除し、ドアを開けて中に入った。音を立てて閉まったドアに反応してか、家主でもあり俺が会うことを心待ちにしていた相手、千歳が仕事部屋から出てきた。

「……秀一さん?」

 ぽかんとする千歳に、つい頬が緩む。

「休暇が取れたんでな、遊びに来た」
「そう……。でもあの、申し訳ないんだけど、ちょっと忙しくて……」

 心底申し訳なさそうに言う千歳に、"気にするな"と返す。
 確かに少し、いやかなり残念だが、彼女が仕事を楽しんでいることも知っている。充実しているのならそれでよし、多少の我慢はかまわない。突然来た俺も悪い。
 何より、多忙な俺に付き合ってくれている千歳は、もっとずっと我慢しているはずだ。

「仕事の内容は見ない。仕事をする君を見ていてもかまわないか?」

 千歳は照れたのか頬を染め、視線を逸らした。

「……穴が開くほどはだめ」
「あぁ、わかってるさ。君に穴が開くのは困る」

 律儀にコーヒーを淹れようとしてくれる千歳には自分でやるからと仕事に戻ってもらって、部屋の盗聴器や隠しカメラの有無を確認する。
 初対面のときには俺が仕掛けたのだが、それがここまでの関係になるとは何が起こるかわからないものだ、と思う。
 書斎のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、来客用のソファに腰を落ち着けた。
 千歳はブルーライトカットの眼鏡をかけて、スタンドに置いた書類を見ながらタイピングをし続けている。
 ジェイムズや同僚から送られてくる相談のメールに応じていると、千歳が体を伸ばして"終わったぁ"と呟いた。

「終わったのか」
「翻訳はね。あとは郵送準備!」
「何か手伝おうか」
「平気よ」

 封筒や新品のクリアファイルを取り出しはじめた千歳を見守っていると、インターフォンが鳴らされた音が聞こえた。
 千歳の顔を見ると、うーんと首を傾げている。

「アポはないし……。降谷さんかも」
「ここにいてくれ、俺が見てこよう」
「ありがとう。頼もしいわ」

 にっこりと笑う千歳に気分を良くしながら、リビングにあるモニターをつけた。
 来訪者は千歳の予想通り降谷君だった。不躾にも名乗らずに待っているのは、それが本物である証拠。裏社会の人間が知る彼は、愛想よく笑って名乗る以上のことをするだろう。
 エントランスのドアを開けると、降谷君は背後を警戒しながら中に入り、ドアが閉まるのを待ってエレベーターに乗り込んだ。
 流石に手慣れているなと思いながら、ドアがノックされるのを待つ。
 降谷君が来たのでドアを開けると、青い目が丸く開かれた。

「……来てたんですか」
「あぁ、久しぶりだな降谷君」
「お久しぶりです」
「やっぱり降谷さんだったのね。ちょうど良かった。渡す段取りをする手間が省けたわ」

 仕事部屋から出てきた千歳は、封筒をひとつ持っていた。
 降谷君は中身をざっと検め、その封筒を脇に挟む。そして、ジャケットの内ポケットからUSBメモリを取り出した。

「ありがとう。……それでだ、穂純さん。追加で仕事があるんだが……」

 言いにくそうな様子に、千歳はことりと首を傾げた。

「急ぎ?」
「急ぎだ。すまない」
「了解。良かったらここで待っていて。すぐに取りかかるから」

 また暫く千歳との時間はお預けか。
 遠くで考えながら、降谷君を部屋に通す。

「秀一さん、コーヒー淹れてもらえる?」
「あぁ」
「待ってくれ、自分で淹れる」

 すかさず止められた。俺が大人しくソファに落ち着くと、降谷君は勝手知ったるといった様子で自分でコーヒーを淹れ始めた。
 俺が淹れたところで飲まないだろう。千歳もわかっているのか食い下がることはせず、イヤホンをつけてパソコンのディスプレイと向き合っていた。
 千歳はコーヒーは来客用にしか用意していない。とりあえず高い物をと買っていたり、クラウセヴィッツ氏や宇都宮氏からの貰い物を置いていたりする。降谷君は苦笑しながら袋を眺めていた。どうやら彼にとっては"外れ"らしい。彼女のコーヒー党の友人からの貰い物ではないのだろう。
 コーヒーを淹れ終えた降谷君は、ついでに戸棚からクッキーを出して、カップと一緒に持ってきた。

「それ美味しいのよ。紅茶味のが特に」
「へぇ。イギリスのか」
「宇都宮さんの奥さんが旅行したお土産に買ってきてくれたの」
「あぁ、あの人の。それなら期待できるな」

 千歳は話す間もタイピングを続けている。それを見ていると、降谷君に睨まれた。

「貴方の出る幕はありませんよ」
「恋人が仕事をする姿を見ていて何が悪いんだ?」

 降谷君は虚を突かれたような顔をして、それから深い溜め息を吐いた。
 情報が気にならないわけではないが、日米の関係を悪化させかねない行動をそう何度も取る気はない。
 聞き取れなかったのか小首を傾げてマウスを触る姿を眺めたいだけだ。

「……貴方ほどの男がすっかり骨抜きですか」
「君になら俺の気持ちをわかってもらえるんじゃないかと思っていたんだが」
「わかりますよ、えぇわかります、嫌と言うほどに。自分がこんな情けない姿になっていたのかと思うと涙が出てきます」
「君の目は乾ききっているように見受けられるが」
「冗談の通じない男だな。もう黙っていろFBI」

 千歳は苦笑しながら、聞きたいことがあったのか降谷君を呼んだ。
 降谷君は眉間の皺を綺麗に消し、デスクに近づいて千歳と一緒にディスプレイを覗き込む。

「この人なんだけど……」
「あぁ、無関係ではなさそうだったな。聞き取れそうか?」
「大丈夫」

 距離が近いと思わなくはないが、初対面の時の自分も大概だったということを思い出し、胸の内に蟠る嫉妬心に蓋をする。
 降谷君の潜入捜査が終わった今も、残党の報復に対する警戒のため、彼女の語学力と聴力を捜査に必要とすることがあるためと、いくつかの理由があって千歳は降谷君の協力者を続けている。
 時には違法行為すら行い、命まで危険に晒し兼ねない状況の中、それでも互いを信頼する協力関係。互いへの恋愛感情を清算し、それでもなお命を賭けて信頼し合えるということは、二人は本当に良い関係にあるのだろう。アメリカにいる間も千歳の身の安全に関して心配し過ぎる必要がないことは喜ばしい。
 しかし、こうして少ない休暇を話しも触れ合いもせずに姿を眺めて過ごすだけとなると、感情的な部分では"面白くない"と考えてしまう。
 その感情を面に出さないうちにと書斎からベランダに移動し、煙草を吸って時間を潰した。時折メールを返していると、背後で閉めていた窓が開く音がした。

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