言葉なき恋文

 月明かりに照らされた公園。わたしは中央に設置された噴水の水がちらちらと光を反射させるのを眺めながら、ベンチに座っていた。
 近くにあるお店で開かれるという密談について、零さんが仕掛けてきた盗聴器越しに聞いてもらえないかという依頼を受けて音声が鮮明に聞こえる場所で待機しているのはいいのだけれども。
 耳に突っ込んだイヤホンからは、下世話な女遊びの話が聞こえてくるばかりで、少しも本題に入るようすがない。

「ひま」

 画面をつけた仕事用のスマホを耳に当てて電話するフリをしながらぼやくと、イヤホンから零さんの抑えた笑い声が聞こえてきた。

『今日は外れか?』
「んー……ここから真面目な話するとは思えない、かなぁ……」
『かなり酔いが回っているみたいだしな。引き上げるか』

 あっさりと引き上げる許可が出たことに拍子抜けしてしまう。

「いいの?」
『あぁ。迎えに行くから、電話は繋いだままそこで待機』
「了解」

 スマホをバッグにしまって、脇に置いていたペットボトルのフタを開けた。
 一口飲んで、ほっと息を吐く。甘い物を摂ると落ち着く。
 一応はと盗聴器が拾う音に耳を傾けているけれど、相変わらず下世話な話ばかりだ。
 ベンチの背凭れに寄りかかって月を見上げていると、何かが月を遮るようなかたちで横切った。その影は旋回して近づいてくる。
 ペットボトルのフタを閉めてバッグにしまいつつ、そちらを注視した。
 大きくなった影は、公園の噴水のそばの広いスペースに降り立った。そこでようやく、月明かりと街灯に照らされて正体が見えるようになる。

「!」

 翻る白いマント、ハンググライダー。細部までは見えなくとも、それだけで十分だった。

「怪盗……キッド」
『千歳?』

 わたしの声に零さんが反応する。そして、それは目の前に立った怪盗キッドも同じだった。
 ハンググライダーを畳み、こちらに近づいてくる。
 これは、どうするべきなのだろう。攻撃してくるとはとても思えないけれど、……零さんと会わせるのもまずい? ミステリートレインで、怪盗キッドは零さんの――バーボンのことを一方的に知っている。

「まだ来ないで」

 囁くと、零さんは訝しげな声をしながらも了承してくれた。微かに聞こえていた足音も止む。

「こんばんは。こんな夜更けに、こんな場所でお一人で? 無用心が過ぎますよ、レディ」
「ご心配ありがとう。恋人が迎えに来るの、だから心配要らないわ」

 キッドは口元に手を当て、ふむ、と少し考え込んだ。それでも歩みを止めずに、彼が手を伸ばしてもわたしに届かないぎりぎりの距離に立った。
 目の前でぱちん、と指を鳴らされ、直後にぽんと気の抜けるような音がした。
 驚いて閉じた目を開けると、目の前には赤いバラの花が咲いていた。

「艶のある桃色も素敵ですが、貴女にはルージュもお似合いだ。男避けにいかがですか?」

 キッドはキザに笑い、バラの花を渡してきた。
 思わず受け取ると、キッドはリボンを取り出し、わたしの手首にかけ、バラと一緒にハンカチで覆った。また指を鳴らされ、今度は何だろうと首を傾げると、ハンカチを取り去る。茎に、わたしの手首にかけられていたはずのリボンが蝶々結びにして結ばれていた。キッドはそれを見ると満足そうに頷いて、踵を返してしまう。
 "男避け"、とは。贈り物に見えるようにされたこのバラを持っていれば、近くに男がいると思ってもらえるから、とかだろうか。バラを一輪、なんて花の渡し方をする男が、まさか夜道に女を一人送り出すことなどしないだろう、そんなイメージで。
 キッドが公園から姿を消した直後、コナンくんが公園に走り込んできた。

「キッド……じゃない、千歳さん!? ……変装か……?」

 一度姿を見失って、追ってきた相手がいるはずの場所に知り合いがいれば、そう疑うのも無理はない。

「本人よ。昴さんにウイスキーダースで送りつけようとした」
「確かに本人だね……」

 コナンくんは脱力したような顔になって、歩み寄ってきた。

「それより見てコナンくん、キッドがバラをくれて、手品でリボンをかけてくれたの。紳士よね」
「呑気すぎない!?」
「トゲもちゃんと落としてあったのよ」
「うん、わかったからキッドがどっちに立ち去ったか教えて?」

 コナンくんは苦笑いを浮かべて、キッドの行方を知りたいのだと訴えてきた。
 ミステリートレインで哀ちゃんを助けてくれたことには、感謝している。
 怪盗キッドとキッドキラーは何度だって会うのだろうし、個人的な恩返しぐらいしたっていいだろう。

「あっち」

 キッドが去っていったのとは反対方向を指差すと、コナンくんはお礼を言ってそちらへ駆けていった。
 ふぅ、と息を吐くと、背後とイヤホンから同時に"千歳"と呼ぶ零さんの声が聞こえてきた。流石に足音を消して近づかれたらわからない。
 たぶん、キッドと顔を合わせて欲しくないというわたしの願いだけ汲み取ってくれたのだろう。

「どうして嘘なんてついたんだ?」

 零さんはベンチの前に回ると、わたしの荷物を肩にかけつつ、手を差し伸べてきた。
 その手を取って立ち上がりつつ、返事をする。

「キッドには個人的に感じているだけの恩があるのよ。キッド本人も知らないところでね」
「へぇ。……聞いても教えてはくれなさそうだな」
「えぇ、内緒」

 くるり、とバラを回すと、そのバラを零さんの手に奪われた。

「あっ」

 わたしの反応に対して、零さんは面白くなさそうに目を眇める。……まずい、かも。

「千歳がご機嫌なのは喜ばしいことだが、理由が他の男なのは面白くない。俺以外の男から受け取ったプレゼントがそんなに惜しいのか?」
「い、いえ、えーと……驚いただけ、というか。持ってる物を突然取られたら誰だってびっくりするでしょう……!?」
「……へぇ」

 声が一段と低くなる。
 あくまでもキッドを庇うのか、と。
 バラの花はぐしゃりと握り潰され、ゴミ箱に放り込まれた。

「……あの」
「キッドは"男避け"にとくれたんだ、もう用済みだろう」

 けろっとして言われ、"確かに"と頷きそうになる。
 いやいや、人への贈り物を握り潰して公園のゴミ箱に放り捨てるのは良くないことなのでは。
 それだけ怒っているのだろうかと不安になり、零さんの顔を見上げた。不安が色濃く出てしまっていたのか、零さんは青い瞳を一瞬だけ丸くして、すぐににっこりと笑う。

「あぁ、千歳には怒ってないさ。――千歳には、な」

 不穏な念押しも耳に届いて、体が固まった。
 恩を返したつもりが、次の盗みを一層困難なものに変えるだけの結果に終わった気がする。
 裏目に出たなぁと思いつつも、まぁキッドなら何とかするでしょうと思考の端に追いやった。彼を心配するだけでも、零さんの機嫌を損ねそうな気がしたからだ。

 ――数日後、喫茶ポアロで新聞に載っているキッドの予告状を見た零さんがコナンくんに協力を持ちかけ、当日は逃走用の仕掛けを二人で分解して回ったのだと後から知らされた。
 キッドにしてみれば、厄介なキッドキラーの助っ人がなぜか姿を見せないまま現れ、逃走ルートを塞いでいたという悲惨な展開だっただろう。
 余計なことはするものじゃない。心の中でキッドに謝り、次なんてものがあったらコナンくんにもキッドの行方に関しては嘘をつかないようにしよう、とひっそり誓った。


「千歳はルージュよりピンクが似合う。部屋に飾るならこれにしてくれ」

 さらに数日後、ピンク色の造花のバラが九本入った、小さなバスケットを送られた。
 ポアロのシフトがあるから立ち寄るだけと決めていたらしい零さんを見送り、寝室のチェストの上に置いてみた。
 そういえば、バラの贈り物にはいろいろ意味があったような。
 スマホで調べて、意味を知って顔を赤くするわたしの姿を、零さんは容易く想像できているに違いない。
 火照る顔をベランダに出て冷ましながら、メールで"わたしも"とだけ送っておいた。


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リクエスト内容:甘
怪盗KIDと遭遇してはしゃぐ夢主に降谷が嫉妬


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