かみさまのいうとおり
※恋慕編前
日本に来ているエドとヘレナに呼び出され、デパートにやってきた。
出かける前に降谷さんから電話がきて、これから用事があると言うと、送るついでに話をしてほしいということだったのでそれに応じて、話を終えてもなぜかついて来たので降谷さんも一緒にだ。
「忙しいんじゃないの?」
エスカレーターに乗るのにさりげなく手を取られ、素直にエスコートを受けながら黄色い枠の中に立つ。
降谷さん――というよりは安室さんもはにっこりと笑った。
「それなりには。ですが偶には息抜きも必要でしょう?」
「わたしの用事に付き合うのが息抜きになるかどうかはわかりかねるわね」
「まぁ、そこは個々人の受け止め方ですから」
何か買いたい物があるのかもしれないし、突っ込むのも野暮だろう。
エスカレーターから降りるときも手を支えにさせてくれて、お礼を言って受け入れた。
待ち合わせ場所に指定されていた休憩所に着くと、ヘレナが気がついて声をかけてくれた。
≪チトセ! 久し振りね。あら、安室さんも一緒なの?≫
ハグを受け入れつつ、きょとりとした声に"疑問にも思うよね"とひとり納得する。
≪ちょうどここに用事があったので、ついでに穂純さんを乗せてきたんです≫
ドイツ語はわからないながらも、ヘレナに向けられた視線の意味はわかったらしい。
人好きのする笑顔で嘘を並べ立てる姿に、さすがだなぁと思いながらヘレナに用件を聞いた。
≪今日は会わせたい人がいるのよ≫
≪?≫
またクライアントの紹介をしてくれるのだろうか。
ヘレナに連れられて休憩所のベンチに近づくと、座って待っていたエドと一緒に若い男性がいるのが見えた。
≪エド、フリッツ。チトセが来たわよ。それと安室さんも≫
声をかけられた二人は立ち上がり、こちらを見た。
エドはいつも通り穏やかな笑顔で挨拶をしてくれた。フリッツと呼ばれた若い男性は、気まずそうに笑って初対面の挨拶をしてきた。
なんだろうと思いつつ、エドに視線を向ける。
降谷さんに気を遣ってか、エドは英語に切り替えてくれた。
≪彼は将来幹部にもなれる優秀な人材でね。チトセ、どうかね≫
≪どうかね、って≫
≪君の恋人として不足はあるかい?≫
直球に問われ、ようやく合点がいった。
エドとヘレナは、仕事一筋で恋人を作るようすもないわたしを心配して相手を紹介してくれているのだ。
しかし、フリッツさんの方はどうか。話を受け流すに受け流せないといったようすで、ぎこちない笑みを浮かべるばかりだ。
話を聞いてみるしかない。
≪どう、って言われてもねぇ。彼のことよくわからないし、ちょっと彼とお買い物してくるわ。連絡入れるから、安室さんに案内してもらっていてくれる?≫
≪勿論だとも≫
「穂純さん?」
降谷さんから制止の声がかかった。それはそうだ、話を勝手に進められて、案内役にされたのでは当然だ。
「ごめんなさい、お願いできる?」
「はぁ……。まぁ、構いませんが」
降谷さんは何とも言えない顔をして、渋々といった様子で頷いた。
フリッツさんを連れて、女性向けの雑貨屋がある階に向かう。吹き抜けとなっている四角い空間の、向かい合う二辺に設置されたエスカレーターに乗っていると、上の階からヘレナが興味津々な様子でこちらを見ているのがわかった。
≪さて、フリッツさん。あなた恋人がいるでしょう≫
≪えっ≫
≪あら違うの? じゃあ好きな女の子?≫
後ろめたさのようなものを抱えていると感じたから、エドの押しに負けてフリーでもないのに恋人がいない身を演じているのかと思っていたのに。
≪いや、付き合ってはいないけど、あと一歩かなって思う子が……何を言わせるんですか!?≫
ノリツッコミか。面白い人だなぁと思いながら、着いた階の案内板を見て、目的の雑貨屋に向かった。
≪社長相手に断れなかったんでしょう? エドはちゃんと言えば理解してくれるわよ≫
≪そう、ですか……≫
≪その子へのお土産でも買って行ったら? 選ぶくらいは付き合ってあげる≫
≪!≫
フリッツさんはぱぁっと顔を明るくさせ、嬉々として恋人一歩手前の女の子のためのお土産を選び始めた。
満足のいく買い物をして笑顔で会計を終えたフリッツさんを連れて、エドと連絡を取り元の待ち合わせ場所に戻った。――ら、降谷さんがメンズショップの紙袋を大量に持たされていた。
「何があったの……?」
「……買っていただきました」
眉を下げて笑う降谷さんは、別に悪い気はしていないのだろうけれど、困っているといった様子だ。
ヘレナが降谷さんを連れ回し、あれこれ着せては"似合うわね"と言って買ったに違いない。ご満悦のヘレナに笑うしかなかった。
それはさておき、フリッツさんのことはエドにしっかり伝えなければ。これは降谷さんに聞かせるような話でもない。ドイツ語で話すことにした。
≪エド。彼、上手くいきそうな相手がいるって言うじゃない≫
≪なんだって?≫
≪そういうことはちゃんと確認しなくちゃ、彼がかわいそうよ≫
≪本当なのかね、フリッツ≫
≪えぇ、言い出せずにすみません……≫
≪いいやこちらこそ、気を遣わせてしまったね≫
"でも彼女へのお土産を買ったので"と嬉しそうに笑うフリッツさんに、エドもほっとした様子で笑っていた。
別荘地で過ごすだけで特に通訳は必要ないらしく、フリッツさんの紹介に重きを置いていた二人は、すぐにわたしを解放してくれた。
……結局、フリッツさんのお土産選びに付き合っただけなのでは。
よくわからないなぁと思いながら、降谷さんの手から紙袋を二つほど取った。別に重くはないのだろうけれど、持ち手の紐がかさばって持ちにくそうだ。
≪じゃあねエド、ヘレナ、フリッツさん。日本での滞在を楽しんでいって≫
≪あぁ、またよろしく頼むよ≫
降谷さんに他に用事はないのかを確認して、紙袋をたくさん抱え、車を停めた駐車場に戻ってきた。
後部座席に荷物を積み込みながら、"ブランド物が増えた"とぼやく降谷さんに苦笑する外ない。
「バーボンとしてはありがたいので、いいんですが」
「それならまだ良かったわ」
助手席に座ると、降谷さんはわたしがシートベルトを締めたのを確認して車を発進させた。
「……ところで。さっきの話、受け入れるのか」
「え?」
降谷さんの顔を見ると、まっすぐに前を見ていて、感情は読めない。
「フリッツという男性を……恋人にと紹介されていただろう」
そういえば、フリッツさん自身の恋路の話など聞かせる必要もないと思ってドイツ語で事情を説明したのだったっけ。
降谷さんの問いの理由がわかった。
「まさか。彼、想い人がいるみたいだったし。そうでなくても、帰れることがわかったときに始末に負えないもの。恋人なんてつくらないわ」
「始末に負えない、か」
「突然いなくなっても困るだろうし、帰り方がわかって準備ができたとして、どう別れたらいいのかもわからないし」
ついでにわたし自身の恋愛経験値はゼロに等しいから、恋人ができる可能性もないだろうし。これはなんとなく恥ずかしいので言わないでおく。
赤信号で車が停まると、降谷さんは何か言いたげに口を薄く開閉させた。
「……降谷さん?」
珍しく歯切れの悪い様子に、思わず名前を呼ぶ。
降谷さんははっと息を呑んで、"何でもない"と首を横に振った。
「? それならいいけれど」
バッグの中でスマホのバイブ音がして、なんだろうと思い取り出してみると、ヘレナからメールが入っていた。
『安室さん、チトセのことが気になって仕方がないみたいだったわよ。三角関係の始まりかと思ってドキドキしちゃったわ』
それは気にするでしょうよ。一応協力者という立場なのだから、"恋人ができてドイツに行くのでもうあなたに協力できません"、なんていうのが許されないということだってわかっている。
「ヘレナったら、降谷さんがわたしたちを頻りに気にしていたって連絡寄越したわ。……訂正しておくわね」
「いや、しなくていい」
「え?」
即答され、一体何を言い出すのかと降谷さんの顔をまじまじと見る。
「穂純さんにも好都合のはずだが? 身近に恋人になりそうな異性がいれば、クラウセヴィッツ夫妻も紹介なんてしてこないだろう」
「それは……そうかも?」
「僕の方も問題はない。訂正する必要はないだろう?」
「……そう、ね?」
わたしの煮え切らない返事に、降谷さんは小さく溜め息をついた。
「とにかく、僕に関しては夫人に訂正する必要はない。これだけ理解してくれ。返事に困るなら、僕からの服のお礼の伝言だけすればいい」
「……そうするわ」
なぜ頑なに"訂正は不要だ"と言ってくるのかはわからないけれど、降谷さんが言うのなら悪い方には転がらないだろう。
素直に言うとおりにすると、降谷さんはようやく満足そうに微笑んでくれた。
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リクエスト内容:ほのぼの日常系
恋人設定無、エドガーか宇都宮が恋人候補を連れてくる
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