03

 目覚めはすっきりしていた。
 散々熱に魘された覚えはあったけれど、記憶は朧気だ。
 バーボンに恨みを持った男に攫われて、殴る蹴るの暴行をされ、爪を剥がされたことは覚えている。途中でベルモットが現れて、助けてくれたことも。
 真っ白な天井を見ながらぼんやりと考えて、左手に感じる温かさにようやく意識が向いた。
 そちらに顔を向けると、目に飛び込んできたのは褐色の肌と金色の髪。零さんが、わたしの手を握りながらベッドに突っ伏して眠っていた。
 右手は動かそうとすると指先にびりびりとした痛みが走る。
 諦めて、零さんの手を何度か握り返した。

「ん……」

 寝起きの掠れた低い声が漏れる。気づいてほしいと思いながらまた数度手を握ると、零さんはがばりと顔を上げた。
 青い瞳と視線がぶつかって、零さんの目が丸く見開かれる。

「千歳……!」

 零さんはわたしの名前を呼ぶと、慌てて立ち上がってナースコールのボタンを押した。
 応答した看護師にわたしが目覚めたことを伝えて、また椅子に腰を下ろす。
 左手の指を絡めて手のひらを合わされて、ゆっくりと握り締めた。腕は多少痛むけれど、それよりも零さんを安心させたかった。ゆらゆらと揺れる青い瞳を、見ていられなかった。

「……ごめんね。心配かけちゃった」

 掠れた声で謝ると、零さんは唇を戦慄かせながら首を横に振った。
 病室に来た先生に診察をされて、傷はちゃんと治るものだと説明を受けた。爪も、とこぼしたら、それも大丈夫だと力強い言葉をもらえた。
 診察が終わった後、ようやく水を飲ませてもらえた。
 先生がいる間は外にいた零さんは、戻ってくると"風見が来るから話をしてほしい"と言ってきた。あの嫌な記憶を思い出すのなら、鮮明なうちの方がいい。
 早いうちに済ませてほしいというわたしの希望を聞き入れた零さんの連絡を受け、すぐにやってきた風見からの事情聴取を受けて、男の目的や、何をされたのかを詳細に話した。
 話を終えて風見が出ていくと、病室は静かになった。

「すまなかった」

 ぽつりと落とされた謝罪の言葉。顔を見れば、眉が下がって瞳には陰が落ちている。
 あぁ、零さんの前で男の目的を話したのは失敗だったのかな。でも出ていってくれなんて言っても聞いてはくれなかっただろうし。

「殺されてもいない女性のための暴走を、千歳に一身に受けさせる結末になった」
「……殺されてない?」
「あぁ。あの男の配偶者の"始末"をしたのは俺なんだ。彼女はシロだったから匿って、世間的には失踪に、組織には殺害したと認識されるように情報操作をした」

 罪もない女性は殺されずに済んでいたのか。
 あの男の妻だという女性に関しては、零さんが心を痛める結果にはならなかった。……けれど。

「だが、男は逃げるどころかバーボンへの復讐ばかりを考えて、結果このザマなんだ……」

 ごめん、ごめんな、と何度も謝られる。
 許しを乞うような声調に、ぎゅっと胸が締めつけられる。

「怖かったな。ごめんな」

 ――こわかった。
 零さんの言葉が、すとんと胸に落ちてきた。
 初めは気丈に振る舞おうとした。殴られたり蹴られたりされても、どうにか黙していることができた。だけど、二枚も爪を剥がされたあたりで、その虚勢が粉々に打ち砕かれてしまった。
 零さんに見つけてもらえた時も、ずっと泣いていた記憶がある。気がつけば眠りに落ちていて、すっかり忘れたような気になっていたけれど。

「……こわ、かった」
「あぁ」
「ずっと、"バーボンを恨め"って言われて……"助けて"って、泣き言言っちゃった……!」

 涙が溢れて、視界が滲んだ。
 いつかコナンくんたちに言った。――痛みに耐えられるほど強くないし、苦しければきっと無様にのたうち回る。
 本当に、そうなった。
 零さんはくしゃりと顔をゆがめて、頬を手のひらで優しく包み込んできた。

「千歳。もういい、いいんだ、泣き言なんていくらでも言えばいい。全部俺が受け止める。だから、自分の中に封じ込めないでくれ。苦しむときも一緒だと、言っただろう……」

 諭すように言われたら、もうだめだった。
 殴られたり蹴られたりするのだって痛かったけれど、それはどうにか耐えられた。

「指、いたいの……。爪、めりって嫌な音がして、今も、痛い……! も、やだ、助けて……助けて、零さん……!」

 零さんに縋ったところで、彼は医者じゃないからどうすることもできない。ひたすらに相槌を打って頭を撫でながら、泣きじゃくるわたしの呼吸がおかしくならないか気にしてくれていた。
 泣き疲れて眠って、目覚めたときに零さんがいれば、また泣いて。情緒不安定なわたしに、零さんは根気強く付き合ってくれた。
 気弱になっていたのは痛みのせいだったのか、それとも精神的な不調を見兼ねて何か薬を投与されていたのか。理由はわからないけれど、数日経って指先が乾き痛みが和らぐと、それも次第に治まっていった。
 家でも人の手を借りれば包帯やガーゼの取り換えができる状態になると、零さんはすぐにわたしを家に帰すと言い出した。
 警察の息がかかっているとはいえ人の出入りはどうしたって防げない病院より、セキュリティのレベルが普通のマンションにしてはおかしいと言ってもいいほど高度な宇都宮さんの物件の方が、よほど良いと。
 病院に入り浸るより、安室透の自宅の近くでもあるわたしのマンションの方が動きやすいというのもあったのかもしれない。
 結局零さんが、零さんがいないときは白河さんが警護に来てくれるという話でまとまって、退院できることになった。

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