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 人を雇う準備をしてくれと言われて、準備を整えたら風見がその人を連れてくることになった。
 顔合わせと雇用契約は風見に指定された場所で行うことになっていたため、その場所に車で向かって、入口で待っていた風見に出迎えられた。
 公安で管理しているらしい部屋に通される。

「連れてきたぞ。彼女が君の雇い主になる穂純千歳さんだ」
「えっ」

 緊張した面持ちで椅子に座っていた人物を見て、驚いた。

「ちせさんだぁ!」
「え、嘘!?」

 長四角のテーブルの長辺に二脚ずつ置かれた椅子。その片側に隣り合って座っていたのは、桜木くんと由香ちゃんだった。
 メイクを変えているのにすぐ気がついたのは由香ちゃん。わたしの顔を見て驚いているのは桜木くん。

「お兄ちゃんわかんないの!? ちせさんだよ」
「え、……え?」
「もう! 確かにメイクは違うけど、絶対にちせさんだから!」

 頻りに首を傾げる桜木くんに噛みつく由香ちゃん。
 この兄妹が仲良く一緒にいるのは微笑ましい。
 とはいえ、この不毛な言い争い――というよりは由香ちゃんの一方的な噛みつき――が続くのもいただけない。
 こほん、と咳払いをした。

「"この人、わたしが高校のときに何度も補導されたおまわりさん"」

 "ちせ"だったときの口調を意識して、風見と桜木くんしか知らない言葉を口にする。
 すると、桜木くんは合点がいったようでぽかんと口を開けた。

「……え、本当に? ……嘘だろ……」
「えぇ、二十歳っていうのは大嘘ね。本当は二十四歳なの」
「年上かぁ……! 脅された後の対処も、わかっていてやってくれたんですか?」

 初めてバーに行った夜、桜木くんがわたしにダーツの矢を当てろと脅されたときの話だろうか。
 あのときは赤井さんに話しかけるフリをして、"投げていいよ"と伝えたのだっけ。

「そうよ。あの場ではごまかすしかなかったけれど、勘違いなんかじゃないわ」
「……そうだったんですね。だから、風見さんは僕が知ってる人だって言ったんですね」
「ほら、間違ってなかった!」

 興奮する由香ちゃんを落ち着かせて、風見が事情を説明してくれた。

「彼はロシア語を学んでいるだろう? 今後、協力できることがあればぜひと言ってくれた。ひとまず穂純に預けて、通訳者としての仕事と情報収集のやり方を学んでもらいたくてな」
「なるほど、それでアルバイト……」
「常に一緒に行動しろと言うわけじゃない。ロシア語を使う通訳の仕事があったら呼んでもらえればいい」
「力仕事もやります!」

 風見の言葉に付け加えて、桜木くんが元気よく言った。
 仕事をするときに絶対に呼べということではなく、彼にとって勉強になる仕事のときと、荷物持ちなんかが必要なときに呼べばいい。
 "通訳の"と限定するところからも、彼が通訳案内士を目指しているからという以外に、わたしが過去に男子大学生からのストーカー被害に遭ったことを気にしてくれたことが窺える。自宅でもある事務所に招き入れるのを遠慮したいというのは事実だった。
 ……なかなか魅力的に思えてきた。
 とはいえ、ずっと面倒を見るわけでもないだろう。

「……桜木くん」
「はい!」

 呼びかけると、桜木くんはぴしっと背を伸ばした。

「大学三年生だったわよね。就活は?」
「実は、大手の通訳会社に内定をもらってまして。ただ、4月の入社までは内定者会ぐらいしかやらないから、アルバイトなり勉強なりに精を出していろいろ学んでおいでっていうスタンスで」
「それで個人でやってるわたしのところにねぇ……。仕事のやり方も結構違うと思うけど、ちゃんと区別できるわね?」
「はい! 風見さんにも説明をしていただきました」
「ならいいわ。これに目を通して、わからないことがあったら訊いてちょうだい」

 社労士の先生に作ってもらった就業規則や労働契約書を渡し、目を通してもらう。

「……由香ちゃんは?」
「私はちせさん……じゃないですよね、穂純さんに会いたくてついてきたんです」
「そう。よくわかったわね? わたしのこと」
「助かる方法を教えてくれたときのちせさんと、雰囲気が似てたから。……ありがとうございました。私と兄を助けてくれて」

 ぺこりと頭を下げられたけれど、苦く笑うほかない。

「……助けたのは警察だわ。感謝するならそっちにね」
「はい! でも、穂純さんにも感謝してます」

 そこまで言われてしまったら、受け入れるしかないか。

「そう。……どういたしまして」

 桜木くんは真剣な様子で渡した書類を読んでいる。
 まだかかりそうだなと踏んで、再び由香ちゃんに目を向けた。

「学校はちゃんと行けてる?」
「大丈夫です。友達には心配かけちゃいましたけど」
「心配してくれる人がいるのは良いことよ。大事にしてね」
「はいっ」

 風見からもいろいろと説明を受けつつ、桜木くんが書類を読み終えるのを待って雇用契約を交わした。
 連絡ができるように仕事用のスマホに入れたメッセージアプリのIDを交換して、今日やるべきことは終わりだ。

「仕事が入るようなら連絡するわね」
「はい! これからよろしくお願いします!」
「えぇ、よろしくね」

 風見は二人を家まで送っていくらしく、その部屋で別れて帰路についた。

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