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「しばらくして、監視付きで穂純さんに協力者になるよう"お願い"をしに行きました。それが穂純さんがバーに潜入する二日前の話です。同時に預けてあったデータを回収させてもらいました」
「でも、見ることはできなかった」

 藤波さんはこくりと頷いて、USBメモリをこちらへ押しやってきた。

「穂純さんは、すべてのデータにパスワードをかけていた。本当に安心しましたよ。データを全部消すわけにはいかない、それは両角警視も承知していた。何とか解析するからと誤魔化して、穂純さんへの接触の時期を引き延ばし続けてきた。……でももう、ここは安全です。降谷さんがいる、僕も穂純さんを守るつもりだ。白河さんと風見さんは、両角警視のところに着いたんでしょう?」
『うん、彼の自宅に着いたよ。買い付けた女の子でお楽しみだった。当のご本人は大層青褪めていらっしゃる』

 白河さんの嘲笑交じりの言葉に、電話の向こうから男性が息を呑む音と、すすり泣く女性の声が聞こえてきた。
 人身売買には昔から手を染めていたというのだろうか。
 一歩間違えれば自分がそうなっていたかもしれない。そう考えると、背筋が寒くなると同時に、許せないと考えてしまう。

「コナンくん。リストにある"モロズミシゲノリ"という名前の左に、数字が書いてあるでしょう? わかる?」
『うん! "5-3"って書いてあるよ』
「ありがとう」

 番号を振ったUSBメモリの中から、油性ペンで"5"と書いてある物を手に取る。
 零さんがこちらに向けてくれたパソコンに差して、開いたフォルダにかけられたパスワードを入力した。その中にある、"5-3"というタイトルの音声データとテキストデータを起動した。

「この辺かな……」

 テキストデータを見ながらプレイヤーソフトのシークバーを操作して、目的の音声を探す。
 翻訳していたときも感じたことだけれど、気分が悪くなるような話ばかりだ。
 画面を覗き込む零さんの眉間にも皺が寄っている。
 その間に白河さんたちは女性を保護したようで、やりとりの音声が聞こえてきた。
 ようやく両角という男の声が聞こえるところを見つけて、音量を大きくして一時停止した。

「あの、通訳は……」
「しなくていい。白河さん、テキストの写真を送ります」
『よろしく』

 零さんはスマホでテキストの写真を撮ると、それをメールで白河さんに送った。
 それを確認した白河さんから合図をされて、再生ボタンを押した。
 流れるのは、ドイツ語での人身売買に関する会話。自己紹介に始まり、人間を商品とした商談をし、同じ趣味を持つ相手と買った人間をどうするかという気分の悪い話で盛り上がり。そんな中、警察が乗り込んできた。
 わたしはDr.アパシーと逃亡し、バーボンはジンとウォッカを先に逃がし、黒川さんは哀ちゃんと歩美ちゃんを一般人が集まっているエリアに誘導していた、あの時だ。
 両角警視は、例のパーティーがきな臭くて潜り込んでいたのだと部下に説明し、何事もなかったかのようにその場を離脱した。

「……おかしいわね。一般人の集まる"表"エリアから招待客の集まる会場へは、どこを通っても使用人に遭遇したはず。招待客でなければ、追い出されたはずだわ」

 違法な行為について通訳する羽目になったから、あの城の事情については多少詳しいつもりだ。
 Dr.アパシーの元へ行くときもサラさん伝いに執事に報告して調整を図ってもらったほど、一般人を集めた正面のエントランスと招待客を集めた広間の間の道は厳重に誰かの目につくようにされていたのだ。

「その通りだ。白河さんが連れ出した子供たちも、中をうろついていた組織の人間も、どこかしらで使用人に見つかって名前を確認されたよ」
「会場の広間から一度出て戻っても、入り口で顔と名前を確認されるわ」

 カムフラージュのためとはいえ、一般人が近くにいる状況で誰も油断はしなかった。
 それなのに、会場に入り込んで招待客との会話に興じることができていた? ――おかしい。

「……両角警視。あの場にいたのは、貴方が"招待客だったからに他ならない"ということですよ。招待客には全員、城主との付き合いがあったはずだ。――貴方も例に漏れず」
『だから! あれは捜査のためだと……』

 零さんの言葉尻を打ち消すかのような大声で、両角警視は叫ぶ。

「でしたら、城内の一般エリアから会場までの廊下を記録した監視カメラに貴方の姿がまったくなかったことについて、僕らに納得のいく説明をしていただけますか。カメラのデータは僕が持ってますよ? 映像解析は僕の仕事ですから」

 藤波さんの切り返しに、両角警視が息を呑む。

『藤波ィ! 推薦してやった恩を忘れたのか! これまで俺に手を貸してきたお前が、今更無罪放免にされるとでも思っているのか!!』

 電話越しにびりびりと伝わってくる怒気。
 藤波さんは眼鏡の奥の目をすっと細め、口角を上げた。

「自らが行った違法作業は、自らの手で片をつける――基本です。両角重則という男に女性を凌辱する趣味があることを知っていた僕は、長い間懐に潜り込んでその証拠を得る機会を窺っていた。穂純千歳さんからもらったデータを確認して、人身売買罪を犯している決定的な証拠に行き着いた。貴方の自宅近辺の防犯カメラも確認済みです。バンから女性が引き摺り出されて貴方の自宅に連れて行かれる瞬間が記録されていました。その証拠を元に、白河さんと風見さんが女性の保護のためにその場所へ向かった。これまで死や失踪を偽装した女性についても、時機を見て発見されたことにしましょう。償いをしたうえで、公安警察の信頼を地に落としかねない貴方の悪事は黙っていてもらう。――お前から逃がす選択をした時点で、彼女たちは僕を信頼してくれたんだ」
『どのみちアンタは強制性交等罪で現行犯逮捕だ。今しがた保護した証言者もいる。余罪についてはたっぷり調べさせてもらうから、観念しな』

 白河さんの言葉を最後に、電話の向こうの音は途切れた。
 首を傾げていると、零さんと藤波さんが"気にしなくていい"と口を揃えて言った。

「穂純さん、悪いんだけどパスワード教えてもらってもいい?」

 藤波さんは自分で持っていたノートパソコンを起動させつつ、机の上に置かれたUSBメモリに手を伸ばした。

「半角小文字で"n-u-l-l-a"。ハンガリー語で"ゼロ"っていう意味よ」
「……単純すぎてわかんなかったよ」

 藤波さんは苦笑して、USBメモリのパスワードを解除し始めた。零さんもわたしのパソコンを使って手伝い始める。

「……藤波さん」
「何かな、穂純さん」

 穏やかな表情で、パソコンを操作し続ける藤波さん。
 きっと謝罪なんて欲しがっていない。だから言うなら、この一言だ。

「ずっと守ろうとしてくれていたのね。……ありがとう」
「どういたしまして」

 ディスプレイを見つめる藤波さんの目から、つ、と雫がこぼれ落ちた。
 藤波さんは頬を伝うそれに気がつき、指で拭う。

「嫌だなぁ、気が抜けたのかも。これでやっと、彼女に顔向けできるから……」
「藤波」

 零さんの硬い声が、藤波さんの声を遮った。零さんもキーボードを叩いてパスワードを入力し続けていて、ディスプレイから目を離さない。

「君にはこれからも活躍してもらうぞ。気を抜くことは許さない」

 きっとそれが、零さんなりの労いの言葉だった。

「わかってますよ、降谷さん! 片をつけたら班に戻ります」

 厳しい言葉に対して、藤波さんは嬉しそうに笑う。
 電話の向こうから、コナンくんの安堵の溜め息が微かに聞こえた。

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