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「座れ」
零さんは部屋に入ってきた藤波さんに端的に命令して、自分も椅子に座り直した。
わたしに向けていた厳しい声も、手加減してのものだったのだとわかるほどの威圧感。藤波さんはそれを気にした様子もなく返事をして、指示された通り向かいの椅子に座った。
「……さて」
零さんは机に肘をつき、両手を組んで口元を隠した。
わたしの秘密を暴いた時のような、まっすぐな目で藤波さんを見ている。
「我々はけじめをつけなければならない。理解しているな」
藤波さんは背筋を伸ばして、零さんの目をまっすぐに見返した。
「……はい」
零さんには藤波さんを責める気がないように思える。
机に隠れた、膝の上に置いた手を握り締めた。
『藤波君はさぁ、抱えてる協力者はハッカーやらクラッカーやらが多いよね。それと、パスワードなんかを聞き出すのに妙齢の女性が何人か。でも妙なんだよねぇ、二十代前半の女性の協力者は、登録から三ヶ月と経たずに全員死亡もしくは失踪してる』
電話の向こうから聞こえてきた白河さんの言葉に、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
二十代前半の女性。その条件に、わたしはぴったりと当てはまる。
あの夜に藤波さんの協力者になることを受け入れていたら、どうなっていた?
「……千歳。藤波と何かあったな?」
確信を持った言葉で問いかけられて、思わず藤波さんを見る。
藤波さんは困ったように笑んで、机の上に手を置いて組んだ。
「"僕の協力者になる気はないか"って、聞いてみただけですよ。いつ頃だったかなぁ」
「……バーに潜入する二日前」
「それ以外に何か言われたか?」
零さんの視線がこちらに向く。藤波さんは口を閉ざしてしまった。
藤波さんは話の糸口をつくってくれただけ。すべてを説明することはしない。――否、できない。
「断ったら、"わたしを守るためだ"って……。わけがわからなくて、強引に帰ったけど……」
『強ち間違っちゃいないけどね。でも、穂純ちゃんの望む守り方じゃなかったと思うよ。初めの一人は自殺。残りは藤波君の手引きで亡命したようなものだから。そうでしょ? 藤波君』
白河さんの言葉に、藤波さんは自嘲の笑みを浮かべた。
「……流石、内部調査をさせたら右に出る者はいませんね」
『まぁねー。初めは降谷君の妙な動きに首を傾げてたんだけどさ。その行動を誘発したのは"何"かを考えたときに、席を外すことが増えた藤波君のことが気になったんだよ。ワークチェアとお友達の藤波君が、食事休憩以外で、データ回収のためでもなく長時間席を外すなんて"おかしい"。藤波君の協力者の死亡や失踪の時期を個人的な記録と照らし合わせたら、その前の時期に藤波君は席を外すことが増えてたんだよね。でも、これだけじゃ足りない。"なぜ"そんなことをしているのか? それがわからなかったから。……その鍵が、ある人物が調べ上げてくれた情報の中にあった』
台本でも読むかのようにすらすらと説明をしていく白河さんの声。
止まったそれを引き継ぐように、藤波さんへと視線を戻した零さんが口を開いた。
「――藤波啓太は警視庁公安部に所属する両角重則警視の推薦で警察庁に出向してきた。そして、両角重則という男は先だって穂純千歳の協力を得て白河理恵が潜入したパーティーに参加している。それも、人身売買を行うために」
ここにきて初めて、藤波さんが動揺を見せた。両角という男の名前を聞いて、肩をびくつかせた。
モロズミシゲノリ――覚えがある。コナンくんたちに言われてリストアップした日本人のパーティー参加者の中にいた。警視庁の人間だったことは、いま知ったけれど。
『藤波君の経歴、見ることができなかったんだよね。私じゃ到底突破できないセキュリティで。そのセキュリティを破られたことはなかった?』
「……おそらくは降谷さんを撃退したときに、同時に物凄く技術のありそうなハッカーが侵入してきてましたよ」
『あぁ、じゃあそれだ。見るだけ見て害を為す気はないから安心してよ。その情報もらってピンときたよ。藤波君は獲得した協力者を両角重則に取り上げられる。その前に、死亡もしくは失踪というかたちで逃がしていた。今回もそう。穂純ちゃんを協力者というかたちで確保すれば、両角重則の個人的な欲求を満たすために取り上げられるところだった。そうなることを予期して藤波君が預かり物を紛失もしくは破損させて、警察内部に穂純ちゃんを害する人物がいると察した降谷君が穂純ちゃんを警察から切り離した。藤波君がそうなるように仕向けたんでしょ?』
「えぇ……降谷さんにも協力してもらいました」
「!」
思わず零さんの顔を見た。
いつから……?
わたしの視線を感じ取ったらしい零さんは、こちらに顔を向けて目を細める。
「詳細に打ち合わせたわけじゃないさ。カード類が切り刻まれたのを確認した後、問い詰めたら"こうするしかない"という答えが返ってきた。"穂純千歳を害する気はないのか"という問いに、藤波は"はい"と答えた。……あの男にひとつ嘘をついたんだ。はじめになくなったのは運転免許証以外のカード類。藤波を問い詰めた後、時刻表と定期券を盗むことと、データの削除を見逃した」
あの男、というのは赤井さんのことだろう。ここでは名前を出してはいけないらしい。
たしか赤井さんに聞かせてもらった音声の中では、零さんは"はじめに定期券と時刻表がなくなった"と言っていた。それが嘘だったのだと言う。
ちっともわからなかった。現役の潜入捜査官がついた嘘を、容易く看破できるわけもないのだけれど。
「時刻表と定期券は、ちゃんとあるよ。僕がずっと持っていたから」
藤波さんは足元に置いた鞄から透明な袋を取り出した。真ん中の机の上に置かれたそれに手を伸ばし、中身を確認する。
わたしの自宅だった場所と会社の最寄り駅が印字された定期券と、山手線の駅名が入った時刻表。たしかに、わたしが預けた物だ。
確認を終えて、テーブルの上に袋を置いた。
「確かに返してもらったわ。……零さん。これは処分してもらってもいい?」
「あぁ。後で目の前で処分する」
もう不必要な物だ。それどころか、あってはならない物だ。
零さんは穏やかな顔をして頷いた。けれど藤波さんの方を向き直した時には、また感情の読めない顔に戻っていた。
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