204

 赤井さんに見送られて病院を出ると、白河さんに背を押されて入り口の脇に停められていた青いセダンに乗せられた。
 キャリーバッグはトランクに積まれ、言われるがままシートベルトを締める。

「もしかしてこれ、白河さんの……?」
「そ! 名前で選んじゃった。ティアナっていうの、可愛いでしょ?」
「日産……? 可愛い名前ですし……」
「正解。あそこは可愛い名前の車多いよねぇ」

 降谷さんは黙したまま助手席に座っている。左手には包帯を巻かれていたので、手当はきちんと受けたようで安心した。
 きっと、降谷さんと二人でいたら重苦しい沈黙に包まれていた。明るく話を繋げてくれる白河さんに助けられる。

「やー、びっくりしたよそのメイク! 別人かと思っちゃった」
「変装のプロに教わったので。……ベルモットじゃないですけど」

 降谷さんの肩がぴくりと跳ねたので、慌てて付け足した。
 有希子さんのことを知られるのもまずい気はするけれど、必要以上にベルモットと関わったと誤解されたくはない。

「とにかく無事で良かった。……ごめんね、何も気づいてあげられなくて」

 声の調子は明るかったけれど、それはこの重苦しい空気を慮っての話。
 きっと白河さんは、わたしの身分証に関わる一連の事柄について、何も知らなかった。

「……いいえ」

 首を横に振ると、白河さんは安心したように溜め息をついた。


********************


 公安で用意したという部屋に連れて行かれ、荷物を置いてシャワーを浴びさせてもらった。いい加減メイクも汚れも落としたかったから、すぐに勧めてもらえたのはありがたかった。
 さっぱりしてリビングに戻ると、白河さんは出かけているらしく降谷さんだけが床に足を投げ出して座っていた。
 急遽用意した部屋らしく、リビングにあるのは大きなラグとテーブルのみ。備えつけてあったらしい安っぽい棚などの家具が他にあるだけだった。
 何を話したらいいのかわからず、口を閉ざしたまま降谷さんとテーブルを挟む位置に座り込んだ。

「……左腕、大丈夫なの?」

 沈黙に耐え切れずに、テーブルの天板を見つめながら口を開く。

「あぁ、これぐらいの傷なら平気だ」

 存外普通の調子の声で返事がされた。そのことに安堵してしまう。
 ほっと息を吐くと、降谷さんは首の後ろを掻いた。

「……それより」

 言葉とともに、テーブルの上に降谷さんの右手が載せられた。退かされた手の下からは、煙草の箱とライター、携帯灰皿が出てきた。
 セーフハウスにいる間、毎夜吸っていた物だ。

「白河さんが荷物のチェックをした時に見つけたと言っていた。誰の物だ?」

 少しだけ不機嫌そうな声に、思わず降谷さんの顔を見る。眉を寄せて、声色どおりの不機嫌な表情を浮かべていた。

「わたしの。そっか、すっかり忘れてた。ベランダ出ていい? もったいないから吸い切ってくる」

 たしか二本しか残っていなかったはずだ。
 降谷さんが"良い"とも"駄目だ"とも言わないので、止められないならいいかとテーブルの上に載せられた物を持って立ち上がった。
 玄関からパンプスを持ってきて、ストラップを留めずに履いて手摺に肘を載せた。
 箱から一本だけだして口に咥え、息を吸いながら火をつける。羽織ったカーディガンのポケットにライターを突っ込み、肺まで吸い込んだ煙を細く吐き出した。煙草独特の筋を持った煙は、ふわりと漂って空気に溶けていく。鼻腔を抜ける紅茶の香りに目を細めて、煙の行く末を眺めた。

「……随分様になっているな。誰に教わったんだ?」

 背後から声をかけられて、驚いて肩が跳ねる。振り返ると、降谷さんがわたしと同じようにベランダに靴を持ってきて履いていた。

「……内緒」

 沖矢さんが煙草を吸う姿を他人に見せていたかどうか、記憶に自信がない。
 下手なことは言わない方がいいだろうと、隠すことにした。
 降谷さんは溜め息をついて、窓を閉めるとわたしの横に立った。わたしが持っていた煙草の箱を奪い、残った最後の一本を口に咥える。褐色の手で、箱がぐしゃりと握り潰された。箱は降谷さんのズボンのポケットに突っ込まれる。
 吸うのかと思いカーディガンのポケットにしまったライターに手を伸ばすと、手首を掴んで止められた。

「ん」

 降谷さんは身を屈めて、煙草の先を近づけてくる。
 ライターならあるのに、わざわざわたしが吸っている物から火を欲しがるのか。
 よくわからないなと思いながら、煙草を咥え直して指で支え煙を立たせる煙草の先を近づけた。
 同時に顔も近づいて、至近距離で降谷さんの青い瞳を見てしまう。
 煙草の先を見ているのだとは理解しているけれど、まるで口元を見つめられているようで、吸う息が細くなった。
 それでも何とか火は点いたようで、ゆっくりと降谷さんの顔が離れていく。
 煙草を口から離して、煙を吐き出した。細い筋のように立つ煙が、変わらず空気に溶けていく。
 降谷さんは目を伏せて吸った煙を味わうと、青い瞳を半分だけ覗かせて溜め息をつくかのように細い煙を吐いた。
 端正な横顔を見ていると、ぱちりと視線が合う。すっと細められた目に、心臓が小さく跳ねた。

「甘ったるい。こんなので口寂しさは誤魔化せたか?」

 煙草を吸っていた理由を言い当てられて、苦笑いが漏れた。
 病院での赤井さんとのやりとりを思い出して、目を細める。

「赤井さんに靡かない程度には」

 降谷さんは片頬をひくりと引き攣らせて、苦く笑った。

「……それは大いに感謝しないといけないな」

 三口目を吸うと、降谷さんにそのさまをじっと見つめられる。
 "何も面白いことはないのに"と思いながら、肺を通した煙を吐き出した。
 降谷さんは眉を下げて切なげに笑い、紫煙の立ち昇る煙草に視線を落とした。

[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -