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視界を塞がれたまま降谷さんに移動させられ、迎えに来ていたらしい車に乗せられた。
後部座席には白河さんが乗っていて、その隣に座ると顔を覗き込まれる。
「穂純ちゃん、背中に血がついてる、怪我したんじゃ……」
慌てて首を横に振った。
背中についているのだとしたら、それは降谷さんの血だ。わたしを抱えて車から脱出するときか、今しがた抱えられたときについたもの。
「わたしは平気……たぶん、降谷さんのです」
「……そっか」
降谷さんが助手席に乗り込んで、白河さんに渡されたパーカーを着てフードで顔を隠した。
二人の部下らしい人が"出しますね"と言って、車を発進させる。
「ごめんね、電話」
白河さんが振動するスマホを取り出して、耳に当てた。
『もしもし、白河さん? 千歳さんと合流できた?』
聞こえてきたのはコナンくんの声だ。
「うん、安室君と一緒に拾ったよ。一旦病院に連れて行って、怪我がないのを確かめたらこっちで用意した部屋に泊める。病院に彼女の荷物持ってきてくれる?」
『わかった。FBIの人にお願いしておくね』
ミネラルウォーターのペットボトルを渡されて、それを開けて飲む。喉の渇きを今更自覚した。
白河さんはコナンくんといくつか情報を交換して、通話を終えた。
車はしばらく走り、やがて警察病院に着いた。
人目につかない入り口の前に停められた車から降りると、白河さんにパーカーを脱ぐように言われる。素直に脱ぐと、白河さんはそれを裏返して丸めた。
「ガラス片がやたらとくっついてるから、着たままだと危ないよ。降谷君も掃っときな」
「えぇ」
下ろしたままの髪も手を差し入れて揺らされ、ぱらぱらと破片が落ちる。
「穂純ちゃんはこっち。明るいところで怪我がないか確認するから」
白河さんに連れられて、病院の中に入る。
診察室に連れていかれ、簡易ベッドに座らされた。
明るい場所で見ると、ストッキングのところどころが伝線して、うっすらと血が滲んでいた。降ってきたフロントガラスの破片で切れてしまったのかもしれない。ブーツを脱がされてよくよく見れば、足にもガラス片が刺さっていた。
「穂純ちゃん、このブーツ大事なもの?」
「いえ、ガラスたくさん踏んだし……今回のために買った物だから」
「じゃあパーカーと一緒にこっちで処分するよ。すみません、手当お願いしますね」
「はい」
白河さんは看護師さんにそう言い残し、診察室を出ていった。
ストッキングを脱ぐと、傷口に刺さったガラス片を取り除かれて消毒された。ぴりぴりと痛むけれど、どうせすぐに治る傷だ。
それよりも、降谷さんの怪我の方が心配だった。
傷口に絆創膏を貼ってもらって、FBIの人が届けてくれたという荷物から持ってきてもらった靴を履いた。
看護師さんに連れられて診察室を出ると、ジェイムズ・ブラック氏と赤井さんが長椅子に座って待っていた。赤井さんは相変わらずフードを被ってサングラスをかけていて、顔を見られないように注意しているのだと理解する。名前も呼ばない方がいいのだろう。
「荷物、ありがとう」
お礼を言いながら近づくと、二人は立ち上がる。
「あぁ。俺の上司のジェイムズ・ブラックだ。ボス、彼女が穂純千歳です」
「初めまして。エドガーから君のことは聞いているよ」
「……初めまして」
握手を求められ、素直に応じた。
ブラック氏は眼鏡の奥の目を細め、穏やかな視線を向けてくれる。
「君の協力には感謝してもしきれない。謝礼は後日しっかり渡すようにしよう」
「……えぇ、こちらこそ、ありがとうございます」
お礼を言うべきなのは、わたしの方だ。
赤井さんはわたしがFBIに協力するという建前をつくってくれたけれど、わたしが関わる方法を見出してくれた、といった方が正しい。
「私は日本の警察と後処理の擦り合わせがあるのでね、これで失礼するよ。後は頼めるかね」
「はい」
ブラック氏は赤井さんに後を任せると、踵を返して病院の外に出ていった。
隣に座るように促され、赤井さんの横に腰を落ち着ける。
「足を怪我したのか」
「ガラスでちょっとだけ。大したことない」
「なら、いいが。これを渡しておきたくてな」
赤井さんは脇に置いていたわたしのキャリーバッグからノートパソコンを取り出した。
膝の上に載せて電源をつけ、パスワードを入力して立ち上げる。
渡されたUSBメモリを差し、表示されたフォルダを眺めた。
「PDFと、MP3……音声データ?」
「あぁ。パスワードはかけられるか? 明日、君たちに必要になる物だ」
宇都宮さんから購入したソフトを使い、赤井さんが背を向けて見ないようにしてくれているところでデータにパスワードをかける。
「……できた」
「よし、あとは安室君に見せればいい。タイミングは指示される。この案件は、もう俺の手が出せるところにはないんでな。これが俺にできることの限界だ」
こちらに体を向け直してくれた赤井さんの顔を見上げる。
「どういう……」
「明日、安室君と一緒にそのファイルを見ればわかる」
赤井さんが答えなければ、それはわたしに必要ないと考えているか、後でわかると知っているから。今回は、きっと後者。
それならどれだけ食い下がっても、答えはもらえない。
「……わかった」
パソコンの電源を落とし、外したUSBメモリを握り締めた。
節くれ立った指が頬を包んできて、不思議に思いその手の持ち主である赤井さんの顔を見上げる。
赤井さんは口の端を僅かに上げて笑っていた。
「君に頼られるのは存外悪くなかった。今後もぜひ――と言いたいところだが、それは彼らが許してくれないようだ」
つ、と逸らされた視線の先には、機嫌の悪そうな降谷さんと白河さんがいた。物凄い顔で赤井さんを睨んでいる。
苦笑いするしかなくて、ノートパソコンをキャリーバッグの中に戻して立ち上がった。
左手を取られ、親指で指の背を撫でられる。
顔を近づけられて、指先に赤井さんの唇が触れた。合わさって逸らすことを許してくれない視線に射抜かれる。
背後にいる二人には、わたしの体で隠れて見えないだろう。キャリーバッグを持つために身を屈めて、赤井さんの顔のそばで囁いた。
「……仕事ならいくらでも受けるわ。危ないことはできないけれど」
赤井さんは息を漏らすように微かな笑い声を落として、最後にキスをした指先を握ってするりと手放した。
喫煙が見つかった夜に見せたような苦笑いに、ひっそりと息を呑む。
穏やかなのに、応えられないことが苦しくなるような、そんな、微笑みだった。
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