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 公園に走って戻ると、赤井さんたちは既に戻ってきて代金を分けていた。
 普段碌に運動をしていない体は、すぐに息切れを起こす。
 演技の必要がなくていいかと気にしないことにして、赤井さんに駆け寄った。
 赤井さんは背中を擦りながら、"何かあったのか"と聞いてくれる。

「はじめ……! どうしよう、隼斗くんがいなくなっちゃった……!」

 何だ何だと視線を集めてくるメンバーたちに、赤井さんは桜木くんがいなくなったことを英語で伝える。

≪逃げられたか、処分しねぇとまずいな≫
≪すぐに探す。ちせに金を渡しておいてくれ≫

 赤井さんは車に乗り込んですぐに動けるよう準備を始めた。
 自分がお金に触れることのないように、上手く立ち回ってくれた。
 メンバーの一人の男が、膨らんだ茶封筒を持って近づいてきた。

≪ちせ、ハジメに渡しといてくれよ。……つってもわかんねぇよな≫

 封筒の中身を見せられて、分厚い札束が入っているのを確認する。
 手を出すと、わたしに話しかけてきた男はそれを上に載せてくれた。
 封筒を持って86の助手席に乗り込むと、赤井さんはすぐさま車を発進させた。

『赤井さん、千歳さん! 桜木隼斗さんも公安の車に乗れたみたい。スマホの電源も切らせたから、追われる可能性は低いよ』
「了解した。以後の計画にも変更はないな?」
『うん!』

 赤井さんは車を走らせて、さっきまでわたしと桜木くんがいた場所の近く、人通りのない道の路肩に車を停めた。
 助手席の窓ガラスをノックされ、開けるとそばに風見が立っていた。

「穂純、封筒を」

 持っていた封筒を渡すと、風見は手袋をした手で受け取って中身を一枚だけ取り出す。スマホのライトで手元を照らすと、風見はそれを見て溜め息をついた。

「心配していたほど精巧な出来ではないな。さっさと回収するに越したことはないが……」
「そっか、良かった」
「これを持っていたことで売人を引っ張ることもできるし、流通元だからと我々の目的を果たすこともできる。ご協力感謝します」

 風見はやっぱりFBIの人間に対しては思うところがあるのか心から納得のいっていない顔で、けれども律儀に運転席に座る赤井さんに向けてお礼を言った。

「いや。連絡はついているのか?」
「えぇ、監視も外れましたので。予定通りの場所に行っていただければ、後は引き継ぎます」
「了解した」

 ギアが切り替えられ、車が進み出す。助手席の窓を閉めて、赤井さんの顔を見上げた。

「さっきの、どういうこと?」
「ボウヤを通じて公安とも連携を取っているからな。君が気にする必要はないさ」

 赤井さんが言わない以上、聞いてもわたしには必要のないことと答えてくれる気はなさそうだ。
 息を吐いて、前を向いた。
 しばらく走った後、赤井さんは工場の跡地に入って適当な場所に車を停めた。

「千歳、もうすぐこのスマホに連絡が来る。内容はおそらく"池田一"と"ちせ"が裏切り者だということだ。"安室透"もそうなのかと訊かれたら頷いていい。いいか、ロシア語でもギリシャ語でもいい、挑発して桜木隼斗のことを忘れさせろ。取引相手にはもう手の出しようがないとわかっているはずだからな」

 スマホを渡されて、それを受け取ってしっかりと手に持った。

「……桜木くんから意識を逸らせさえすればいいのね?」
「あぁ。君の護衛は公安に引き継ぐ。担当者は君もよく知っている人物だ、警戒する必要はない」
「わかった、けど……」

 さっき別れた風見であるはずがない。白河さんも車を買ったことは聞いたけれど、スポーツカーを操れるほどではないはずだ。だと、したら。

「赤井」

 赤井さんを呼ぶ声に、体が強張った。
 逃げられないように赤井さんに腕を掴まれた状態で、会話に耳を傾ける。

「呼び立ててすまないな」
「まったくですよ。理由が理由なので目は瞑りましょう。首尾は?」
「現時点では計画通りだ。まだ電話はかかってこない」
「了解。敵の戦力はどう見てますか」
「スナイパーが少なくとも三人。それ以外も銃は使えそうだ。リーダーとその恋人が襲撃された直後、全員懐に手を入れていた。スナイパーはこの車に気を取られているところを狙って無力化しよう」
「わかりました。追手は僕が引きつけて、可能なら無力化します」

 淡々とかわされる会話を聞いて、赤井さんの話の相手は降谷さんなのだと確信する。
 赤井さんがわたしの肩を慰めるように叩いて車を降り、入れ替わるようにして降谷さんが乗り込んできた。
 シートの位置を調節しながら、"腹の立つ足の長さだな"と呟く。調整を終えていつでも走れるようになると、青い瞳がこちらに向けられ、視線が合った。

「……穂純さん」

 名前を呼ばれて返事をしようとした瞬間、赤井さんから預かったスマホが着信を知らせた。
 スマホと降谷さんの顔とを交互に見ると、降谷さんは気まずそうな顔で手のひらを見せて着信に応じるよう促してくる。
 通話状態に切り替えて、スピーカーフォンに設定してから、スマホをイヤホンをつけていない耳に当てた。

『ハジメ、てめぇ今どこにいる? ハヤトは見つかったのか!? 薬がすり替えられてた、何か知ってんだろ!』

 英語で捲し立てられ、どう答えたものかと悩む。
 挑発しろ、とは言われたけれど。赤井さん相手にするように可愛げのない返事でもしておけばいいのだろうか。

≪もう気づいたの? 存外早かったのね≫

 英語で返すと、電話の向こうの声が息を呑んだ。

『……チセ、か?』
≪ご名答。薬のすり替えのこともね。手引きしたのはわたしたち、正解よ≫
『どういう……ことだ。てめぇはハジメの――』
≪ペット? そうね、だってその方が興味を持ってもらえるじゃない。相手に取り入りやすい人間になるのが、今回みたいに騙すコツではなくて?≫
『っ、ハヤトを逃がしたのもてめぇか?』
≪えぇ、今頃安全な場所にいるでしょうね。妹も一緒に≫

 イヤホンからは、赤井さんの"その調子だ"という声が入ってくる。

『……金返させるだけじゃ済まさねぇぞ』

 怒りの滲んだ低い声に、鼻で笑って返した。

≪金? あんな紙切れに価値があると思ってるの? 出来の悪い偽札掴まされた間抜け共が、まだ気づいてなかったのね!≫

 わたしにできる最大限の挑発に対して、電話の相手は腹の底からの怒鳴り声をぶつけてきた。
 スマホを耳から離して、終話ボタンをタップする。

「……降谷さん。あとは任せるわ」

 画面が真っ暗になったスマホに視線を落としたまま、言葉を口にする。
 降谷さんはシフトレバーに左手をかけて、ぐっと握り締めた。

「任された。君のことは必ず守る。……必ずだ」

 投げやりになったわたしのことを知っているかのように重ねられた言葉に、どくりと心臓が跳ねた気がした。

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