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 お風呂上がりでぽかぽかした体に気分が良いようすの有希子さんが出てきた。
 リビングを見て、こてっと首を傾げる。

「あら、コナンちゃんは寝ちゃったの?」
「えぇ、もう眠かったみたいで」

 有希子さんは相槌を打って、わたしが座るソファの向かい側に座った。

「あの、有希子さんは明日帰られるんですよね」

 挨拶は今のうちにしておこうと、話を振ってみる。

「そうよ。そろそろ優作も寂しがるだろうし。明日以降はここも危ないかもしれないから、ロスに帰った方がいいってコナンちゃんと秀ちゃんにも言われちゃった。二人ともメイクは上達したし、何も心配してないわ! でも気をつけてね、秀ちゃんがいるから大丈夫だとは思うけど、やっぱり心配だもの」

 可愛らしい顔に心配の感情をめいっぱい載せて、わたしの身を気遣ってくれる。
 自分の子を巻き込んだわたしに対して、嫌な顔ひとつせず良くしてくれた。

「……巻き込んでしまってすみません」

 コナンくんの――新一くんのことも、有希子さんのことも。
 どうしても謝っておきたかった。だけど、許されたいとも思わない。
 下げた頭を上げて、きょとんとする有希子さんの顔を見た。

「色々と気遣っていただけて、本当に助かりました。ありがとうございました」

 笑顔を浮かべてお礼を伝えると、有希子さんも破顔した。

「いいのよ、あの二人に頼まれてやったことだから。でも"そうしたい"と思わせたのはあなたの人望。またのんびりお茶でもしましょうね。……さ、もうお風呂に入って寝ちゃった方がいいわね。明日は昼間から出かけるんでしょう? 眠れるときはしっかり寝なくちゃ、美容にも良くないわよ」
「はい、そうします」

 部屋に着替えやスキンケア用品を取りに行って、脱衣所に入ってドアを閉めた。
 捨てがたいものは増えるばかりで、本当に捨ててしまったものは思い出として懐かしめるくらいには心の奥をきりきりと痛めつけてこなくなった。
 後悔は先に立たない。いま悔いても遅いことはわかっている。
 終わりが見えてきたことに安堵すると同時に不安が膨らんで、そんな自分がどうしようもなく嫌いになりそうだった。


********************


 翌朝、起きたら有希子さんが朝食を作ってくれていて、顔を洗った後慌ててそれを手伝った。
 朝食を食べたらすぐにホテルに戻ってチェックアウトし、その足で空港に向かうそうだ。
 赤井さんはもう少し眠っているだろうし、昨日のうちに話は済ませてあるという。
 学校があるからと起き出してきたコナンくんと一緒に朝食を食べて、有希子さんを見送った。

「コナンくん、食器とかはどうしたらいいの?」
「引き払う時にボクと赤井さんでまとめるよ。要らない物はリサイクルショップに持って行くから。千歳さんは自分の荷物だけまとめておいて。じゃあ、ボクは学校に行ってくるね! 赤井さんが一緒だから大丈夫だと思うけど、気をつけてね」

 洗い物をしながらランドセルを背負ったコナンくんを見送って、親子で同じことを言うのだなと微笑ましい気持ちになった。
 片づけが終わっても赤井さんは起きてこなかったので、ひとまずいつでも出かけられるように着替えてメイクをした。病的に見える顔をつくるのに、すっかり手慣れてしまった。できればもう使う機会は来ないでほしい。
 出かける準備も荷物の整頓も終えて、ソファに座りスマホでメールチェックをしていると、赤井さんが起き出してきた。

「おはよう。有希子さんは帰ったし、コナンくんは学校に行ったわ」
「そうか」
「朝ご飯は食べる? 温めれば食べられるけど」
「頼めるか?」
「うん」

 赤井さんは首の後ろを掻きながら洗面所に向かった。
 ソファから立ち上がり、キッチンに入って有希子さんがラップをかけておいてくれた赤井さんの分の朝食を温めた。
 テーブルに並べ終わる頃に赤井さんが戻ってきて、お礼を言って食べ始めた。
 食べ終わるまではナンプレのアプリで暇つぶしをして、食器を洗おうと立ち上がったら制された。
 大人しくソファにもう一度落ち着くと、赤井さんは食器を流しに置いた後テーブルを拭いて布巾をすすぎ、絞って横に置いて食器を洗い始めた。長身の赤井さんにはシンクの位置が低いのか、少し身を屈めている。
 家事をやってくれるような人と結婚したら、こんな感じなのだろうか。

「……そんなに見られるとやりにくいんだが」
「え? あぁ……ごめんなさい。旦那さんの家事を眺めてるみたいで面白いなって思って」

 素直に思っていたことを口にすると、赤井さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「君は俺が安室君に殺されるのをそんなに見たいのか」
「どうしてそういう話になるの!?」
「俺との結婚を想像したなどと安室君に知られたらどうなると思う」
「えぇ……? 別にどうもしないんじゃないの……」

 どのみち、赤井さんのために潜入に協力していると思われているのだ。
 あれだけわたしに対する呆れを見せた降谷さんが、今更わたしに対して何か思っているとも思えない。
 赤井さんは深い溜め息をついた。

「……君は彼と話すべきだ。刹那的なものだと思うな。君の悪い癖だろう? 付き合いが長くないと思えば簡単に切り捨ててしまうのは」

 反論することができずに、押し黙る。
 だけど今更、何を話せばいいというのか。

「もう……いいの」
「もういい、とは?」
「彼のそばにいられる理由がない。……合理的な理由がなければ、一緒にはいられない。だからいいの。話せることがあるとしたら、どうやってわたしを殺したことにするか。それだけ」

 不思議と涙は出なかった。これも降谷さんのことを切り捨ててしまったからなのかと、少しばかりショックではあるけれど。
 赤井さんはまたひとつ溜め息をついて、蛇口を閉めて乾いた布巾を手に取った。

「そうか。……君がそうしたいなら止めはしないさ。国外に逃げるなら手も貸そう。安室君がそうさせてくれるかどうかは別としてな」

 含みのある物言いに引っかかりを覚える。
 けれども赤井さんはそれ以上を語る気はないらしく、食器を拭き終えるとさっさと出かける準備を始めてしまった。

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