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 すぐに寝入ってしまって、目が覚めたのは交代の時間の少し前だった。
 そばに置いていたスマホで時間を見て、そろそろか、と息を吐く。

「起きたのか」
「うん」
「コートを返してもらっても? すぐに交代の時間になる。……"ちせ"が起きているのも不自然だな」

 それは確かに。
 コートを返し、床に座り込んで赤井さんの膝に腕を乗せて寝たフリをすることにした。体が落ち着く場所を探り当てたところで、ドアがノックされる。
 赤井さんが返事をすると、ドアが開けられる音がした。

≪チセはおねむか。問題は?≫
≪ない。誰もロッカーに触れちゃいないさ≫

 脇に手を差し入れられ、子どもよろしく抱き上げられた。
 抱えられて、どうしようもできないまま目を瞑って脱力することに専念する。
 交代したメンバーに見送られて部屋を出て、近くの公園まで行ってようやく赤井さんは下ろしてくれた。
 ベンチに座らされ、足元に持ってきたブーツを置かれる。
 赤井さんが持ち帰ってきたゴミを備えつけられているゴミ箱に放り、自動販売機の前に立って何か考えているのを眺めながらブーツを履いた。
 紐を結び直したところで、目の前にずいとミルクティーのペットボトルが差し出された。

「……ありがとう」

 受け取ると、赤井さんは自分の缶コーヒーを開けて口をつける。

「あぁ。……これで組織の方の問題は片づくだろうな」
「うん……」

 バーボンは標的の溜まり場となっているバーに潜入して、取引に関する情報を得た。
 疑われないために彼はそう報告するし、ベルモットもそれに合わせる。あの中でどんなやりとりがあって、どうやって薬物の回収までの段取りをしたのか。それは、他の人間にはわからない。
 温かいミルクティーを飲むと、口の中に甘さが広がった。


********************


「カルーア・ベリーとガトーショコラを、風見さんに」

 注文をすると、馴染みのバーテンダーがにこやかに頷いてくれた。
 このバーに来るのは久しぶりだ。藤波さんと会って以来。
 昼間出かけたら風見に会って、さりげなく渡された手紙で呼び出されて、いつもの手筈でここに来た。
 案内されて二階へ行き、風見が待つ部屋に向かう。中に入ると、風見はほっとした様子で迎えてくれた。
 ソファに向かい合って落ち着くと、カクテルを勧められる。素直に受け取って口をつけた。

「体調は崩していないか。随分とストレスに晒されているだろう」
「大丈夫よ。昼間はとっても良くしてもらってるから」

 有希子さんがずっといて、空気を明るくしてくれている。眠る前は、赤井さんが話し相手になってくれる。
 食事は美味しいし、お風呂ものんびり入っていてもかまわないという空気を作ってくれているからリラックスできる。
 疲れを感じないわけではないけれど、降谷さんのためだと思えば何ということはなかった。

「それなら良いんだが。……明日の夜、いよいよだな」

 風見はウイスキーのグラスを傾けながら、深い溜め息をついた。

「うん、……明日」
「桜木隼斗と桜木由香、両名の保護の手筈は整えてある。何も心配しなくていい。それよりも、自分の心配をしてくれ」
「そうね。ずっと、気になっていたことがあるんだけど」
「なんだ?」
「どうやって標的の取引相手を捕まえるの? 組織の人間が薬物をすり替えた。彼らが受け取るのはただの小麦粉でしょう?」

 ずっと不思議だった。薬物の押収を諦めたとして、それならどうやって決定的な証拠を持たない集団を捕まえるのか。
 答えられないことなら聞かない、と付け足すと、風見は眼鏡の奥の目を細めて、口角を上げた。

「馬鹿正直に薬物の違法取引でしょっ引くと言った覚えはないぞ。奴らには通貨偽造罪の嫌疑もかかっている。組織は値を吊り上げられるルートを知っているから、高値で取引できる。なら、奴らはどうだ? なぜあんな高額で取引がまとまった?」

 売る側はできるだけ高値をつけたい。買う側はできるだけ安く買いたい。
 お互いの納得できる点が見つからなければ、破談。
 でも、買う側が高額でも納得するとしたら。その理由が、喉から手が出るほど欲しいから、というものではなかったら?

「……買う側は偽造通貨を使う気だから?」
「そうだ。本物でないのだから、奴らにとっては大きな出費でも何でもない。我々にとっては流通を阻止しなければならない代物だがな」
「待って。すり替えと、偽造通貨での支払いと……どっちかがバレたら」

 わたしたちが潜入しているグループは、お金を受け取ってさっさと退散するものだと思っていた。
 でも、何かけじめをつけなければならないことができたとしたら、抗争は避けられない。

「あぁ、だからその前に桜木由香の保護と同時に事務所も押さえて構成員をまとめて叩き、ロッカーに荷物を取りに来た人間も捕まえる。そのために何年もかけてマークしてきたんだ。銃刀法違反でも何でもいい、必要なら作業班の人間を送り込んで恐喝でもさせればいい。……そして、捕まえた人間に電話で薬物が偽物だったことを伝えさせる。警察に取引を嗅ぎつけられていた、ということもな。桜木隼斗の保護もこの頃するつもりだ」
「……偽造通貨で支払いをした側は警察に拘束されて、彼らは警察から逃げなければならなくなる。怒りは……薬物をすり替えた人間に向く?」
「そうだ。まず怪しまれるのは、"池田一"と"ちせ"、次いで"安室透"だろうな」

 薬のすり替えが目的で接触してきた、そう想像される可能性が高い。
 "池田一"の紹介であのバーに雇われた"安室透"も、同様に。

「……ここまで言えばわかるな。穂純、お前は囮だ。最後の最後で、一番危険な役目を負ってもらう」

 彼らはマフィアである親たちよりも過激で、見境なく――凶暴なグループだ。
 たとえ警察から逃げなければならなくなったとしても、持っている武器を使い、自分たちを虚仮にした人間に報復をするだろう。
 まっすぐに視線を合わせてくる風見の瞳は冷徹だ。……わたしに恨まれることすら覚悟した、公安刑事の目だった。

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