194
「……えぇ、ではお願いします」
通話を終えた降谷さんは、スマホをポケットに戻すとわたしの顔を見下ろしてきた。
不機嫌さが滲み出ていて怖い。
「……あの、ごめんなさい」
「それは、何に対する謝罪ですか?」
首元に手が伸びてきて、襟に仕込んだ盗聴器が外される。手の甲にうっすら筋が浮いて、指に挟まれた盗聴器がばきっと音を立てて壊された。スマホを入れたポケットにも手を突っ込まれ、発信器も見つけ出される。同じように壊されて、赤井さんたちに状況を知らせる手段がなくなってしまった。でも、ベルモットに気づかれる前に外しておこうという算段なのはわかった。
「迷惑を……かけたから。一昨日も……今日も」
「僕はそんなことを謝って欲しいんじゃない」
硬い声が、身を竦ませてくる。俯いて黙り込んでいると、深い溜め息が降ってきた。
何を言っても、降谷さんの呆れを加速させることにしかならない気がする。
身を固くしていると、視界の端に綺麗なブロンドがちらついて、色気を感じる香水の匂いにふんわりと包まれた。
「バーボン。可愛がってた子猫が身の程知らずな行動をしたからって、そんなに怒っちゃ可哀想よ」
降谷さんの背後から出てきて横に立ったベルモットに、慰めるように肩を叩かれた。
高いヒールで歩いているというのに、足音が聞こえなかった。さっきついて来ていた人物との違いに驚いてしまう。……ついて来ていたのがわたしでも気づけるレベルの相手で、かえって良かったのかもしれない。赤井さんのいるセーフハウスを知られるわけにはいかない。
ベルモットが来たからか、降谷さんはわたしに向けてはそれ以上何も言わずに、セーフハウスの最寄り駅を伝えて踵を返す。駅からなら、遠回りになるけれど人通りのある道だけを通って帰れる。セーフハウスが割れることも避けた結果、一旦駅に行くという結論になったのだろう。
着崩した服を直しながら歩く背を見送ることしかできなかった。
残ったベルモットに促されて、駅の方へ歩き始める。
「バーボンに知られちゃったわよ。私がアナタと連絡を取り合っていると知ったときの彼、怖いったらなかったわ」
くすくすと笑う声は愉しそうで、ちっとも怖いと思っていないことがわかる。
一頻り笑って落ち着いた様子で、ベルモットはハンドバッグの中に手を入れた。
「いいタイミングだから、これを渡しておくわね。明日は持っている携帯の電源はすべて切っておくこと」
スマホを手渡されて、素直に受け取った。
「わかったわ」
「終わったらバーボンに返して頂戴。守ろうとして遠ざけたアナタがこんなところにいるから、苛立っているだけよ。アナタに不利な行動は起こさないわ」
"からかい甲斐があって面白い"と言いたげな弾んだ声で慰められた。
どういう段取りで薬をすり替えるつもりなのかも教えてくれて、それを頭に叩き込んだ。
駅に着いてタクシーに乗り込むベルモットを見送り、赤井さんに電話をかけた。
『すまなかった』
開口一番に謝られて、苦笑してしまう。
「怒ってないよ。……ちょっと怖かったけど」
『俺はどうにも安室君の気に障ることばかりしてしまうらしいな』
「自覚あったの。……わたしも大概だけど」
電話をしながら歩いて、セーフハウスに帰り着いた。
部屋に着いて、中に入りドアを閉めるとどっと疲れが押し寄せる。
深く息を吐くと、コナンくんが駆け寄ってきた。
「千歳さん、大丈夫?」
丸い頭を撫でて、笑んで見せる。
「大丈夫。ベルモットが薬のすり替えの段取りを教えてくれたの。共有してもいい?」
「! うん、教えて」
買い物に出かける前に有希子さんがミルクティーを淹れてくれて、有希子さんを見送ってからそれを飲んで一息つき、話を始めた。
ベルモットとバーボンは、適当な人物に変装してロッカーに向かう。
ベルモットは道路側のロッカーの扉を開け、荷物を取り出すフリをして通行人の視界から薬物が入っているロッカーを隠す。その隙に、バーボンがアタッシュケースをすべてすり替える。三つものアタッシュケースをどうやって目立たないように運んでいくのかと思ったら、既に布製の大きな袋で隠してすぐそばのロッカーに仕込んであるらしい。だから、バーボンは近くのロッカーから出したケースを目的の物と入れ替えるだけでいい。その場ではひとつだけ袋に入れて隠しながら持ち帰り、残りはあらかじめケースを仕込んでいたロッカーに袋に入れて戻しておく。そして、時間が立ってからまったく別の人間に変装してそれぞれ一つずつ取りに来る予定なのだそうだ。
どうしたって目的のロッカーの近くにいれば警戒されてしまう。実行日を池田一とちせが見張り番をする日にすれば、その心配もない。
ベルモットとバーボンが計画しているすり替えの方法を聞いたコナンくんは、引き攣った笑いを浮かべた。
「はは……さすが、って言うべきなのかな……。もう準備は万端だったんだね」
「そうなの。わたしたちは、メンバーがロッカーに近づきそうならベルモットに警告の連絡をするだけ。目的のロッカーに何かするときだけでいいから、ごく短い時間ね」
「二回目に取りに来るときは、目的のロッカーには触らないからね。……わかった、じゃあメンバーがロッカーに近づきそうになったら、ボクが赤井さんにメールで連絡するね。それを見て、千歳さんがベルモットに連絡して。赤井さんは声は出せないからさ」
「えぇ、ベルモットとの接触はわたしがする。赤井さんとコナンくんがそれをする必要はない」
「助かるよ」
元々巻き込んでしまったのはこちらだ。
荒事は赤井さんが引き受けてくれているけれど、こんなところでベルモットに赤井さんの生存がバレてしまってはキールまで巻き込んで芝居を打った意味がなくなってしまう。
それだけは、どうしても避けなければならなかった。
どのみち、ベルモットは今わたしに有用性を見出してくれているのだ。だから今のところは殺される心配はない。
今夜もバーに顔を出して、早めに引き上げてセーフハウスで仮眠を取る。そして、早朝の交代の時間に見張り場所に行くことになっている。
緊張で冷える指先をティーカップで温めながら、コナンくんたちの打ち合わせに耳を傾けた。
[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]