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「由香ちゃん、ピザを取ったりすることはある?」
「うん……時々、ごはん作るのめんどくさくて」

 良かった。人が来ても不審に思われない状況だった。
 多分定期的に頼んでいる、顔見知りのピザ屋でもあるのだろう。両親は家にいないらしいし、気にかけてもらっているのかもしれない。
 突然ぱったりと注文が来なくなったら、心配されるかもしれない。外面は普段通りに見せろと言われているから、その生活も変えなかったのだろう。

「いつも何を頼むの?」
「普通のだよ。マルゲリータとか」
「じゃあ、それは変えないで。もしも頼んでいないのにはちみつピザを届ける人が来たら、その人が由香ちゃんを助けてくれる。いい? いつも通りに玄関から出て、それからその人に従って」
「……わかった。はちみつピザを注文しないようにする。お兄ちゃんは?」
「そっちも大丈夫、ちゃんと助ける。だから下手に隼斗くんに連絡しないでね。とにかく、由香ちゃんは今まで通りに、外では普通に、家では怯えながら過ごすこと。できる?」
「うん」

 由香ちゃんは力強く頷いた。
 ほっとした様子の由香ちゃんは、オレンジジュースを一口飲んで、わたしをじっと見た。

「ちせさん、ホントはもっと大人なの?」
「どうして?」
「だって、今ちょっと雰囲気違ったよ」

 由香ちゃんの信頼を得るためにも、"ちせ"の態度は崩していいと赤井さんに言われたけれど。あっさりそれを掴まれてしまった。
 笑みを浮かべて、はぐらかすことにした。

「……全部終わったら、また会えるといいね。そしたら教えてあげる」

 納得はできていない様子だったけれど、食い下がってわたしの機嫌を損ねるのも下策だと考えたのか、それ以上は何も聞かれなかった。
 由香ちゃんが入れた曲が流れ終わって、部屋が静かになる。少し待つと、新曲の宣伝をするアーティストの映像が流れ始めた。
 話は終わったけれど、まだ一時間も経っていない。フリータイムで入った意味がないし、こんなに早く出たら怪しまれてしまう。

「……何か歌う?」
「え?」
「あと二時間ぐらいはここにいなきゃ、監視してる人にも怪しまれちゃう。……ストレス発散、したくない?」

 マイクを握らせてあげると、由香ちゃんは思い切った様子で曲を入れ始めた。
 誰にも相談できずに、監視されながら過ごすことで溜まる鬱憤はわたしもよく知っている。
 少しでも、由香ちゃんの気を紛らわせる手助けをしてあげたかった。


********************


「楽しかったぁ……!」

 カラオケボックスから出ると、由香ちゃんは思いっきり伸びをした。
 少しはストレスを発散できたようで何よりだ。
 待ち合わせ場所まで戻って、由香ちゃんと手を振り合って別れた。
 スマホをチェックするフリをしながら監視の男が由香ちゃんの後を追っていったのを確認して、赤井さんに電話をかけながら歩き始めた。

『上手くいったようだな』
「本当にあれで良かったの?」
『あぁ、後の段取りは引き継ごう』
「了解。帰るね」
『帰るまで油断するなよ』

 通話を終えてスマホをポケットにしまい、帰る足を速めた。
 ちせの姿で一人で外を出歩くのは不安だ。人通りの多い道を選んで歩くけれど、セーフハウスまでの道にはどうしたって人の通らないところもある。少しばかり性にだらしなさそうな印象与える格好をしているし、ネオン街の近いところは治安がいいとは言えない。
 ふと、後ろをついてくる足音が耳についた。ヒールの音、だろうか。カツカツと地面を蹴る音がしている。
 ばくばくと心臓が鳴る音がうるさい。誰だろう、ターゲットの中にもヒールを履いている女性はいる。そのうちの誰か?
 歩調を速めると、後ろをついてくる足音のリズムも速くなった。角を曲がると足音は走るようなものになって、追ってきて曲がるとまたわたしの歩調に合わせられる。……これは、完全につけられている。
 ポケットに忍ばせた発信器に手を伸ばす。ボタンを探し当てて押そうとした瞬間、肩に誰かの手が置かれた。

「っ!!」

 驚いて勢いよく振り返り、触れてきた人物を確かめる。
 見慣れた金髪に、褐色の肌。着崩した服とサングラスのせいで、軽薄そうな印象を与えてくる。

「女の子がこんな道を一人で歩くのは感心しないね。このあたりが治安悪いのを知らないのかな」

 にっこりと笑って立っていたのは、降谷さんだった。
 手を掴まれて、少し強引に引っ張られる。

「人通りの多いところまで送ってあげるよ」
「え、ちょ……っ」

 早足で進んでいく背を小走りで追いかける。ついてくる足音がいやに耳につく。
 角を曲がったところで、降谷さんはわたしを抱えて積み上げられた段ボール箱の陰に座り込んだ。小さく体を丸めさせられて、隠れたのだとわかって息を詰める。
 ちらっと見えた道の先は、十字路になっている。ついてきた足音はわたしたちが隠れる直前に曲がった角で止まって、後を追えないとわかったのか来た道を戻っていった。
 力強い腕に守るように抱き締められているという事実が、信じられない。少しばかり体温が高い手。良かった、温かい。驚きとうれしさとが綯い交ぜになって、尾行者が完全に立ち去ったことを確信するのを待つ間、動くことなんて考えられなかった。

「……行ったか」

 細く息を吐きながら、降谷さんが呟いた。
 はっとして、慌てて降谷さんの膝の上から降りる。サングラスを取った降谷さんは、どこか傷ついたような顔をしていた。

「なんで……」
「ついて来ていたのは桜木由香の監視をしていた男の仲間だな。……護衛は?」

 降谷さんはわたしの問いには答えず、来た道の方に視線を向けた。
 赤井さんのこと、だろう。首を横に振ると、降谷さんは眉を寄せた。

「今日は、わたし一人で行く必要があったから」

 慌てて取り繕っても、降谷さんの眉間の皺は深くなるばかり。威圧感がひどくて、泣きたくなる。
 降谷さんは徐に立ち上がると、手を差し伸べてきた。

「君は――」

 発された言葉に耳を傾けようとした瞬間、ポケットに入れたスマホが発信器とぶつかりながら振動して大きな音を立てた。
 慌ててスマホを取り出して、赤井さんからの着信だと確認して通話ボタンをタップする。

「は、はいっ」
『大丈夫か? 安室君の声がした。尾行されていたのか』
「うん……、いま助けてもらったの」

 立ち上がって、お尻や膝についた砂を払う。
 降谷さんはむっとした顔をして、ポケットからスマホを取り出した。誰かに電話をかけている。

「ベルモットですか? 今から言う場所に来てください。駅までキティを送って欲しいんです。僕が接触しているところをあまり見られるわけにはいかない」
『あら、一人でお散歩しちゃったのね。仕方ないわね、すぐに行くから待ってなさい』
「ありがとうございます。場所は――」

 赤井さんが来られないように、ベルモットを呼び寄せたような感じがする。
 盗聴器越しに話を聞いていた赤井さんは、"駅に着いたら電話をしてくれ"とだけ言い残して通話を切ってしまった。
 スマホをポケットにしまって、居た堪れない気持ちで降谷さんが連絡を終えるのを待った。

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