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桜木くんに頼まれた、由香ちゃんとの約束の日の朝。
メンバー全員に監視がついている状態なので夜もしっかり眠ったらしい赤井さんと打ち合わせをして、防犯カメラのないカラオケボックスを教えてもらった。
今日は休日で、コナンくんと赤井さんは打ち合わせをしたいらしい。音が立てられない状況で何かあったらボタンを押すようにと発信器付きの小さな機械を渡されて、それをポケットに忍ばせた。
大きめの柄が少しだけ入った白のVラインワンピースに黒のレザージャケットを合わせて、いつも夜履いているダークブラウンのブーツで足元を引き締めた。髪は下ろして、キャップを深く被って顔を隠した。ジャケットの襟に盗聴器をつけてもらい、コナンくんたちに聞こえるようにもなっている。
「これでいいですか?」
「いいと思うわ! 髪はもう少し胸元に下ろして、だらしなく見せた方が良いわね」
有希子さんがちょいちょいと手を加えて直してくれて、出かける準備が整った。
三人に見送られてセーフハウスを出て、由香ちゃんとの約束の場所に向かった。
待ち合わせ場所に着いて、辺りを見回す。
見せてもらった写真と同じ顔の女の子がいた。白いカットソーに黒のギャザースカート。キャメルブラウンのロングカーディガン。ショートブーツを履いて大人っぽく見せているけれど、長い髪をツインテールにしているので少し幼い印象を受ける。
その女の子に近づいて、袖を引っ張った。
「あなたが由香ちゃん?」
由香ちゃんと思しき女の子は驚いた様子で肩を跳ねさせてわたしを見て、細く長く息を吐いた。
「……ちせさん?」
「うん。カラオケでも行こっか」
「え?」
明らかに一般人じゃなさそうな空気を纏った男が、わたしでもわかるほどじっと由香ちゃんを見ている。
その男から口元を手で隠すように、顔の横にかかる髪を弄った。
「監視されてる」
「あ、それは……」
戸惑う由香ちゃんの手を握って、歩き始める。
「わたしあんまり混まないカラオケ屋さん知ってるの! パンケーキがおいしいから食べようよ」
少しはしゃいだ声を出して、監視の男にも聞こえるように話した。
監視はされるけれど、学校やその延長の交友関係には手は出されない。由香ちゃんの様子のおかしさに周囲が気づいて、取引が表沙汰になることを望んでいないから。そして、わたしはバーでしか関わっていないから、取引相手にわたしが仲間の一人であるとは知られていないはず。だから、面の割れている赤井さんはここに来ずに、セーフハウスで待機しているのだ。
ただの友人として由香ちゃんと接触すれば、カラオケボックスに行ったって不思議じゃない。止められもしないだろうというのが、赤井さんの考えだった。
由香ちゃんを連れて赤井さんに指定されたカラオケボックスに行き、ドリンクバー付きのフリータイムにして部屋に入った。
音楽なんてニュースのオリコンランキングで上位に入ったものや、テレビでよく取り上げられているもののサビくらいしか知らない。由香ちゃんに適当に流行りの曲を何曲も入れて流してもらい、テーブルに由香ちゃんが持っていた鏡を置いてドアの前に誰かが立ったらわかる状態にして、扉に背を向けて座って話をすることにした。
「ひどいことはされてない? 隼斗くんが心配してた」
鏡を眺めながら尋ねると、由香ちゃんはオレンジジュースを飲みながら頷いた。
「うん。私は平気……。お兄ちゃんは? メールじゃ大丈夫だって言ってたけど、本当に平気?」
「うまく仲良くやってる。元気だよ」
「そっか、良かった……」
心の底からほっとしたように息を吐く由香ちゃんを見て、お互いに兄妹想いなのだと和やかな気持ちになる。
「……でも、それもあと三日で終わり」
「え……?」
「はじめのことは知ってる?」
「あ、うん。ちせさんの、お兄さんみたいな人……でしょ?」
桜木くんは池田一とちせの関係は適当にごまかして話してあるらしい。
さすがに高校生の女の子に"飼い主とペットだ"とは言えなかったのだろう。
由香ちゃんの顔を覗き込むと、由香ちゃんの瞳が不安そうに揺れた。
「取引が終わったら、取引のことを知ってる隼斗くんと由香ちゃんは邪魔になる……」
「わ、私たちは……どう、なるの」
「"誰にも言うな"って、脅されるだけならまだいい方」
その後ちゃんと保護することができるから、生かしておいてもらえるのなら希望はある。
「……悪かったら?」
由香ちゃん自身もわかりきっているだろうに、諦めきれない様子で、引き攣った笑みで問いかけてきた。
「殺されちゃう。……それが、はじめの考え」
「ころ、される……」
由香ちゃんは実感が湧かないみたいに何度か呟いて、どうしようもなくなった感情をどうにか消化しようと、乾いた笑みを浮かべる。
高校生の女の子には、受け入れがたい事実だろう。ふと、コナンくんの――新一くんのことが脳裏に過った。頼もしい協力者がいると言えど、恐ろしい組織を相手に立ち向かえることに感心すると同時に心配にもなる。わたしだって、あの子を頼ってしまう一人だ。彼にわたしのわがままで負担をかけてしまうことを、申し訳なく思う。
きっと多くの高校生は、いま目の前にいる由香ちゃんのように、恐怖に震えてしまうのだろう。
突然、由香ちゃんがわたしの腕を掴んだ。涙を溢れさせながら、縋るような目でわたしを見てくる。
「やだ……やだよ、私もお兄ちゃんも何も悪いことしてないでしょ!? ちせさんはなんでそれを私に言ったの? 心の準備をしろってこと!?」
ゆっくりと首を横に振ると、腕を握る手に力が込められた。
「……由香ちゃんは、監視されてる間どんな風に過ごしてきたか、自分で言える?」
「え……?」
「答えて」
少し強い口調で言うと、由香ちゃんは視線を宙に巡らせた。
「学校では、普通に過ごして……友達を巻き込みたくないから、一人で帰ってた。家でも、お父さんもお母さんもいないから、リビングとかで監視されてて……ずっと、怯えて過ごしてた。自分の部屋と、お風呂とトイレだけは、監視されなかったけど」
「じゃあ、何があってもそれを続けられる?」
「……だって、取引が終わるまで、監視は外れないんでしょ」
「助かるって、わかっても?」
由香ちゃんは目を瞠った。驚いて涙も止まったようだった。
「続けたら……助かるの? お兄ちゃんも? それなら、やるよ。私、死にたくないもん。お兄ちゃんにもいなくなって欲しくない」
きっと"死にたくない"、"死なせたくない"という気持ちは、強い原動力になる。
話をしてみて、よくわかった。この子は賢い。桜木くんもあのバーではうまく立ち回っていた。兄妹揃って、自分でしっかりした判断ができる。
「じゃあ、助けてあげる」
やるのはわたしじゃなくて風見たち警察だろうけれど、そのための準備はわたしの仕事だ。
由香ちゃんが本気で助かりたいと願って行動できそうなら、コナンくんの指示を伝える。
出かける前に頭に叩き込んだ指示を思い出しながら、由香ちゃんと目を合わせた。
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