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ドレスと小物一式を受け取って車に戻ると、安室さんは運転席から身を乗り出してドレスを引き取り、後部座席に載せてくれた。
「ありがとう」
「いえ。次は美容室ですね」
「えぇ、時間がかかるから、着いたらどこかで時間を潰していてくれる?」
「わかりました」
安室さんは新しい質問を投げかけてくるでもなく、黙って運転をしていた。
こちらも特に話すことはないので、黙ってメールチェックをする。
翻訳の仕事が二件追加。了承の返事をそれぞれに送って、スケジュールアプリに締切と作業日を登録しておく。
「新しい仕事ですか?」
「えぇ」
鋭いな。どうせメールの内容は見られてしまうだろうけれど、あえて話すこともしない。
数分もすれば美容室に着いて、また横づけしてもらってドレスを受け取った。
「終わったら連絡をしてもらえますか」
「電話するわね」
「はい、では」
そう遠くには行かないんだろうなと思いながら、美容室のドアを押す。
にこやかな女性のスタッフに迎え入れられ、ドレスを手渡した。
いつもお世話になっているから、すっかり顔なじみだ。
「あら、かわいい。穂純さんにお似合いの臙脂色ですね」
「ありがとう」
スタッフは袋からドレスを取り出して一通り眺めてから、ハンガーにかけた。
予約した段階でどんな風にするかは決めていたので、そこからはスムーズだった。
メイクはいつも通り、吊り目に見えるようにしてもらって。唇は艶っぽいリップグロスではなく、品のある明るい口紅をのせる。
髪はアップスタイルにしてもらった。その間に、爪も丁寧に磨いて桃色のマニキュアで綺麗にしてもらう。
エンパイアとフィッシュテールが合わさったデザインの臙脂色のドレスは、スタイルを良く見せてくれるので気に入っている。
ノースリーブタイプなので二連のパールネックレスで、露出を抑えた。
あとは持ってきたパンプスを履けば、準備は終わりだ。
鏡の前に置いていたスマホを手に取り、降谷さんに電話をかける。
姿見を見てスタッフにもチェックしてもらいながら、止まったコール音ののち聴こえてきた低い声に、耳を傾けた。
『はい、安室です。終わりました?』
「えぇ、迎えに来てくれる?」
『わかりました。中に居てください、パンプスはどうします? 忘れて行ったんじゃないかと心配していたんですが』
「現地で履き替えるからまだ必要ないわ」
『そうですか、良かった』
通話を終えて、支払いを済ませていると安室さんが店内に入ってきた。
ちりん、という上品なドアベルの音に反応してそちらを見たスタッフが、思わず見惚れたのがわかった。
「千歳、迎えに来ましたよ」
「ありがとう」
「もしかして彼氏さん?」
会計をしてくれていた馴染みのスタッフが、少しだけ悪戯っぽく笑む。
それには笑みだけを返して、肯定も否定もせずにおいた。
お礼を言って、お店を後にする。
階段を降りるときには安室さんが手を差し伸べてくれて、素直にそのエスコートを受けた。
なんだか気恥ずかしいけれど、今はそれが自然なのだと思い直す。
助手席に乗せられて、安室さんが運転席に戻ってくると、車はまた滑らかに走り出した。
「綺麗ですね」
「お世辞なんか言ったって何も出てこないわよ」
「おや、お世辞なんかじゃありませんよ」
「なんか調子狂うわね……初対面の時の印象が強いのよ」
「慣れてください」
しゃあしゃあと言う彼に肩を竦めて、窓の外を眺める。四時を回って薄暗くなり始めた道では、通行する車がライトを点け始めていた。
郊外の貸会場までは、車で四十分ほどだ。
安室さんは何も話さない。
こうして考える時間ができてしまうと、気分が沈んでしまう。
本当にわたしなんかがいていいのだろうか。役に立てるだろうか。
緊張や恐怖で足が竦んで、邪魔な存在になってしまったら?
視線は自然と下を向いて、膝の上に載せた手に落ちていた。
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