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「ねぇ、ダーツやってみたい。楽しそう」

 興味津々な風を装って言うと、赤井さんは小馬鹿にしたように笑った。

「駄目だ。俺はお前みたいな不器用な奴に教えられるほど根気強くない」
「えー……」
「ちせちゃん、俺で良ければ教えるよ」

 不満を露わにして見せると、案の定桜木くんが苦笑して指南役を名乗り出てくれた。
 赤井さんもこれが目的だったのだとわかる。

「いいのか? こいつは物覚えが悪いぞ」
「通訳する以外は暇なんで」
「なら頼もうか。随分退屈なようだしな」

 桜木くんはターゲットたちに"ちせちゃんにダーツを教えるけど、注文するならすぐやるから呼んでくれ"と言い置いてダーツ台に近づいた。
 赤井さんは入り口に背を向け、リーダーは壁際の見張り役の男に背を向けてソファに座っている。ちょうど見張り役の男から見えるらしい角の位置に、鍵は置かれていた。狙ったうえで置いたのかもしれない。
 ソファの肘掛けの隙間を、どうやって埋めるのか。赤井さんは方法を考えてくれると言っていたけれど、どうするつもりなのだろう。
 ひとまずはダーツをやってみようと、桜木くんに教えてもらいながら、何本か投げた。的に刺さりはするけれど、中心なんてとても狙えない、そんなレベルだ。
 ブルを狙うコツも教えてもらいつつ、なんとか中心近くに当てられるように持っていってもらった。
 これで勝負を挑むのは、なんというか無謀過ぎないか。

「ちせ。勝負でもしてもらったらどうだ。二、三回負ければ勝機があるかもしれないぞ」
「えっ」

 何を言ったのかと聞く周囲に、赤井さんは英語で説明をした。
 多分、赤井さんが期待しているのはわたしがテキーラを飲む瞬間だ。もうこの際ふらふらになっても仕方がない。ちゃんと介抱してくれることを信じて、覚悟を決めよう。

「……いい?」
「え、俺はいいけど、ホントに二、三回で逆転するよ?」
「やれって言われてるから」

 桜木くんは苦笑いを浮かべて、ダーツ台をカウントアップルールに設定してくれた。
 急性アルコール中毒なんかを起こされたら堪らないけれど、桜木くんは不安そうな様子を見せない。ただ困っているだけだ。
 その場にいる人たちが注目する中、桜木くんを先攻としてゲームが始まった。
 当然ながらわたしに勝てるわけもなく、二回目までは桜木くんが勝って安室さんが持ってきたテキーラを飲んでいた。顔は赤くなっているけれど、勝負は続ける気らしい。

「あー……くらくらしてきた。当たるかな」

 言いながらも、そこそこの点数に当てていく。
 三回目の勝負もわたしが負けて、桜木くんがテキーラを一息に呷った。
 ……そろそろ、勝たなければならない。
 わたしが投げる矢は、多少なりとも中心には寄るようになってきた。桜木くんの矢は、狙いが定まらなくなってきた。
 四回目の勝負に入り、桜木くんは一桁の点数を繰り返した。悔しそうに歯噛みする姿に、本当に酔って狙いが定まらないのだと確信する。
 わたしの一投目は、桜木くんが出した合計点数に一点足りなかった。次を的に当てさえすれば、勝てる。

≪おいおい、勝っちまうんじゃねぇの≫
≪ミルクが大好きな子猫ちゃんは、テキーラなんか飲んだらぶっ倒れるんじゃねぇか?≫

 どこでも子猫扱いされる。そんなに子どもじみているだろうかと思案しながら、的に当てることだけを意識して矢を投げた。
 ブルには当たらないながら、トリプルリングに刺さった。――勝った。
 周囲の下卑た笑い声への不快感を面に出さないようにしながら、ほっと息を吐く。
 勝負の成り行きを眺めていた安室さんが、ショットグラスを持ってきた。手渡されて、見慣れた茶色がとろりと揺れるさまに息を呑む。色のついたテキーラは、透明の物よりは飲みやすいというけれど。
 囃し立てる声を受けながら、赤井さんを見遣った。

「ちせ。イイ子なんだから飲めるだろう?」

 何が何でも飲めと。
 踏ん切りがつかずに、グラスの中身の香りを嗅いだ。

「……?」

 嗅ぎ慣れた匂いだ。……カカオリキュール? 色は薄暗さと、オレンジ色の照明で誤魔化されている。
 これを持ってきたのは、安室さんだ。――降谷さんだ。
 もう一度赤井さんを見る。見張りの男の視線を遮るように、横から安室さんがチェイサーをテーブルに置きながら赤井さんに話しかけていた。囃し立てる声も、桜木くんの心配そうな声も、すべてが遠のく。
 全部察してくれた。こちらがやることも、何もかも。
 いつも飲むカクテルなんかとは比べ物にならないぐらい、アルコール度数は高いだろうけれど。
 グラスに唇をつけて、一息に呷った。口の中に拡がるココアのような風味と、過ぎるほどの甘さ。喉を通る、アルコールの熱。あぁやっぱり、テキーラなんかじゃない。カカオリキュールにシロップを混ぜて色を誤魔化した、わたしにも飲める飲み物だ。
 ある程度酔えるように、強めにはしてある。アルコールで目元や胃の奥が熱くなる感覚がした。
 安室さんは素知らぬ顔でテーブルの上に放置されていたショットグラスをすべて回収し、カウンターの中に戻っていった。これで洗い物を始めてしまえば、中身が違ったことなんてわからない。

「ちせ、まだできるか?」
「むり……」

 量が少ないとはいえ、慣れない飲み方だった。アルコールだけでなく、口の中に張りつくような甘ったるさにも咽そうだ。
 赤井さんに手招かれて、素直にソファに戻った。
 チェイサーの入ったグラスを渡され、カカオの香りを誤魔化すためにも一息に飲む。シロップの甘さを流して、いくらかすっきりした。
 赤井さんはチョコレートをつまむと、包み紙を剥がしてわたしの口に押し込んだ。甘い香りがしても、このチョコレートのせいだと言い切れる。
 ショットグラスの中身がテキーラでなかった事実は、安室さんと赤井さん、そしてわたし以外にはわからないまま物証が消されていった。
 会話に耳を傾けても、赤井さんたちにわからない言語でこちらを怪しんでいる内容の会話はない。見張りの男も反応していない。怪しまれずに鍵のナンバーを知ることができたようだ。
 ライムジュースの入ったグラスの周りに塩をつけたものを渡されて、順序は違うが喉の保護だと飲まされる。そうか、テキーラを飲む前後にライムを齧ったり塩を舐めたりする人がいるのはそういうことか。ターゲットや赤井さんの飲み方が異常なだけだったのだ。
 飲み物を誤魔化したことがわからないよう完璧にフォローを入れてくれることに安堵しながら、"酔って気持ち悪い"と訴えて帰る理由をつくりあげた。

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