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 早朝に目が覚めて、あまりの寒さに布団から出した手を引っ込めた。
 握ったままのアザラシに引き摺られて、スマホもついてくる。
 クライアントには電話に出られなくなるからと何かあったらメールをしてもらえるようにお願いしてあるし、もしも彼から連絡があるとしたら、電源を入れたらわかってしまう。
 見る気にはなれなくて、そのまま体を起こした。
 いつも有希子さんに作ってもらっているし、たまにはわたしが作ろうかな。ぼんやりそんなことを考えて、冷たいフローリングに足をつけた。
 リビングに行くと、ソファに座った赤井さんがうたた寝をしていた。膝の上に置いたスマホに手をかけたまま、ソファの肘掛けに頬杖をついて目を瞑っている。

「……起きたのか」

 洗面所に向かおうとしたところで声をかけられて、肩が跳ねる。
 足音か気配か、何のせいかはわからないけれど、起こしてしまった。

「ごめんなさい、うるさかった?」
「気にするな。深く眠るつもりもなかったからな。起こしてくれて助かった。随分早いな」

 小さな欠伸をこぼしながら、赤井さんはスマホを弄った。
 うっかり連絡を取り逃していないかの確認だろうか。

「目が覚めちゃって。朝ご飯つくって食べたら、もうちょっと寝ようかな」
「あぁ、そうするといい」
「……昨日はごめんなさい」
「気にするな。朝食の後、情報共有をしてもらえるか?」
「うん」

 赤井さんからは苛立っているようすすら感じられない。
 そのことに安堵して、改めて洗面所に向かった。顔を洗って寝ぐせを直して、ひとまずは見られたものになった。
 髪をまとめてからダイニングチェアにかけられたエプロンを手に取り、キッチンに入る。炊飯器の予約が入っていて、白いご飯はある。となると、和食の予定だったのだろうか。冷蔵庫から油揚げを見つけて、お味噌汁に入れようかと考える。

「赤井さん、お味噌汁に油揚げ入れるのって平気? 油っぽいのはいや?」
「大丈夫だ。作ってもらえるだけありがたい、文句は言わないから君が好きに作るといい」
「ん、ありがとう。そうする」

 お味噌汁と、出汁巻き玉子と、ほうれん草のおひたし。鮭もあるから焼こうかな。冷蔵庫の中を見て献立を決め、さっそく調理に取りかかった。
 作っている途中で、赤井さんのスマホに着信が入った。

「ジョディか。あぁ、……三丁目の、コンビニから北に五百メートル行ったところにあるアパートか? ……その二階の奥の部屋か」

 赤井さんは地図に何か書き込んで、二言三言言葉をかわすと、通話を終えた。数分経って、また着信が入る。今度はブラック氏のようだ。キャメル捜査官は哀ちゃんの警護、赤井さんはわたしの警護。そうなると、動けるのはブラック氏とスターリング捜査官のみ。他の捜査官はまだ来日していないのか、人員を割けないのか。よくわからない。
 敬語で話をするのを聞きながら、玉子を巻いた。
 そういえば、スターリング捜査官には嘘をつきっぱなしじゃなかっただろうか。赤井さんの死について、直前に様子がおかしいだとか、何か些細な情報でも知らないかと訊かれて、"そんなに親しくないからわからない"と適当なことを言って切り抜けた。なんだか会うのは気まずい。会うことがなければいいなと思いながら、完成した出汁巻き玉子をお皿に盛って切り分けた。
 鮭も焼けたし、おひたしも作れた。食器は豊富にあるから、おひたしは小鉢に盛り分けて、鮭と玉子は同じお皿に載せた。
 お味噌汁も程よく温まり、炊飯器がご飯が炊けたことを知らせてくる。

「赤井さん、ごはんできたけど食べる?」
「いただこう」

 有希子さんとコナンくんの分はラップをかけて調理台に置いたまま、二人分をよそって準備する。
 テーブルに並べ終えると、赤井さんが席についた。
 ぱくぱくと食べ進めていってくれるのをうれしく思いながら、のんびり食べた。
 食器は水に浸けておいてもらって、食後のお茶を飲みながら話をすることにした。まず初めに、ロシア語、ギリシャ語、イタリア語での会話に気になるものはなかったということを報告した。

「鍵のナンバーを調べることについてだが、気になる人物が一人いてな……いつも壁際に座っている男を覚えているか」

 壁際にいくつかあるテーブル席のひとつに、一人黙って座ってお酒を飲んでいる男。リーダーとその男以外は、アタッシュケースの見張り番からは外れているらしく、メンバーが二人ずつ入れ替わる中でも毎日見ている。

「覚えてる」
「あの男はおそらく、メンバーや周囲の状況に対する見張り役だ。鍵のナンバーを盗み見るとき、何かしら視線を集められる手段を取れればいいんだが……おそらくその男は、そういったものには釣られない」
「……物理的に、視線を遮るしかない」
「そういうことだ。危険なのは、ナンバーを見る作業だ。これは俺がやる。君は……そうだな、ダーツがいいか。桜木隼斗に教わって、必要なら勝負を挑め。彼のことだ、勝って酒を飲み干してくれるだろうな」

 桜木くんの優しさを利用するようで申し訳ないけれど、わたしがテキーラを飲んでふらふらになっても困るのだ。
 そうなれば、池田一はちせの介抱のために真っ先に動く。違和感を持たせるような行動を取ってはならない。

「……わかった。やる時に合図をちょうだい」
「俺がチョコレートを君に食べさせたら、それが合図だ。その男への対処はこちらで考えておく」
「了解」

 話に区切りもついて、二つのマグカップを回収して洗い物をした。
 赤井さんは二人から連絡が来たからか、寝るようだ。
 洗い物も終わったので、エプロンをダイニングチェアの背凭れにかけた。寝室に引っ込んだ赤井さんの後を追いかけるように歯磨きもして、さっぱりした。
 "二度寝します。朝ご飯は作ってあるのでお味噌汁と鮭と玉子を温めて食べてください"と書置きをして、テーブルの上に置いて寝室に戻った。

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