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 降谷さんの手に触れられないように、手首は握ったまま。
 振り払われないのをいいことに、握った手の中で腕時計を着けていない方の薄い皮膚の中の脈を感じ取って安堵する。
 この手が温かいままであってくれるなら、それでいい。そう、再確認できた。

「赤井さんのことは、怒らないでね。選んだのはわたしなんだから」

 会えたこと、守ろうとしてくれたことがうれしくて、笑みは自然に零れた。
 いま降谷さんに優しくされてしまったら、必死で地面に縫いつけてきた足が、震えないようにと握り締めた手が、何も隠せなくなってしまう。
 降谷さんを助けたいと思った。情報を集めた。ベルモットと取引をした。風見と協力関係をつくった。コナンくんと赤井さんに助けを求めた。全部、わたしが勝手にやったこと。
 自分の選択の責任は自分で取る。そのつもりで、この場所にいる。
 コナンくんが解決策を見つけてくれるまで、わたしはここから離されるわけにはいかない。

「はじめから、わかっていたでしょう……? "わたしを手放す"って、こういうことよ」

 どんな言語も理解できる、それは情報収集に有用だ。だから、危険な人物に利用されることのないよう気をつけること。ずっと忠告してくれていたのは、降谷さんだった。
 ごめんなさい、許してね。あなたのためだと決めつけて、あなたを傷つける言葉を吐いてしまうこと。
 心の中で何度も謝りながら、震える唇を叱咤して言葉を続けた。

「後悔は、しないわ。誰かのために役に立てる。……それは、あなたたちのためでなくても、うれしいことだから」

 降谷さんが守ってくれるから、頼まれた仕事は落ち着いて遂行できた。
 降谷さんのためだから、ペットだと嘲られる屈辱にも、降谷さん以外の男の人に触れられることにも耐えられている。
 恋に溺れてだめになった、救いようのない女。役に立って一番うれしいのは、あなたのためだから、なのに。

「なぜ……赤井のために、そこまで……」

 悔しそうに、哀しそうに、血を吐くような苦しげな低い声で、降谷さんは小さく呟いた。

「……またね」

 どうせ明日も、会うだろうから。
 再会を約束する言葉をひとつ落として、降谷さんの手首を離した。
 通りに戻り、角のすぐそばに立っていた赤井さんの顔を見上げる。両耳を塞がれて、降谷さんと何か話すのを待ってから、手を引かれて帰路についた。
 耳を塞いでわたしに聞こえないように会話していたからには、内容を教えてもらえるなんてことはないだろう。
 ネオン街を抜けると、赤井さんの歩調が緩やかになった。

「すまなかった」
「え?」

 突然謝られて、思わず声を上げてしまった。
 顔を見上げても、パーカーのフードとサングラスに隠されて表情はよくわからない。

「君の体に無遠慮に触れたことだ」
「あぁ……気にしないで、ああするのが自然だったんだから」
「それでもだ」
「強情ねぇ……。わかった。許すから、もう謝らないで」
「……あぁ」

 握られた手に優しく力が込められる。きっと赤井さんは、降谷さんが来ることをわかっていた。だから、手の力も緩めていた。
 目的があってあの場所にいるのだと、理解させておけと言わんばかりに。
 セーフハウスに戻ると、有希子さんはもうホテルに帰っていた。コナンくんは相変わらずテーブルの上に地図を広げてスマホに来る連絡を待っている。今日はサッカーの試合を見ているらしい。

「千歳、先に風呂へ行っておいで」
「……うん」
「千歳さん、体冷えてるんだからちゃんと浴室を温めてから入ってね」
「うん、ありがとう」

 促されて、コートと借りたスマホを部屋に置き、着替えを持って浴室に向かった。温かいシャワーを出して浴室を温めながら、服を脱ぐ。
 クレンジングジェルで化粧を落とし、シャワーを頭から被った。
 苦しい思いを隠してまでわたしを手放したのに、当のわたしは赤井さんの頼みで組織にも関わる仕事を手伝っている。また、苦しめてしまった。
 もう引き返せないところまできた。これでいい。
 悲しさと安堵が入り混じって、息苦しい。
 深い溜め息をついて、湯船に浸かった。
 お風呂から上がって、寝る準備を整えた。延長戦の後半だけ見て、コナンくんが応援しているチームが勝ったらしく喜ぶ姿を眺める。

「それで、千歳さん」
「?」

 コナンくんは眼鏡の奥からまっすぐな視線を向けてきた。つい今までの興奮はどこへやら。

「何かあったの? ……元気、ないよね」
「降谷さんに会った。それだけ」
「……そっか」

 コナンくんはそれ以上の追及はせずにいてくれた。
 就寝の挨拶をして、部屋に引っ込ませてもらう。
 電源を切って枕元に置いたままの自分のスマホを見て、プライベート用の物を持ち上げた。月明かりの射し込む部屋で、青白く照らされながらぷらぷらと揺れるアザラシのぬいぐるみは、まるで海の中を泳ぐかのよう。
 一頻り眺めてから枕元にスマホを戻して、煙草を手に窓際に立った。窓を開けて煙草に火をつけ、甘ったるい煙を吸って、夜の冴えた空気に溶け込ませる。
 一本じゃ物足りなくて、二本目に火をつけた。降谷さんに会うたびこんな風だったら、困るなぁ。さすがに三本目はないだろうと考えて、箱とライターをバッグに戻す。
 煙草を吸い終わっても眠る気にはなれずぼーっと外を見ていたら、いつかと同じように部屋のドアが開いた。

「千歳。冷えるだろう、せめて窓は閉めるんだ」

 赤井さんにかけられる言葉に、首を横に振る。

「……いい。少し、放っておいて……」
「放っておくのは構わんが、君が風邪をひくのは本意じゃない。放っておいて欲しいなら、暖かくしていてくれ」

 ずるい条件に、小さく溜め息をつく。
 窓を閉めて、鍵をかけた。
 蓋を閉めた携帯灰皿はバッグに入れて、ベッドに潜り込む。
 赤井さんが小さく息を吐きながらドアを閉める音がして、アザラシのぬいぐるみを手で包みながらきつく目を閉じた。

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