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「リラックスできたようだな。眠れそうか?」

 くすくすと笑うわたしを見て、赤井さんの声は一際優しいものになった。
 あぁ、そういえば、少し眠いかもしれない。

「……眠れそう」
「それは何より。よく休むことだ」
「うん、赤井さん、ありがとう」

 赤井さんは最後にぽんと頭を撫でてきて、"おやすみ"と言い残しドアを閉めた。
 自分の体温の残る布団に潜り込んで、枕に頭を載せる。とろんとした眠気がやってきて、素直に目を閉じた。


********************


 夢も見ないほど深く眠り、すっきりと目が覚めた。
 洗顔フォームや化粧水を手に部屋を出ると、いい匂いが鼻腔を擽ってくる。有希子さんは早朝にやってきて、朝食を用意してくれていたらしい。

「あらおはよう、千歳ちゃん。よく眠れたかしら?」

 有希子さんはにこにこと笑い、優しく声をかけてくれる。

「おはようございます、有希子さん。ぐっすり眠れました」
「それは良かったわ! 朝ご飯は和食にしたのよ。顔を洗っていらっしゃい、温めておいてあげるから」

 背を押されるままに洗面所に行き、顔を洗った。
 赤井さんもいるけれど、もはやすっぴんがどうとかは今更だ。洗顔後のスキンケアと寝ぐせ直しだけをして、リビングに戻った。
 学校へ行くコナンくんを見送りつつ、朝食を食べる。
 有希子さんはわたしの正面に座ると、可愛らしく両手で頬杖をついた。

「お口に合う?」
「とってもおいしいです。赤井さんも煮込みが足りないのを除けばおいしく作りますし、有希子さんは本当に料理上手ですね」
「うふふ、ありがとう。秀ちゃんはコナンちゃんが早起きするまで起きていたみたい。お昼頃まで寝てるんじゃないかしら。それまでは私が留守番。千歳ちゃんは出かけるんでしょう?」
「はい、連絡しないといけないので」
「じゃあ気にせず行ってらっしゃい。帰りにケーキを買ってきてくれると嬉しいわ!」

 有希子さんは出かけられないから暇なのだろう。
 些細でもお礼になることができるのなら、否やはなかった。

「苦手なものはあります?」
「何でも大丈夫よ」
「わかりました、買ってきますね」

 目に見えて機嫌の良くなった有希子さんと雑談をしながら食事を終えて、洗い物は引き受けてもらって洗濯機を回した。
 下着だけ自分の部屋に干して、あとはベランダに干すことにした。日が出ている間だけなら、外の方が乾くだろう。
 それから出かける準備をした。"ちせ"とはかけ離れた人物になるように、きっちりしたブラウスとタイトスカートを合わせ、髪もきっちりまとめた。目元も吊り目に見えるように化粧をすれば完成だ。
 パソコンで風見への状況報告と頼みごとを打ち込んだテキストファイルを作り、USBメモリに保存した。
 出かける準備を整えて部屋を出ると、テレビを見ていた有希子さんがぱっと顔を輝かせる。

「別人みたいでびっくりしちゃった!」
「変装ではないですけど……」
「十分だと思うわ」

 有希子さんのお墨付きなら、自信が持てる。
 見送られて外に出て、公衆電話を探した。
 人目につかない公衆電話を見つけて、中に入って風見に電話をかけた。ツーコールで通話状態になる。

「穂純です」
『あぁ、風見だ。電話で済むか?』
「ちょっと心配」
『わかった。それなら……電車には乗れるか?』
「なんとか」

 風見に指定された場所を覚えて、最寄りの駅まで歩いて向かった。
 どの路線のどこ行きの電車に乗ればいいかまで教えてくれたので、見慣れない路線図の中から目的地の駅名を探して切符を買う以外はスムーズに移動ができた。
 渋谷ほどではないけれど、よく待ち合わせに使われるスポットに着いた。駅前の広場にはお洒落な街灯が等間隔に並んでいて、人が疎らにその街灯の下に立っている。どのお店の前とか、どこから何番目とか、そういう目印に使われているのだろう。
 誰もいない街灯の下に立って、腕時計を見た。
 突っ立っていても不自然ではない。電話をするフリをしていれば、話していたって気にもされない。
 風見がこの場所を選んだ理由はわかった。
 少し待つと、右後ろに人が立つ気配があった。

「報告を」

 聞き慣れた風見の声が、端的に指示を飛ばしてきた。
 バッグからスマホを取り出して、耳に当てる。穏やかな笑みを心掛けながら、口を開いた。

「標的と接触して、仲間になったわ。それで、調べてほしいことができたの」

 視界の端で、風見がスーツのポケットからスマホを取り出すのが見えた。

「わかった。帰るときに寄越してくれ」
「それと確認。コインロッカーの鍵はナンバーがわかれば複製できる?」
「当てはある……が、ナンバーの確認だけでも危険じゃないのか」

 風見の声に心配が滲む。

「FBIの手を借りてるわ。それも潜入捜査官の」

 今度は溜め息が聞こえてきた。FBI――というよりは赤井さんを相手にしたときの彼の反応には、風見も覚えがあるらしい。風見も公安の人間だ。他国の警察官を良く思っているということはないのかもしれない。

「……あの人には見つかるなよ」

 どんなに快く思っていなくとも、今はわたしにとっての命綱であり、降谷さんが始末されないために必要な材料。
 だから風見自身はとやかく言わないのだろう。声に苦々しさが表れることだけは、隠し切れないようだけれど。

「鍵の複製の手配はしておこう」
「お願いね」

 スマホをバッグに仕舞い、手帳と一緒にUSBメモリを取り出し、手帳の陰で指を離す。
 軽快な音を立てて落ちたUSBメモリは、すぐに風見の手に拾われた。

「落ちましたよ」

 気難しげな顔に笑みを浮かべ、渡してくれる手の下に自分の手のひらを持っていって、緩く握って引っ込める。

「ありがとうございます」

 視線が合うと、風見は一度だけゆっくりと瞬きをして、次に目を開いた瞬間には視線を外していた。
 手帳を確認するフリをして、スマホをもう一度出して耳に当てた。

「え? ……えぇ、わかったわ、そっちに行く」

 待ち合わせ場所の変更を装って、その場を離れた。
 風見も同じようにして街灯から離れていく。
 無事にUSBメモリを渡せたこと、コナンくんからの頼まれごとを達成できたこと。それらに安堵しながら、駅に戻った。

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