17
パーティー当日の昼。開始時刻は夕方だけれど、着替えやら打ち合わせやらで早く出ると伝えたら、安室さんが付き添ってくれることになった。
白のRX-7でのお迎えに、ちょっとだけ心が躍る。
まさかこんな形で助手席に座らせてもらうことができるなんて。
危険には関わりたくないし、疑われるのもいやだけれど、ファンとしてのミーハーな心もあるにはあって、複雑な気分だ。
十四時ぴったりにマンションの地下駐車場に車を停めた安室さんは、車を降りるとエントランスとつながる地下駐車場の出入り口に現れたわたしを見て、笑顔を浮かべた。
「こんにちは」
「どうも。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。車、出してもらって助かるわ」
やっぱり車を買おう。そう思った。
いつ帰れるかはわからないけれど、不自由のない生活にはしておきたい。
どうせ持ち続けることができないお金なら、使ったっていいだろう。貯まる一方なのだし。
ハンドバッグやその他の荷物が入ったサブバッグと靴の入った袋を持って助手席に乗り込むと、後部座席に置いていいと言われた。お言葉に甘えて、置かせてもらう。
「この後はどんな段取りで?」
「レンタルのドレスを受け取って、美容室で着替えとメイクを済ませるわ。それから会場へ向かえば、五時前には着くはずよ」
「わかりました。僕は会場の控室で着替えさせてもらいますね」
「えぇ」
ちらりと窺った後部座席には、タキシードが入っているのであろうスーツケースが積まれていた。
「穂純さんは、どうやってたくさんの言語をマスターしたんです?」
きた。こういう雑談ができる場で、聞いてくることは予想がついていた。
「実は小さいときからわたしの周りには外国人の幽霊がいたのよ」
「へぇ。名前は? 何歳だとか、どんな人だったとか、覚えていますか?」
「そうね、まずはアメリカ人のジョン・ドゥ。歳は知らないけど、軍人みたいだったわね」
「よくわかりました。もう結構です」
"ジョン・ドゥ"は日本でいう"名無しの権兵衛"、そして身元不明の死体という意味もある。この返答を聞いて、答える気がないとわかったのはさすがだ。
安室さんは問い詰めるつもりはなく、単純に聞いてみたいだけのようだった。
それならそれでかまわないか、とわたしも適当に答える。
「育ったのはどんな場所でした?」
「さぁ、記憶にないわね」
「教育は誰から受けたんです?」
「それも覚えていないわ」
「これまでアルバイトをした店の名前なんかは?」
「転々とし過ぎて忘れちゃったわよ」
戸籍の相談に使った内容は、すべて忘れたと言っておく。
経歴が嘘であることがばれてはならない。
嘘を言ってはいけないし、裏付けをとれる内容も言ってはならない。
「随分荒んだ生活を送ってきたようですね。記憶があやふやになるほどに」
「そうかもしれないわね」
「その割には、平気そうに見えますよ」
「忘れちゃったもの。都合の悪いことは、全部」
安室さんは、少しだけ次の質問を考えたようだった。
何を聞いても"忘れた"と返ってくるのだから、あてにならないと踏んだのだろう。
「そういえば、米花町にはどうやって来たんですか?」
あぁなるほど、足取りを追えそうなところからの質問か。
米花町はそこそこ都会だし、防犯カメラもある。
ヒントを落とすなら、ここかもしれない。
「電車」
「おや、乗るのを見たことがありませんが。タクシーやレンタカーより遥かに安上がりですよ」
「嫌いなの。どこに行くかわからないから」
「乗換案内のアプリは知ってます?」
「あぁ、あれ便利よね」
「辻褄が合っていませんよ」
「適当に答えてるもの」
どこに行くかわからないというのは事実だ。もしまた電車に乗って、それが運悪く異世界に行ってしまうような変な電車で、その行き着く先がここよりもっと殺伐とした世界だったとしたら。
わたしが生き残れる保障はないし、そんな危険を冒したくもない。
だから電車は、確実に帰れるとわかったときにしか乗らないと決めていた。
「じゃあそうね、電車は嫌いなの。よく痴漢に遭うから」
「ご尤もな答えですね」
"先に言えば良かった答えだろ"とでも言いたげな返事だ。
彼はわたしの不明瞭な返答に苛ついている。あとで思い返して、気がついてくれるだろうか。
もうひとつ、ヒントを残すなら。
「安室さんは、シャーロック・ホームズはお好き?」
「えぇ、まぁ」
「ホームズ好きな人を知っているんだけれどね、彼は"ホームズと一緒に冒険をして、謎解きをしてみたい"っていつも言うのよ」
「理解できなくはありませんが」
「その彼にはきっと羨ましがられるわ。だってわたしにとって、今がそういう体験をしている時だから」
安室さんは、前を向きながら怪訝そうな顔をした。
「真面目に話してます?」
「この上なく真面目よ?」
先ほどの、"辻褄が合っていない"に対する"適当に答えている"という返事との対比に、気がついてくれるだろうか。
「自分が物語の世界の中にいるとでも? それは僕だけでなく、あなたが懇意にしているクラウセヴィッツ夫妻や宇都宮一家を侮辱しているとも取れますよ。物語の世界なんて、所詮は虚構のものです」
彼が怒るのも尤もだ。
だけど、こちらの世界に来て関わった登場人物は、白鳥警部と風見さん、降谷さん。そして、見かけただけの工藤新一くんと毛利蘭ちゃんだけ。
それよりも、エドとヘレナ、宇都宮一家、彼らの紹介で得たクライアントの方が、付き合いが深く、長い。
物語の世界の中にいて、彼らを虚構のものだと言うことは、もうできなくなっていた。
風見さんも、降谷さんも、わたしの知る人物ではあった。けれど、単に漫画の登場人物だと言うには、知らないところばかりで、初対面の人間のようで。
もどかしい思いを抱えているのも、事実なのだ。
「そうなのよね、リアリティがありすぎて困ってるの。受け入れられたら楽なんでしょうけどね」
「……無駄な問答でしたね。これもあなたの適当な作り話でしょう」
「あら、ばれちゃった」
茶化して話を終わらせると、安室さんは深い溜め息をついた。
ウインカーを出して、レンタルショップの前に車を横づけされる。
「着きましたよ」
「ありがとう。すぐに取ってくるわね」
助手席から降りて、ドアを閉める。振り返ると、安室さんは口元に手を当てて考え込んでいた。
質問に答えるだけだったわたしが、ホームズの話を切り出した違和感を、きちんと捉えてくれただろうか。
何やら電話をかけ始めたのを尻目に、店の中に入って自分の名前を伝えた。
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