珊瑚色の誘惑

 お昼のニュース番組を眺めていると、インターフォンが鳴らされた。
 特に興味をそそられて見ていたわけでもなかったので、抱えていたクッションを置いて、ソファから立ち上がる。
 モニターをつけると零さんが来ていることがわかった。何も言わないことを確認してエントランスのドアを開け、零さんが中に入ってドアが閉まるのを待ってから、モニターを切った。
 部屋にやってきた零さんは一通り部屋のチェックをすると、わたしをソファに座らせた。

「千歳。いま唇に何か塗ってるか?」
「無色のリップクリームだけ」
「目を閉じていてくれるか」
「うん? ……いいけど」

 心なしか楽しそうな零さんの様子に首を傾げつつ、言われた通りに目を瞑る。
 ニュースの音声に交じる、紙袋を開ける音、紙箱を開ける音。また何か持ってきたな、と確信した。
 プラスチックの容器を開ける音がした後、顎に触れられて顔を固定された。唇に重ための液体が触れる。
 大人しく唇に何かが塗られるのを待っていると、手早く終えた零さんが"いいぞ"と声をかけてきた。
 目を開けると、目の前に零さんの手に持たれた手鏡があった。
 そこに映った自分の唇に、ピンク色が乗っていることがわかる。

「うん、似合うな。買ってきて良かった」

 零さんは満足げに笑っている。
 手に載せられたのは、可愛らしいコーラルピンクのリキッドリップだ。顔色を明るく見せてくれる色合いで、しっかり馴染むのに艶も出ている。
 これは、艶があり過ぎて肩肘の張るビジネスシーンには向かないけれど、プライベートや仲の良いクライアントとの打ち合わせで出かけるのにはとても良い。手持ちのお気に入りもそろそろ終わるし買いに行こうかと考えていたところだった。
 そこまで考えて、はた、と思考を止めた。

「……零さん。またくれるの?」
「気に入らなかったか? 千歳が気に入っているブランドの新色の中で一番好きそうなのを選んできたんだが。……参ったな、喜んでもらえなかったか」

 少しだけ困った顔で頭の後ろを掻く零さん。
 慌てて首を横に振った。

「そうじゃなくて、これ"欲しいな"って思ってたから、うれしくないわけじゃない。でも前に来た時もこのバレッタくれたし、その前はアイライナー買ってくれたでしょ」

 ハーフアップにした髪を留めていたバレッタを指しつつ訴えかけると、零さんはこくりと頷いた。

「あぁ、そうだな」
「メイク道具がもうほとんど零さんからもらった物だし、アクセサリーだって……。このままいったら零さんからもらった物で全身着飾ることになりそう」

 零さんはくすくすと笑って、手鏡をテーブルに置いて隣に座った。

「それは魅力的だな。今度服も買ってこようか」
「え、いやそれは、……なんで!?」

 ちっとも取り合ってくれない。
 せっかくもらった物だからと使うわたしもわたし、だというのはわかっている。けれど、零さんから贈られるのはけして独りよがりな物ではなく、化粧品なんかの相性の良し悪しがある物は、使い終わりかけている物をわたしが気に入って使っているメーカーの商品の中から選んでくれるし、変に値の張るような物は選ばない。何より、わたしの好みをきちんと理解して、わたしが気に入る物をくれるのだ。
 わたしが突っぱねたところで他に贈るわけもなく、結局わたしが押しに負けて受け取っているのだけれど。
 最近自分で化粧品を買っていないことに思い至って、手持ちの物を思い浮かべて、それがほとんど零さんからもらった物で構成されていると気がついた。アクセサリーも、自分で買った物より零さんからもらった物の方が多くなっている。
 今日も突然やってきたと思ったら、わたしに新しいリップを与えて満足そうに笑っているのだ。
 零さんはわたしの頬をむにむにと触りながら、歯を見せて笑った。

「ネックレスは首輪、ブレスレットは手錠。化粧は俺の手で剥がしたいし、リップは俺に色を移してもらいたいから贈る。服や下着は脱がせるため。千歳に喜んでもらいたいのは本当だが、俺の押しつけも多分に含まれている」

 表情は爽やかなのに、言っている内容には独占欲が色濃く滲んでいる。それを心地良いと思ってしまうわたしも大概なのだけれど。
 すっと目が細められ、青い瞳から送られる視線に射抜かれた。

「要するに、マーキングだよ」

 その言葉に、どきりと心臓が跳ねた気がした。わたしに向けてくれる穏やかさの中に垣間見える男くささが、どうしようもなく心臓の鼓動を速めてくる。
 こうして絆されている時点でわたしの負け。何と言おうとしたのだったかすら忘れて勢いの萎んでしまった言葉を飲み込んで、小さく息を吐いた。
 断ることを諦めたと理解したのか、頬を捕まえていた零さんの手が離れていく。視線を合わせるために背を丸めてくれているのをいいことに、すかさず頬を捕まえて唇を合わせた。
 塗りたてのリップに阻まれるような感触が面白くはないけれど、顔を離すと驚いて目を丸くする零さんの表情が見えて、幾分かその面白くなさも薄らいだ。
 零さんの唇に僅かに明るいピンクが乗っている。"色を移してもらいたい"、というのはこういう意味で合っているはず。

「……お望みが叶った感想は?」

 少しだけ楽しくなって、それを隠さないまま問いかけた。
 零さんは唇をむずむずと緩めさせて、わたしの頭を撫でた。

「悪くはない。……が、千歳に移してもらうより、自分で剥がす方が性に合ってるな」
「贈る意味……」

 せっかく"着飾れ"と言って渡してくれるのに、それを自分で剥いでしまうのはいかがなものか。

「俺が贈ったっていう免罪符ができるだろ」

 赤い舌が覗いて、唇にうっすらついた艶のあるピンク色は、掬われて飲み込まれていった。
 なんだか見てはいけないものを見た気がして、そっと視線を外す。
 零さんはわたしの心情なんてお見通しなのか、愉快そうに口角を上げた。

「ほら、もっと俺に移してくれ」

 リップを落とさないように、唇の端を親指でふにふにとつつかれる。

「な、じ、自分で剥がす方が性に合ってるって……!」
「珍しく千歳からキスしてくれる理由をみすみす逃すと思うか?」
「思いません! 〜〜っ、もう……」

 何ひとつ言い分は通らなかったのに、変に心地が良い。結局は惚れてしまっているからなのだと、得意げに笑う顔を見て再認識した。
 頬に触れたままの手に僅かに力が入ると、それを感じ取った零さんの表情が緩む。"愛しい"という感情をとろりと煮詰めて閉じ込めたような甘い視線に気恥ずかしさを覚えながら、そっと唇を重ねて色を移した。


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リクエスト内容:甘め
記念日でもないのにとにかく物を贈られて、苦言を呈するも開き直られる


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