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 ネオンに照らされた通りは、人で溢れかえっている。その中をすいすいと抜けていく広い背を追いかけた。
 細い路地に入り、何度か角を曲がれば、隠れ家のようにひっそりと佇むバーがある。ベルを鳴らしながら木製のドアを開けると、中にいた人間の鋭い視線が一気に集まった。
 赤井さんは一切気に留めず、奥のカウンター席へとまっすぐに歩いていく。手を引かれるままそれを追いかけると、スツールに座らされた。
 入り口の正面奥に、口髭を蓄えた細身で長身の男性が立つカウンター。入って右手にはダーツができるスペースがあり、壁の入り口がある面に取りつけられた台に向けて投げるようになっていた。真ん中には大きな四角いローテーブルを囲むように二人掛けのソファを四つ置いた席が設けられている。左手には丸いテーブル席がいくつか設置されていた。温かみのある光を放つ照明が、並べられたボトルやグラスを輝かせている。それでいて壁に掛けられた絵はポップで、バーのような大衆酒場のような、独特の雰囲気のあるお店だった。
 壁際のテーブル席に一人、ソファ席に六人、ダーツをプレイする二人。ダーツをしているうちの一人以外の顔は、エドから受け取った資料で見ていた。

「ちせ、何が飲みたい? いつものようにミルクかな」

 赤井さんは頬杖をついて、からかうように笑んだ。
 壁に埋め込まれた棚に並べられたボトルを眺め、飲み慣れたものを見つける。

「……ティフィンがいい」
「チョコレートは?」
「食べたい」
「マスター、バーボンのダブルをロックで。それと、ティフィン・ミルクとチョコレートを」
「かしこまりました」

 マスターは焦りを無理矢理抑え込んだような表情で了承の返事をした。
 煙草に火をつけた赤井さんは、スマホを出して弄り始めた。
 カクテルが作られていくさまをぼんやりと眺めながら、背後の会話に耳を傾ける。メンバーの名前が情報通りであることは、会話の中でわかった。
 目の前にグラスが置かれ、赤井さんとの間の位置に透明なフィルムで可愛らしく包装されたチョコレートが詰められたガラスの器が置かれた。
 一応はと赤井さんの顔を見上げると、"飲んでいいぞ"と許可が出る。
 赤井さんが頼んだバーボンも出された。

≪あの女の頭がブルだ。でけぇ的だろ、やってみろ≫
≪できるわけないだろ、ふざけんなよ……!≫
≪いいのか? てめぇの可愛い妹が血の海の中で冷たくなってるかもしれねぇぞ?≫

 耳に飛び込んできたロシア語での会話に意識を集中させた。何やらダーツの的にされている。
 どうやら顔に見覚えのない方の男性は、あまり悪い人間ではないらしい。妹を人質に取られている、といったところだろうか。
 ロシア語を話しているあたり、何かがきっかけで通訳として使われているのか。
 赤井さんの袖を引いて、意識を向けてもらう。

「いいの? 妹さん、死んじゃうよ」

 ごく普通に、赤井さんに話しかけるような調子で言葉を発した。
 赤井さんはサングラスの奥の視線をちらりとダーツ台の方へ向け、適当な相槌を打つ。
 言葉の矛先が自分に向けられていると理解した彼が唾を飲む音が聞こえた。
 カウンターの端に置かれている予備の矢を見た。先が柔らかくなっているわけではないらしい。刺されば怪我をすることは必至。ましてや頭だなんて。ひっそりと奥歯を噛んだ。
 彼が矢を構えたのか、囃し立てる声がする。
 その中に紛れて、風を切る音がした。直後に、ぱしっと誰かの手が何かを掴む音が頭のすぐ後ろでした。
 矢を捕まえた赤井さんの左手が、わたしに見せられる。案の定、大きな手のひらにはダーツの矢が載っていた。
 赤井さんはスツールを回転させると、ダーツ台に向けて矢を放った。的の中心に突き刺さる矢を見て、どよめきが上がる。

「ふむ、この距離でもまぁ当たるか」
「器用だね」
「お前じゃ無理だな。……大人しくミルクとチョコを舐めていろ」

 くしゃりと頭を撫でられた。
 灰皿の先に煙草の火を押しつけ消すと、赤井さんは立ち上がる。

≪さて、俺の可愛いペットに手を出そうと言い出したのはどいつかな≫

 英語での問いかけに、背後の男女がざわつくのが聞こえる。
 彼らは矢を投げた本人を指したらしいけれど、赤井さんは"そいつじゃないな"と小馬鹿にしたように笑う。
 結局、直接話を聞き出さなければ情報は得られなさそうだ。赤井さんもそう判断したのだろう。

≪おいおい、ここが貸し切りだってわからねぇのか? どいつも睨まれれば理解して出てったぜ≫
≪貸し切り?≫

 表に張り紙があったわけでもなし、単なる彼らのわがままだ。

「マスター、今日は貸し切りなのか?」

 赤井さんが問いかけると、赤井さんの行動に対する驚きがようやく落ち着いたマスターは首を横に振った。

「貸し切りなら入店されたときにお断りしておりますよ。彼らは羽振りは良いですが、お陰で常連のお客さんの足は遠のいてしまった」

 マスターの視線が、すっとこちらに向けられた。

「お嬢さん、悪いことは言いません。お連れの方に言って帰った方がいい」
「……帰る気、ないみたい」

 表にその情報はなかった、マスターにも入店を断られなかった。事実だけを述べて淡々と反論する赤井さんに、逆上した一人が"邪魔だ、出ていけ"と言い放った。

「なぁ、君」

 声をかけられて、そちらを向く。視界に入った赤井さんは、自分の胸ぐらを掴もうとした男の手を捻り上げていた。わたしの目から見ても動きがスマートすぎてただのチンピラには見えない。
 その光景から視線を外し、話しかけてきた男性の顔を見上げる。申し訳なさそうな表情で俯いていた。

「なぁに」
「ごめん、さっきはありがとう……」

 赤井さんが座っているのと反対側のスツールを叩くと、ダーツの矢をわたしに向けて投げさせられた彼は素直に座った。
 チョコレートをいくつかつまんで、彼の前に置く。

「あげる」
「え? いや、あの」
「ひどい顔。つらいの?」

 困惑しているのを無視し、無邪気を装って幼い言葉遣いで問いかけると、彼はくしゃりと泣きそうに顔を歪める。
 赤井さんは彼らに自分の実力を見せつけて、仲間に引き入れられるのを待っている。彼らの中には元軍人もいる、その辺りに居そうな悪い若者の見た目をして、実際はそうではないことを感じ取るだろう。
 ここにいる以上、できることはしなければならない。わたしはわたしで彼に優しいフリをして、情報を引き出すことにした。

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