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 閉まったドアから視線を外し、コナンくんをリビングに呼び戻した。
 部屋から出てきたコナンくんは、わたしたちの顔を見ると"うわぁ"と感嘆の声を上げる。

「千歳さん、本当に不健康そうだよ……」
「ふふ、それなら良かった」

 有希子さんのアドバイスももらってよりリアリティが増したはずだ。
 コナンくんがソファに座ると、赤井さんもダイニングチェアから立ち上がり移動してきた。
 赤井さんと向かい合って座るコナンくんの隣に落ち着き、二台のスマホをローテーブルの上に並べる。

「……有希子さんはわたしのことどれぐらい知ってるの?」
「職業と公安の協力者であること、今回潜入するのに変装の手解きが欲しいということぐらいだ。詳しいことは話していない」

 わたしの到底信じ難い話は、有希子さんの耳には入っていない。
 ほっと息を吐いた。

「了解。あまり口を開かないようにするわ」
「あぁ。あれから連絡は?」
「それが、ちっとも来ないのよね」

 藤波さんに渡したUSBメモリの中に入ったデータには、ロックがかかっている。パスワードを間違えたり、入力する以外の方法で中身を見ようとすれば、データがクラッシュするように作ってもらった。
 何かしら連絡があると考えて、怒鳴られることも覚悟していたというのに、スマホは沈黙したままだ。
 アザラシのぬいぐるみを指で転がすと、コナンくんがストラップを覗き込んできた。

「それ、可愛いね。水族館のだよね?」
「うん。降谷さんとデートした場所でお揃いでもらったの」

 降谷さんはデスクの鍵につけるような話をしていたけれど、結局どうしたんだろうか。

「……そっか」

 コナンくんが申し訳なさそうに相槌を打つ。
 小さな頭を撫でて、言外に"気にしないで"と伝えた。

「赤井さん、FBIの人たちは?」
「うちのボスとジョディが動く。生活拠点を突き止めたらボウヤに連絡が行く筈だ」
「千歳さんは、ボクが良いって言うまでベルモットや刑事さんにはバーの場所は伝えないようにね。安室さんに先手を取られると動きにくくなっちゃうから」
「えぇ、わかったわ」

 バーの中で情報を収集しながら、解散した後はメンバーを尾行して生活拠点を突き止める。
 取引の日時と手段がわかったら、どうやって取引される薬物を奪うかも考えなければならない。

「そうそう、今、偽名をどうしようかって考えてるんだけど……」
「んー……"ちせ"とかでいいわ。語感が可愛い方がいいでしょ」

 適当に思いつくまま答えるとコナンくんはすんなり頷いて、赤井さんに視線を向けた。

「赤井さんはどうするの? "諸星大"はまずいよね」
「ふむ、よくわからんが千歳が俺だと識別するために使っている"池田"という姓でいいんじゃないか」

 確かに赤井さんたちにとってはまったく関連性のない姓だから良いのかもしれない。
 そう考えたところで、コナンくんがこちらを振り向いた。

「あれ、由来は何なの?」
「え、気になるの」
「うん!」

 コナンくんと赤井さんが気にするほどのことでもないと思うのだけれど。
 興味津々な二対の視線に耐えかねて、もごもごと口を動かす。

「……アニメで」
「うん」
「赤井さんの声を演じてるのが池田さんっていう人なの」
「ホォー……そういうことだったのか」
「名前、名前ねぇ……"秀一"だとまずいし、"一"だけ取って"はじめ"とか」

 安直だけれど、姓が既に赤井さんを連想できないものなのだから別にいいだろう。

「それでいこう」

 赤井さんが即答した。
 偽名も決めたし、振る舞いもどうすればいいか教えてもらったし、ひとまずの準備は万端だ。
 与えられた部屋で仕事をしながら有希子さんの帰りを待った。


********************


 日も沈んで、外はすっかり暗くなった。
 服を買いに行ったついでに食材の買い出しもしてきた有希子さんお手製の夕食を食べて、出かける準備をした。
 ワンピースの上にサイズが大きめのカーディガンを着て少しだらしない格好をして、コートを羽織る。靴は動きやすいようにヒールが低めのブーツにした。
 赤井さんはラフなTシャツにスタイルをよく見せる細身のパンツを合わせ、モッズコートを羽織っている。ワークブーツを合わせて、よりカジュアルに見せるつもりのようだ。

「あー……いるわね、こういう人。治安悪そうなところに」
「でしょ? なかなか上手くできたと思うのよね!」

 なまじ顔が良いので目立つ気はするけれど。
 有希子さんがワックスで髪を直すために手を伸ばすと、赤井さんは背を少し丸めて手が届くようにしていた。
 赤井さんが用意してくれたスマホだけコートのポケットに入れて、財布や身分証、自分のスマホは部屋に置いてある。
 有希子さんとコナンくんはここで待機することになっているため、見送ってもらってセーフハウスを出た。
 ひんやりする空気が頬を撫で、吐き出す息は白くなって空気に溶けていく。

「……まだまだ寒いわね」
「あぁ」

 歩調を合わせてもらいながら歩くと、二十分もすればネオンの目立つ通りが近づく。
 赤井さんは手前の路地に入って、足を止めた。
 こちらを向いた赤井さんの顔を見上げると、眉間に寄ったシワに目が行く。

「……赤井さん?」
「千歳。引き返すなら今のうちだ」

 表情だけを見れば不機嫌そうに見えるのに、その口から発されたのは諭すような優しい声だった。
 ネオンの海に飛び込めば、引き返すことはできなくなる。赤井さんからの、最後の忠告だ。

「……そうね」
「君が"ちせ"でいる間は、優しくしてやれないかもしれない」
「えぇ、覚悟の上よ」

 元よりそういう"設定"だ。危険な人間に近づきたいのなら、危険な人間になりきらなければならないから。
 コートとカーディガンの袷を重ねて握り、首筋を露わにする。

「何なら噛み痕でもつけていく? あなたが嫌じゃないなら、だけど」

 挑発的に笑うと、赤井さんは苦く笑ってわたしの手を袷から離させた。

「それは彼との約束に反する。君に体を張らせたい訳じゃない」
「……なら、試すようなこと言わないで」
「そうだな、すまない」

 怖くないわけじゃない。逃げない理由があるだけ。
 よく回るようになった口を動かし続けなければ、足が竦んでしまいそうだ。
 寒さでか緊張でかわからないけれど冷えた指先を、擦って温められる。

「君が退かないなら俺はそれに付き合うだけだ。……行こうか」

 赤井さんはわたしの手を掴んで歩き始めた。
 わかりやすく気遣いに欠けた歩調を小走りで追いかけながら、命綱とも言える大きな手を握った。

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