01

※組織壊滅後/結婚済


「お、降谷は午後休みだったか」

 午前の仕事を終えて帰り支度をしていると、昼食を摂りに出かけようと席を立った上司に声をかけられた。
 働き詰めで休みを取るように言われた直後だったためか、嬉しそうにされる。

「えぇ、妻が仕事で酒を飲んでしまうので、迎えに行ってやりたくて」

 今日、千歳は日中に行われるパーティーに通訳としてついていくことになっている。千歳の客は親しくしてくれていて、パーティーについていくと仕事に差し障りない程度に料理や酒を勧めてくれるというのだ。
 美味しいものは楽しんできてほしい。
 行きは自分で運転していったから、俺が電車かバスで行って運転してくるつもりで千歳と示し合わせていた。

「この間酔っ払った招待客に絡まれてたもんねぇ」

 白河さんがデスクで伸びをしながら零した。先日仕事で警備を引き受けたパーティーに千歳も参加していて、手を借りたらしい。
 左手の薬指にきちんと結婚指輪を着けさせているというのに、酒の入った人間には都合の悪い物が目に入らないのかそういう声かけが後を絶たない。
 ベルモットほどの美貌はないが、自分を美しく見せる術をよく知っていて、振る舞いも凛としている。時折その中に垣間見せる素の柔らかさが、"もっとそれを知りたい"と思わせるのかもしれない。

「迎えに行くだけじゃなくて家事もやってあげてるんでしょ? この間穂純ちゃんがクライアントに惚気けてたよ」
「あぁ、"仕事で遅くなっても自分のことはやってくれるどころかお風呂の準備もしてくれる"って喜んでましたね」
「へぇ、随分な愛妻家じゃないか」

 藤波も加わって、三人でにやにやした笑みを向けてきた。
 周囲で話を聞いていた者も温かい視線を送ってくる。勘弁してくれ。

「……ん? そういえばそのパーティーって、最近できたホテルで開かれてるやつか?」
「えぇ」

 上司の言葉に頷いてホテルの場所を伝えると、上司はさぁっと顔を青褪めさせた。
 まさか、何か別の案件が? 千歳の手を借りた方がいいだろうか。
 スマホをポケットから出すと、"違うそうじゃない"と止められた。

「君と自分の娘との見合いを持ちかけてきている人物がいてな……その娘が、おそらく君の奥さんの参加しているパーティーにもいるはずだ」
「は……」
「君には配偶者がいるからと何度も断っていたんだが……いや、まさかな。旧姓で仕事をしているというし……」

 その人物はいかにもきな臭く、好機とは思ったが千歳からの信用を失うことと秤にかけて、上司のところで話を止めて断ってくれていたらしい。
 娘は俺にご執心で、探偵まで使って千歳にスキャンダルがないか探り回っているという。旧姓を使って仕事をしているとしても、そうなれば顔を知られてしまっているはず。上司の希望的観測に過ぎない。
 ――軽薄なナンパ男よりそちらの方が心配だ。
 上司にその人物の娘だという女性の写真を見せてもらい、顔を覚えた。

「降谷君、外で食べたい気分になったからコレあげるよ」
「ありがとうございます。お疲れ様です」

 白河さんからコンビニのおにぎりと緑茶のパック飲料が入った袋を受け取って、挨拶をして足早に庁舎を出た。
 自宅に帰り、上司が気を利かせて送ってくれた情報に目を通しつつ、おにぎりと今朝の残り物で胃を満たした。
 歯を磨いて、グレースーツを脱ぎ潜入時代に身に着けていたような品の良い、それでいて日常風景に溶け込める服装に着替える。
 タクシーで向かえば、パーティーが終わる前に会場に着くだろう。最寄り駅の前に停まっていたタクシーを捕まえて、千歳が参加しているパーティーの会場であるホテル名を告げた。
 ホテルに到着して料金を支払い、タクシーの運転手には帰りの足はあるから待たなくていいと伝えて、ロビーに入る。入り口に掲示されているイベントホールの使用状況を確認して、そのホールの入り口に一番近いソファに座って待った。
 フロントの女性に声をかけられたが、ホールにいる人物の迎えに来て待っていることを伝えると、納得してくれたようで追い出されはしなかった。もしかしたら結婚詐欺師にでも見えたのかもしれない。
 少し待てば、会場となっているホールから人が出てきた。その中に千歳の姿を見つけてソファから立ち上がる。

「千歳」

 周囲の人間の話し声に紛れるようなものだったが、千歳はぱっと顔を上げて俺の姿を見つけ、一緒に出てきたクライアントである夫婦に声をかけて近づいてきた。

≪わたしの夫よ。迎えに来てくれたの≫
≪こんにちは。降谷零といいます≫

 イギリス人らしい夫婦と握手をかわした。

≪今日はこのままここに泊まるの?≫
≪空港の近くのホテルに泊まりたいんだが……手配してもらえるかな。タクシーも≫
≪すぐに手配するわ≫

 千歳はフロントでタクシーの手配をお願いすると、そこから離れて空港の近くのホテルに電話をし始めた。
 サービスで手配をしていることが多く、すっかり手慣れた様子だ。

≪チトセが結婚しているのは知っていたけど、まさかこんなにお若い方だったなんて。ねぇハニー≫
≪あぁ、驚いたよ≫
≪こう見えて彼女より五つも上なんですよ≫
≪そうなの? ちっともそうは見えなかったわ。日本人は幼く見えがちだけれど≫
≪よく言われます≫

 夫婦との雑談に興じながら、千歳が電話を終えるのを待った。
 フロントの女性からタクシーが来たことを伝えられ、案内してもらう。電話を終えた千歳も追いかけてきて、フロントの女性が建物の中に戻っていったのを見計らって運転手に行き先を伝え、料金の概算を尋ねていた。

≪請求書はいつも通りに頼むよ≫
≪ご利用ありがとうございました。またよろしくね≫

 千歳はひらりと手を振って車から離れた。去っていくのを見送り、こちらに向き直る。

「ごめんなさい、付き合わせちゃった」
「いや、いいさ。クライアントに良くしてもらえているようで安心した」
「エドや宇都宮さんの紹介よ? 変な人に当たる方が稀だわ」

 いつもよりご機嫌に見える。適度に飲酒してきたのだろう。
 さて帰ろうか、と車のキーを受け取ったところで、女性に声をかけられた。

「穂純千歳さんよね。少しお時間よろしいかしら」

 声がした方に目を向けると、そこには数時間前に顔を記憶した人物が立っていた。
 結婚していることを知っているだろうに、敢えて旧姓で呼んでくる意地の悪さ。
 千歳は当然だが状況をまったく理解しておらず、首を傾げて"何かしら"と応じた。ここでトラブルになってホテルや周囲の客に迷惑をかけるのも良くない。千歳の車は駐車場の端に停めてあるし、そちらへ行くのがいいだろう。

「千歳、車の方に行こう」

 囁くと、千歳は自然な所作で"場所を変えましょう"と言って歩き出した。
 車のそばの空いたスペースに移動し、声をかけてきた女性と向き合う。

「それで、何の用事かしら?」
「貴女に身を引いてほしくて話をしにきたのよ。貴女は降谷零さんに相応しくない」
「……はぁ」

 険しい表情ときつい口調で言われたのだが、千歳は途端に気の抜けた返事になった。元々出自不明なことは問題になっており、上司の後押しがあって許された関係だ。傍からはシンデレラにでも見えるのだろう。千歳もそれは理解していて、この手の話にはあまり耳を傾けないようにしていた。
 女性は持っていた鞄からファイルを取り出し、それを捲る。写真を数枚取り出して、そのうちの一枚を突きつけてきた。

「降谷さん、貴方の奥様は出自不明などころか不倫までしてるのよ!」

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