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 ロックグラスが置かれ、結露した水滴がテーブルに垂れ落ちる。
 藤波さんはそれを眺めてから、穏やかに微笑んだ。

「それで、預けたい物って?」
「USBメモリよ、たくさんあるの。訳し終わったから、早く手放したくて」
「あぁ、城の時の。良かった、これで捜査が捗るよ」

 捗ることはないだろうけれど、口を閉ざした。
 袋ごと渡すと、藤波さんはそれを検めることなく鞄に仕舞う。
 そうして、こちらにまっすぐな視線を向けてきた。

「それで、穂純さん。降谷さんと何かあった?」

 核心を突かれて息を飲んだけれど、ひとまず首を傾げることでごまかした。
 単なるカマかけなのか確信を持っているのか、表情からは読み取れない。

「どうして?」

 心当たりがないのなら、普通はその質問をするに至った理由を聞く。
 藤波さんはひとつ瞬きをして、目を眇めた。

「最近、沖矢昴という男とよく会っているみたいだから」

 わたしの動向はチェックされているらしい。

「浮気でもしてるのか、って?」
「そこまでは言わないけど。降谷さん、あまり良い顔しないんじゃないのかい?」
「さぁ、何も言ってこないから何とも。案外わたしの方が化けの皮を剥がすのに向いていたりして」
「……君は他人の警戒心を解かせるのが上手いからね」

 藤波さんは苦笑いをして、またお酒を一口飲んだ。

「……僕の協力者になる気はない?」

 質問の意図はわからないけれど、答えは明確に決まっていた。
 グラスを手に取り、カルーア・ベリーを飲む。

「ないわね」
「うわぁ、ばっさり。それはそれで傷つくなぁ」
「あら、傷ついたのはこっちよ」
「え?」
「一番大事な預け物、処分しちゃったんですってね。帰る手掛かりが綺麗さっぱりなくなっちゃった」

 風見は藤波さんに情報共有なんてしないだろう。白河さんにもだ。
 降谷さんに対しては、わたしが口止めをした。風見はこの件について、降谷さん以外を信じていない。わたしが帰らないことを決めただなんてこと、藤波さんが知るはずもないのだ。
 藤波さんは顔色を変えないまま、膝の上で組んだ手に顎を載せた。

「……それは僕の知らない情報だよ」
「本当に?」
「うん」

 カルーア・ベリーを飲み干して、グラスをテーブルの上に置いた。
 藤波さんは降谷さんと風見が詳細を話すはずがないと確信している。わたしも赤井さんにレコーダーの音声を聞かされるまで、何も知らなかった。
 彼の知る範囲で、わたしは定期券と時刻表を処分した人物の特定に至るほどの情報を知る手段がない。それで、しらばっくれている。

「……わたしは零さん以外を信用しない。おやすみなさい」

 最後まで笑みは崩さないまま言い切った。
 荷物を手に取って、"藤波さんは甘い物は好きだっただろうか"と考えつつソファから立ち上がりドアに向かうと、藤波さんが慌てた様子で追ってきたのが物音でわかった。
 手首を掴まれて、足を止める。

「君を守るためだよ」

 どの行動に、そんな意味を持たせたというのだろう。帰る手掛かりを消したこと、藤波さんの協力者になることを提案してきたこと、一体どれに。
 藤波さんの声の調子はいつも通り、表情は振り返らないからわからない。――何より、振り返って顔を見て、絆されるのが嫌だった。
 コナンくんが解き明かしてくれるまで、根拠もなく信用する気はなかった。

「……離して」

 静かに答えると、ゆっくりと手首が離された。
 ドアを開けて、振り返ることなく部屋を出た。いつも通り、会計をすることなく馴染みのバーテンダーにお礼を言ってお店を出た。
 マンションに戻り、自室の玄関をくぐってドアを閉めて、鍵がかかった瞬間ほっと息をつく。部屋はエアコンのおかげで部屋は暖かい。
 プライベート用のスマホを取り出して、誰にも電話をすることができないことを思い出して両手で握りしめた瞬間、振動が着信を知らせた。

「!?」

 思わず肩を跳ねさせて、画面を見る。
 発信者は"池田さん"。自分で登録しておきながら気が抜けて、連絡が欲しい時に来たことにほんの少しの喜びを覚えながら、通話ボタンをタップした。
 靴を脱いで、ドアから遠ざかりながらスマホを耳に当てる。

「穂純です」
『赤井だ。無事帰れたか?』
「タイミングよく。尾行してたでしょ。おかげさまで、の方が正しいかしら」
『姫に命じられて仕方なく。"私の千歳さんを奪ったのは誰なのか突き止めてこい"と言われてしまったよ』
「哀ちゃん、熱烈ね。うれしいわ」

 電話の向こうで赤井さんがくつくつと喉を鳴らして低く笑ったのがわかった。

『君たちは随分仲が良くてこちらが手こずらされる。しかし……長電話は得策ではないな。この通話に探りを入れられている』
「!」
『少し待っていてくれ』

 通話が切られて、お風呂にお湯を溜め始めつつソファに座って少し待つと、公衆電話から電話がかかってきた。

『赤井だ。すまない、少し離れた公衆電話を探していた』
「大丈夫。やっぱり動向を探られてるのね……」
『何かあったな? 数日外泊できる準備を整えておいてくれ。こちらの作戦も固まった、すぐにセーフハウスを手配する予定だ。……スマホも一台、君用に用意するべきだな。君の名義だとすぐに探りを入れられる。手配は俺がするから、君はそのまま過ごしていてくれ』
「わかった」

 通話を終えて、まだお風呂が溜まるまでには時間があったのですぐに荷造りに取りかかった。
 泊まりでの仕事は何度もしている。キャリーバッグに衣類と旅行用の日用品を詰めて、買ったまま放置していた煙草の紙袋をその上に載せた。あとは、貴重品を持てばいつでも出られる。
 ゆっくりお風呂に浸かって、寝る準備をしてベッドに潜り込んだ。
 赤井さんがタイミングよく電話をしてくれたから、心細さは軽減されていた。
 藤波さんと対峙して緊張したせいか、眠気はすぐにやってくる。スマホを充電器に繋いで、重たくなる瞼を下ろして枕に沈み込んだ。

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