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 わたしが降谷さんが潜入している組織の幹部であるベルモットに接触されたという事実は、風見にとっては固まるほどの衝撃の事実だったらしい。
 風見はわなわなと唇を震わせて、きつく目を眇めて何かを考えた後、目を閉じて深く長く息を吐き、気を落ち着けたようだった。
 もう一度開かれた眼鏡のレンズ越しの目からは、考えていることが読めない。
 ――仕事のスイッチを入れられた。

「ベルモットに何をされた」
「話をして、服を買ってもらって、お茶をした。それだけよ」
「話の内容は」
「バーボンが今どうしているのか教えてもらっていたの」

 必要以上のことを答えないわたしに、風見はじれったそうな顔をした。

「……何と言われた」
「わたしを使えば簡単に終わる仕事なのに、どうしてわたしに接触しないのか、って」

 風見は拳を握り締めて、顔を青褪めさせた。

「……今、どうなってる。降谷さんとは連絡を取れない状態だ。元々、そう頻繁に連絡できる立場の人でもないが……」
「何も知らないの? 本当に?」
「あぁ、五日ほど前から連絡が取れていない。穂純、今、何がどうなっているんだ」

 元々、風見は嘘がそう得意ではない性格らしい。厭味ったらしい言動はできるけど、他人を欺き続けることには長けていない。
 わたしから引き出したかった"ベルモットと何を話したのか"という情報が手に入ったことも、気を緩めていい理由だったのだろう。焦りが顔に出ていた。

「バーボンがいま取りかかっている仕事は、ロシア語とギリシャ語を使う薬物の売人がこれから行う取引について調べて、取引される薬物を横取りすること。……バーボンはわたしの手を借りずに仕事を遂行しようとして、ロシア語とギリシャ語を勉強し始めた」
「あの人ならできなくはないだろうが……。待て、ロシア語とギリシャ語……? FBIに国内捜査の許可が下りたあの件と関係しているのか!?」
「それは確認中。明日には情報が届くと思うわ」
「穂純」

 強い声調で名前を呼ばれて、風見の顔をじっと見る。
 風見は顔に浮かんだ焦りをより一層色濃くして、また口を開いた。

「……何を、するつもりだ。会った時から様子がおかしい、何故そこまで落ち着いている!? 降谷さんの非効率を咎められれば、逃がされたと認識されるお前にも危害が及ぶ! それを、何故そんなに呑気に……FBIはどうした! 降谷さんが手を回してくれているはずだろう!」

 この部屋に来た時から感じていた違和感を、すべて突きつけられたようだった。
 カウンターに手をついて背筋を伸ばし、それでもまだ高い位置にある風見の顔を見上げて笑んで見せる。

「FBIには、頼らないことにした。……わたしのせいで降谷さんの立場が悪くなるのには、耐えられないから」
「……降谷さんの立場を悪くしないために、ここに留まることを選択したのか」
「そうなるわね」
「まさか、件の薬物の売人に接触するつもりか?」
「具体的な行動は決めていないわ。情報が足りな過ぎるもの」

 風見はもどかしそうに歯噛みした。

「降谷さんが組織に疑われないように、わたしにできることをするつもりだけれど。……それでも、降谷さんの憂いは晴れない。風見。――藤波さんって、どんな人?」

 ベルモットは、バーボンがわたしを逃がそうとしたことなどなかったことにするだろう。そうすれば、バーボンが咎められる理由はなくなる。
 あとに残るのは、公安警察からのわたしに対する処置について。わたしを保護させる先をエドやFBIにした、一番の理由。
 降谷さんは、名前は出さないながらもわたしからの預かり物を傷つけたのは藤波さんだと推測した。

「……どこまで知っているんだ、本当に」
「わたしが預けた物を紛失させたり破損させたりしたのは、藤波さんじゃないかっていうことぐらい。だから、彼がどんな人か知りたいの」

 彼がどんな正義を抱える人なのか。その正義に基づいてやったことなのか。
 それを知りたかった。
 風見は眉を寄せて、シンクの縁を握る。

「……藤波さんは、あんなことをするなんて信じられないほど……、優しい人だ。事を収めるのもとても上手い。降谷さんからその推測を聞いたときは、俺も耳を疑ったし……、降谷さんも、自分の推測を信じられないと言いたげだった。何より、穂純の手を借りながら、穂純にとって最も大切な物を傷つけるというのは……公安に恨みを抱かせ、要注意人物としてしまう危険性を大いに孕む。今回のことにおいては、不可解な点が多過ぎて――最早降谷さん以外、誰を信じていいのかわからない状況だ」
「……藤波さんが、スパイだっていう可能性は?」
「それなら実行者が自分だと簡単にわかるような手段は取らないだろう。ウイルスでも送って無差別にデータを破壊すれば済む話なのに、降谷さんのスマホの時刻表のデータだけ消したというのも気にかかる。穂純に関することでしか、対立する気がないと言っているようなものだ」
「そう、ね……」

 何かが引っかかる気がするけれど、その"何か"が何なのか、わからない。

「穂純、頼みがある」

 やけに改まった声に、落としていた視線を上げた。
 風見は姿勢を正し、真剣な顔でわたしを見ていた。

「?」
「降谷さんに潜入捜査を続行してもらうために……協力してほしい」

 そう言って、風見は深々と頭を下げた。

「それは……警察がわたしに何をしたかをわかった上での頼みよね」
「あぁ」
「それでも、わたしに頼むのね?」
「あぁ。……頼む」

 降谷さんからの連絡がない今、ベルモットと接触して話を聞き、目的とされる取引を行うグループについての情報も手配しているわたしは、風見より多くの情報を持っていることになる。
 背景事情を抜きにすれば、わたしに協力を求めたいと考えるのは当然のこと。
 そして風見は、降谷さんと一緒にわたしの身分証を守り、返してくれた。
 背景事情を考慮しても、降谷さんのために、信頼できる風見の頼みなら聞き入れる――正解だ。

「……いいでしょう、あなたに全面的に協力します。だから顔を上げてちょうだい、ね、風見」

 風見はゆっくりと顔を上げて、安堵の溜め息をついた。

「具体的な行動については、信頼できる人に相談して考えてもらうつもりよ。こちらから何をしてほしいかお願いするかたちになる。……降谷さんにも、内緒にしておいてほしい」
「構わない。それ以外にも必要ならある程度の譲歩もしよう。――薬物の押収は諦める」
「そうして。また連絡するわ」
「あぁ、頼んだ」

 風見は僅かに残った真っ黒な欠片と持ち込んだものをすべて回収し、わたしを気遣わしげに見た後、"気をつけろ"とだけ言い残して部屋を出ていった。

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