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持たされた袋とベルモットの顔を交互に見ていると、ベルモットは愉しげに声を立てて笑った。
「プレゼントよ。突然時間をもらったお礼」
「……ありがとう」
明らかにわたしに合うものをと選んでいたし、実を言えば"いいな"と思ったものをベルモットが購入していた。
返すのも気が引けて、ありがたく受け取ることにした。
「個室のカフェを予約したの。そこで電話をして頂戴」
銀座で買い物をしたのは、わたしのリスクを抑える気遣いを見せて話を聞いてもらい、協力関係を結ぶため。
ベルモットはわたしを害する予定がない、それがわかれば個室でもやりとりができる。わたしがそう考えることぐらい、簡単に予想できるだろう。
沖矢さんの目の届く範囲からは消えることになるけれど、変に警戒してもベルモットから情報が得られなくなってしまう。
「……わかったわ」
頷くと、ベルモットは"こっちよ"と言って踵を返した。
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カフェに着いて部屋に通されると、ベルモットがケーキセットを注文した。
アンティークな木製のテーブルとチェア、壁に飾られた花や絵画も統一感があって落ち着く。足元に敷かれた絨毯もふかふかで、いいお店なのだろうと容易に見当がついた。
注文した品が来るのを待つ間に、ベルモットが部屋の隅々までチェックするのを眺める。こういうの、少しは覚えた方がいいのだろうか。ぼんやりと考えたけれど、調べた結果に自信が持てなさそうなので無理だという結論に達した。
ベルモットは大丈夫そうだと判断したのか、静かに席についた。
電話をするように促され、スマホを取り出してエドの番号を電話帳から呼び出す。発信ボタンをタップして、スマホを耳に当てた。
もう正午を過ぎてだいぶ経っているから、エドも起きている時間だ。数コール待つと、通話状態に切り替わった。
ベルモットには申し訳ないけれど、誰かが居合わせていると思われてもいけないのでドイツ語で話すことにする。
≪チトセか? どうしたんだ≫
≪……この前忠告してくれた、ロシア語とギリシャ語を話す薬物の売人について≫
≪あの話か≫
柔和だったエドの声が、用件を伝えると同時に硬くなった。
≪詳細な情報が欲しいって言ったら、いくらで手配してくれる?≫
≪……関わる気なのか?≫
忠告が聞けなかったのかと咎めるような口調だ。
エドが心配して連絡をくれたことはわかっていた。それを無碍にしてしまうことを申し訳ないとは思う。
でもここまで来たら、もう引き下がることなんてできない。
≪避けられない事態になってしまって。せめて情報が手に入れば、少しはリスクを減らせると思うのだけれど≫
エドは深い溜め息をついた。
≪いいだろう、――一万五千ユーロ。用意できるかね≫
手帳に"15,000EUR"と書き込むと、ベルモットはスマホでインターネットバンキングのページを開いて見せ、"口座を聞き出して"と言った。
≪口座を教えてくれる? すぐに振り込むわ≫
二百万円程度で情報が手に入るのなら安いものだ。降谷さんのことを手助けできる時点で、それはひどく大きな意味を持つ。
教わった口座を手帳に書いてベルモットに見せると、すぐに振込の手続きをしてくれた。
「いくつかの口座を経由して送金したわ。"kitten"という名前よ」
ジンもベルモットも、何が何でもわたしを子猫呼ばわりしたいらしい。
こめかみを人差し指で揉んだ。
≪エド、入金は確認できる? ……"kitten"という摘要のはずよ≫
≪少し待ってくれ。……あぁ、確かに確認したよ。ちょうど日本に腹心の部下がいる、明日の午前十時に届けさせよう≫
≪よろしくね。……心配をかけてごめんなさい≫
≪まったくだ、だが頼りにしてもらえて嬉しいよ。用心しなさい。ヘレナを悲しませないでおくれ≫
≪えぇ、ありがとう。それじゃあまた≫
通話を終えて、ほっと息を吐いた。
スマホをしまって、お冷で喉を潤す。
「お金はどうしたらいいの」
「組織の経費で落とすわよ。取引されるのはアタッシュケース三つ分の薬物。ルートさえ選べば、金額はいくらでも跳ね上げられる。大して痛くもない出費ってことよ」
つまり、成功しなければ出費のみが残り、バーボンともども殺される確率が高くなる、と。
「……ますます失敗できないわね」
ベルモットは声を立てて笑い、ドアをノックされる音に返事をした。
運び込まれたケーキセットに手をつけながら、ベルモットはコナンくんと蘭ちゃんのことを知っているかと尋ねてきた。
「もちろんよ。安室さんのアルバイト先にはよくお茶をしに行っていて、そこでも会うもの」
「そう。あの二人には、何があっても手を出さないで頂戴。バーボンにとってのアナタと同じ、私の宝物よ」
「……わたしが誰彼かまわず危害を加えるような人間に見える?」
「まさか。念のための保険よ」
むしろわたしが二人に危害を加えそうな人間だとわかれば、弱点を晒すような真似はしない、か。
その後はベルモットは至って普通にお茶をして、服はどこのブランドがわたしに似合うだとか、靴はどこのお店がおすすめだとか、有意義な情報をたくさんくれた。
すっかり楽しんでしまったけれど、ベルモットの機嫌も良さそうだったし、カフェの前で連絡先を交換して解散してくれたので良かったのだろう。
帰りはどうしようかと駅前をうろついていたら、スマホが着信を知らせた。辺りを見回すと、路上に赤のスバル360が停まっているのが見えた。
わたしと目が合うと、着信元だった沖矢さんの携帯からのコールも止む。
車に乗り込むと、モスグリーンの瞳を覗かせた赤井さんが手荷物を受け取ってチェックしてくれた。
「何も仕掛けられてはいないようだ。……君は何もされなかったか?」
「えぇ、バーボンに関する情報をくれたぐらいね。危ない橋を渡りそうだから手助けしてほしい、だそうよ。ひとまず目的は重なるし、協力関係を結んできた」
「そうか」
「ごめんなさい、せっかく危険を冒して来てくれたのに」
特に何もされなかったし、呑気にお茶までしてしまった。
赤井さんは首を横に振り、手荷物を返してくれた。
「何もなかったのならそれでいいさ。寄るところはあるか?」
腕時計を見て、風見が来るまでまだ時間があることを確認する。
元々の出かける目的を、何一つ果たせていないことに気がついた。
「……スーパーで買い物がしたいのだけれど」
「ふむ、付き合おう。ついでに米も買うといい」
「えっ何、荷物持ちしてくれるの」
「代わりに小さな姫のご機嫌取りができる甘い物を教えてほしい」
苦い顔をして交換条件を申し出てくる赤井さんに、溜め息が漏れた。
「……何やったんだか。いいわよ、先に米花駅前の百貨店に行きましょう」
車はウインカーを出して、滑らかに走り出す。
コナンくんにどう相談しようかと考えながら、窓の外を流れていく景色を眺めた。
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