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「風見? ちょっとお願いがあって、いい?」

 ツーコールで出てくれた風見に向けた声は、自分で思っていたよりもずっと穏やかだった。
 それこそ今の今まで泣いていたなんて、思わせないぐらいには。
 ソファに座って、窓の外を眺める。

『なんだ?』
「本当の身分証、全部わたしの目の前で処分してほしいの」

 風見が息を呑む音が聞こえた。

「日取りは風見に合わせるし、場所はわたしの家でいいから――」
『穂純』

 この電話では何も聞かれたくなくて言葉を続けていたら、力強く呼ばれて遮られた。

「なに?」
『……それは、"ちょっとしたお願い"なんかでは……済まされないだろう』

 困惑したような声に、捲し立てすぎたかと反省する。

「説明はするよ、ちゃんと。……だから、それまで何も聞かないで」
『ハァー……わかった』

 風見が額を押さえて溜め息をつく姿が容易に想像できる。
 なんだか風見のことは振り回してばかりだなぁ、とぼんやり思った。

『だが、降谷さんが運転免許証を返しているし、他のものは……』

 風見が言葉を濁した。
 そうか、風見はわたしが知っているということを聞いていないのか。

「どんなかたちになっていても構わないわ。あるだけ全部、持ってきて」
『……わかった。少し待ってくれ』

 電話の向こうで、紙を捲る音が聞こえた。
 予定の確認をしてくれているようだ。

『明日の夕方でいいか?』
「明日!?」
『なんだ、都合悪いのか』
「いや大丈夫だけど、早くない? そんなに急で大丈夫?」
『あれは、処分できるなら早いうちにした方がいい。穂純が"そう"決めたのなら、尚更な』

 もはや処分されたも同然だけれど。
 とにかく、この世から消し去らなければならない。できるだけ、欠片も残さずに。
 風見が少しでも優先しようとしてくれることがありがたかった。

「……ありがと」
『編集者として行く。名乗らずに"原稿を受け取りに来ました"とだけ言うぞ』
「わかった。よろしくね」

 電話を終わらせて、ふぅと息を吐く。
 哀ちゃんたちにも連絡しないと、そう思い立ち、哀ちゃんのスマホに電話をかける。
 ワンコール鳴った瞬間、すぐに通話状態になった。

『千歳さん!?』

 どうやら連絡を待ってくれていたらしい。
 でも、信じられないと言いたげな声だった。

「そうよ、千歳さんよ。哀ちゃん、三日ぶりね」
『戻ってきたの……?』
「えぇ」
『家族は、良かったの』

 組織に家族を殺されて天涯孤独となってしまった哀ちゃんには、わたしが家族のそばにいることを選ばなかったことが気にかかるのだろう。
 帰る方法がわかったとき、哀ちゃんは寂しさを隠さないながらも戻らなくてもいいのだと言ってくれた。

「……あんまり、良くはないけど……。家族以上に大事なものを、つくってしまったのよ」
『そう、……千歳さんが決めたのなら、私にどうこう言う権利はないわね。晩御飯はどうするの? 良ければうちに来て。昴さんがビーフシチューを分けてくれるの』

 良ければ、とは言っているけれど。来てほしいと強く思ってくれていることが声から伝わってきた。

「あら、じゃあお呼ばれしようかしら。ちょっと作るの面倒だったのよね」
『江戸川君も呼ぶわね』
「任せるわ」

 歩いてきてくれればいいと言われたので、電話を切って出かける準備を始めた。
 顔を洗って少し目を冷やしてから、化粧をし直した。降谷さんのことに関してだけ、涙脆くなったなぁ、と思う。
 干しっぱなしにしていた洗濯物を畳んでから、バッグを持って部屋を出た。


********************


 阿笠邸に行くと、博士と哀ちゃん、コナンくんと沖矢さんが出迎えてくれた。
 哀ちゃんはわたしの姿を見るなり抱きついてきて、身を屈めてそれを受け止める。

「本当は……嬉しいのよ、私。千歳さんとお別れにならなくて済んで……」

 ごめんなさい、と謝る哀ちゃんの頭を撫でた。
 哀ちゃんは優しい。わたしが苦しい取捨選択をしたことを悟って、喜ぶ自分を不謹慎だと叱りつけている。

「謝らなくていいのよ。わたしも哀ちゃんとお別れにならなくてうれしいわ」

 別れを惜しんでくれたことが、とてもうれしかった。
 珍しく感情を露わにする哀ちゃんを見守っていたコナンくんと沖矢さんが、真剣な顔でこちらを見ていた。

「……帰ってきてくれたんだね」
「えぇ。沖矢さん、あとで話があるの」

 コナンくんはぴくりと体を反応させ、沖矢さんは眉間のシワを深くした。

「家まで送ります。コナン君も、その後毛利さんのところに送り届けますから」
「わかったわ。……さぁ、哀ちゃん。ご飯にしましょう。お腹空いちゃった」

 軽い足取りでキッチンに向かい、博士を手伝う哀ちゃんの姿を見守った。

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