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 実家の二階にあるわたしの部屋に通してもらった。
 ベッドやクローゼットはそのままで、床に所狭しと段ボール箱が重ね並べられている。
 この中から探すのは骨だと思いつつ、電気をつけてくれた父に向き直った。

「本棚にしまってあった物とかは、どの箱に?」
「たしかその通販の箱だったかな……」

 指差された箱を、断りを入れて開けてみる。
 中には覚えのある本やファイルが詰められていた。

「経理職だったという話ですし、書類の保管はしっかりしているはず。そう、たとえば……こういうファイルとか」

 契約書を綴じていたファイルを二冊取り出した。
 金融機関やカード会社からもらった契約書や利用規約を綴じたファイルを父に渡して、自分は保険関係の書類を綴じていたファイルを開く。
 保険の冊子はすぐに見つかった。

「ありましたよ」

 冊子を取り出しながら伝えると、父は驚いた顔でこちらを見た。

「……娘にそっくりで、本当に驚くな。おまけに娘の性格までよくわかっている」
「わたし、都内の探偵事務所で助手をやってまして。こういう勘はちょっぴり鋭いんです」

 嘘に嘘を重ねつつ、ファイルを持って一階に下りた。
 二件の保険の利用規約を読んで、認定死亡が保険金の請求事由になることを確認した。契約内容を見てみれば、合わせて1,600万円の保険金が下りることもわかった。
 父も母も、それを知って安堵した様子だった。何をするにもお金の要る現代で、これは大きな安心要因だ。
 二人の安堵した顔を見て、わたしもほっとした。

「恵梨さん、本当にありがとうね。良かったわ、あなたを泊めることにして」
「本当になぁ。母さんのお人好しも捨てたもんじゃない」
「まぁ、そういうことを言ってこの人は」

 わたしは母によく似ていると言われていた。
 結婚したら、夫になる人と笑い合って、こんな風になれたのだろうか。
 上手く思い描けない零さんとの未来は望むことすら許されない気がして、こっそりとテーブルの下で手を握り締めた。

「明後日の昼過ぎには日暮里にいたいんだったね。ちゃんと送っていくから、寛いでいってくれ」
「……ありがとうございます」

 一年間音信不通で、遺体も確かめられないまま死亡したとされた娘がいなくなった穴を埋めるようだと、感じないわけではなかった。
 それでも、両親の心が少しでも安らぐのならそれでいい。

「しかし、なんだってこんな保険を……」
「単なる節税だと思いますよ。万が一のことがあったら……というのもあったでしょうけれど」

 これはわたしにとって真実だ。
 父は保険証券を眺めて、くしゃりと顔をゆがめた。

「万が一、か……それが実現してしまうんだから、本当に遣る瀬無いよなぁ……」

 "目の前にいるのがあなたの娘だ"と、言ってしまえたらどんなにいいか。
 零さんが危惧したのは、このことだったのかもしれない。帰って、自分がどんな扱いになっているのかを知って、もしも居場所があったとしたら、わたしは戻らないんじゃないか。
 赤井さんがこっそり録音したあの話をわたしが聞いたのだと知らなければ、そう考えてしまうのも無理はない。あの音声を聞いてようやく、わたしはあちらに留まる意思を固めたのだから。

「……親不孝な娘で、ごめんなさい」

 気がついたら、素直な謝罪が口からこぼれ落ちていた。

「え?」
「きっと、娘さんはそう思っています。今日初めて会ったわたしにすら、お二人が娘さんを大切にしていたことは伝わりましたから……そんなお二人を置いていってしまったこと、きっと娘さんは申し訳なく思っています」

 どうしても、両親を、故郷を選べなかった。
 嘘をついて傷つけてでも、わたしを遠ざけて守ろうとする零さんに――少しでも、報いたい。
 異常な状況の中で生まれた依存の結果だとしても、それだけは変わらない。

「……まるで娘のようだね、恵梨さんは」

 父は寂しそうに笑って、お猪口を傾けた。


********************


 赤の他人として、両親と二日を過ごした。
 家の中の物の配置なんてわからないという風を装うのは少し大変だったけれど、それももう終わり。
 3月7日の早朝、帰り支度をして父とともに車に乗り込んだ。
 助手席の窓を開けて、見送ってくれる母と顔を合わせる。

「もう中途半端に放り捨てるようなひどい男に捕まっちゃだめよ」
「えぇ、もう懲り懲りです。ご迷惑をおかけしました」
「いいのいいの、娘と過ごせた気分で嬉しかったから。また気が滅入ったら遊びにいらっしゃいな。歓迎しちゃう」
「……ありがとうございます」

 もう二度と、ここには来られない。そう思うと無性に寂しくなった。
 母に手を振って、車を出してもらう。遠ざかる母と実家を脳裏に焼きつけて、前を向いた。
 車の運転は好きだ。父も、わたしも。都内では車に乗る必要性もなかったからペーパードライバーだったけれど、帰省したときに父と交代で運転してドライブに行ったのも懐かしい。

「娘とも、こうしてよく車に乗った。……すまなかったね、千歳が帰ってきたようで、僕も妻もついはしゃいでしまったよ」
「いいえ、ご迷惑をおかけしましたし、少しでも楽しい時間にしてもらえたのであればいいんです」

 父はわたしと行ったドライブの思い出話をしてくれて、道中はとても楽しい時間を過ごした。
 渋滞に巻き込まれて、日暮里駅に着いたのは午後四時。危なかったと内心で安堵の溜め息をつきつつ、父と別れた。
 キャリーバッグを転がして、トイレに行き化粧を直した。
 駅は人で賑わっている。緊張で気持ち悪くなりながら、切符を買った。何度も外回り電車を確かめて、時刻表を確認して、17時24分発の電車が到着するホームに向かった。
 二本ほど前の電車から並んで、目的の電車に確実に乗れるように調節をして。電光掲示板で次に来る電車が目的のものであることを確認し、アナウンスを待った。
 やがてホームに滑り込んできた電車のドアが開いて、人が続々と降りてくる。人が捌けて、すぐに電車に乗り込んだ。奥に押し込まれても気にしない。もう、この電車に乗ればいいだけなのだから。
 やっぱり両親の元へ帰りたい、迷う心は人垣が押し留めてくれた。閉まるドアを見つめて、深く息を吐く。
 これで最後。故郷とも、両親とも、お別れだ。
 進み出す電車に後戻りできないことを悟り、奥歯を噛みしめて溢れそうになる涙を堪えた。

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