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 哀ちゃんに勧められて飲み物を飲んでいると、コナンくんと沖矢さんが同時にスマホをテーブルの上に置いた。

「月初が起点でいいんじゃないかな? 問題は単位」
「僕もそう思います。千歳さん、"4869"、もしくは"9684"、"292140"、"581040"という数字に心当たりは?」
「え?」

 コナンくんが、沖矢さんが口にした数字を書いて見せてくれた。
 ぱっと見た限り、"4869"なら覚えがある。

「"4869"……"シャーロック"の、語呂合わせ」
「千歳さん、ボクのことも"シャーロック・ホームズだ"って言ったよね。その喩えを使ったのは、どうして?」
「コナンくんが、ホームズの大ファンで……それと、ある薬にも、その数字が使われているから。重要な数字だって言っていい」
「なるほど。信憑性は高いな」
「"9684"も、"4869"をひっくり返した数字だし、関係あるかもね」

 コナンくんと沖矢さんは顔を見合わせて頷いた。頭のいい人同士で納得しないでほしい。
 哀ちゃんは頬杖をついてジト目で二人を見ていた。

「……どういうことなの?」

 まったくついて行けずに尋ねると、コナンくんがスマホの画面を見せてくれた。
 時間の計算サイトだ。"1月1日の0時00分の4869分前"という設定の計算結果が、"12月28日の14時51分"になっていた。

「毎月1日の深夜0時、ここから4869分戻した時間が月末の三日前の午後2時51分なんだよ」
『そして、9684分進めた時間が毎月7日の午後5時24分。……規則性があるとは思いませんか?』
「本当ね……」

 哀ちゃんが身を乗り出して、一番新しいメールの最後の行を指差した。

「今回が最後っていうのはなんなの?」
「3月っていったら、あるだろ? 電車の発車時刻が変わるタイミングが……」

 発車時刻が変わる。……もしかして。

「ダイヤ改正……?」
「正解! 千歳さんの使っていた山手線もそうでしょ?」
「えぇ、毎年あるわ。そっか、それで最後……」

 コナンくんは博士が淹れてくれたコーヒーを飲んで、一息ついた。

「問題は、こっちから向こうに行ってどうズレるかだよね。でも、どっちに7日ズレたとしても、3月7日の午後5時24分の電車には乗れるから……」
「送られているメールが往復することを前提としていることからも、一度帰って、またこちらに来ることは可能かと。……千歳さん、今日は2月23日です。明後日の昼までに、決められますか」

 僅かに見えたモスグリーンの瞳は、わたしの真意を確かめようと覗いたものなのだろうか。
 明後日の午後2時51分に米花駅を発車する内回りの電車に乗れば、元いた世界に戻れる。たった一度きり、その後戻ってくることもできる。
 コナンくんと沖矢さんが出した答えが、間違いだとは思わなかった。
 帰って、わたしの扱いがどうなっているかを知って、それで。

「千歳さん。……戻ってこなくても、誰も怒らないわよ」

 哀ちゃんの優しい言葉には、首を横に振った。
 それだけは、できない。戻らないわけにはいかない。どこにも逃げないと、決めたのだから。

「失踪扱いになって探されてる可能性もあるし、顔を隠せるものは持って行った方がいいかもね」
「警察に見つかって帰るタイミングを逃しても困りますからね」

 コナンくんと沖矢さんが戻ってくることを前提にしたアドバイスをくれて、哀ちゃんは溜め息をついた。
 哀ちゃんは、"降谷零"のことを知らない。だから、この間車で話したことも聞いていないのかもしれない。

「系統の全く違う服を手に入れた方が良いんじゃない」

 蚊帳の外に置かれていることをなんとなく感じ取ってしまったのか、哀ちゃんはむすっとしながらアドバイスを加えた。

「……それは大丈夫。こっちで外に出るときに着てるような服、向こうじゃ縁のないものだったから」
「帽子で髪を隠して、サングラスをかけていれば顔も十分隠せるでしょう。有希子さんもよくやる手です」
「そうね、そうする」

 あの有名な大女優がやっている手なら、間違いないはずだ。
 帽子もサングラスもあまり使わないけれど持ってはいるので、クローゼットから引っ張り出すだけだ。
 明後日まで、考えることに時間を費やせる。
 哀ちゃんは気を遣って解散を促してくれて、その言葉に甘えて地下室を出た。哀ちゃんは地下室にそのまま籠もる様子だったので、沖矢さんが椅子を、わたしがカップを載せたトレーを持って広い部屋に戻った。

「……安室さんには何か言うの?」

 博士にお礼を言ってトレーを返していると、コナンくんが眉を下げてわたしの顔を見上げ、問いかけてきた。

「わたしからは言わない。わたしを無理矢理帰せても、こっちに戻るのを止めることはできないもの。バレてもバレなくても同じでしょう?」
「そうですね。……ですが」

 沖矢さんは眉を寄せた。彼が言いたいことはわかっている。
 一度帰って戻ってくるか、帰らずにこのまま留まるか。もしも零さんに感づかれているのなら、無理矢理帰される可能性も考えなければならない。
 知られないまま戻ってくるか、帰らずにいれば、突き放されるまでの時間をもう少し先延ばしにできるかもしれない。
 けれど、もしも零さんが帰る手段があることを知って、それでもわたしがこちらに留まることを選択したと理解すれば。

「……そのあと、きっと」

 目を伏せて、滲みそうになる涙を抑え込んだ。
 その後きっと、突き放されてしまう。
 物音がしたので目を開けると、椅子を元の場所に戻した沖矢さんが近づいてきていて、身を屈めて耳元で囁いてきた。

「千歳。……少し、狡くなろうか」
「……?」

 赤井さんは片方だけ瞳を覗かせて、沖矢さんの顔で悪戯っぽくウインクした。

「君の話を聞く限り、今の生活の方が贅沢ができているんだろう。――生活水準を落としたくない、と言えばいい。一番の理由を口にせずにな。嘘でないなら問題ないだろう?」
「!」
「傷つかない道を選べばいい。……俺はその選択肢を君に教えたかった」

 零さんに訊かれたら、言わなければならないと思っていた。
 こちらに留まることを選択した一番の理由。――あなたを死なせたくない、って。
 その結果返ってくる答えはわかりきっていて、そして、聞きたくなかった。
 でも、そうか。赤井さんが教えてくれた今、そういう選択もできるのか。

「たとえ嘘だとしても、"愛せなくなった"とは言われたくないんだろう?」
「……うん。でも……」

 また、過ちを犯してもいいのだろうか。
 わたしは、"零さんだけを信じている"と言えなかった。――これから口にする言葉が、誤りだったら?

「安室君から、"赤井を頼れ"という言葉を引き出せ。後のやりようはいくらでもある」

 赤井さんが言うのなら、きっとそうなのだろう。
 零さんの真意を教えてくれたことからも、今のアドバイスからも、わたしを気遣ってくれているのだと感じ取れる。
 頷くと、慰めるみたいに頭を撫でられた。

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