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宇都宮さんからの手紙がきて、お願いしていたソフトを受け取った。
マスターコードも何もない、わたしが設定したパスワードのみでしか開けない、取り扱い要注意のファイルロックソフト。
持ち帰ってきて、すぐに仕舞い込んでいたUSBメモリの中のデータのすべてにロックをかけた。
パスワードはすべて"nulla"、ハンガリー語で"ゼロ"という意味。我ながら単純で笑ってしまう。
これでパスワードを間違えても、パスワードによるロック解除以外の方法でファイルを見ようとしても、データをクラッシュさせてくれる。沖矢さんのところに持って行って適当なデータで試してもらったところ、ファイルは復元不可能なところまで壊されていると教えてくれた。使い道を察されたようで、何も聞かずにいてくれたことはありがたい。
わたしが持つ情報は、わたしでなければ見られない。そういう状況を作るほかないと考えてのことだった。
こちらに居続けるのなら、未練になり得る物もすべて処分してしまおうか。ふと思い立って、鍵付きの棚を開けて向こうから持ってきていた物を入れていた布の袋を取り出した。
もう使えないスマホと、自宅と実家の鍵、手帳。それらをデスクの上に置いて、とうに充電切れになったスマホを充電器に繋いでみる。
少し待って電源を入れると、半年前までは見慣れていた画面が映った。右上には圏外のマークが表示されていて、米花駅に着いた直後、こんな状態で電話をかけようとしたのも懐かしい。
気が動転していたのだと呆れていると、使えないはずのそのスマホにメールが入った。
メールは6通。こちらに来た時には、未読のメールなんてなかったはずなのだけれど。
不思議に思い、メールアプリを起動してみる。どれも送信元アドレスとタイトルがない。一番古いものを選んで開いてみた。
受信日時は9月25日の深夜0時。
『Toto Kanjo Line Inner Tracks Beika 9/27 14:51
Yamanote Line Outer Tracks Nippori 10/7 17:24』
路線名と、内回りか外回りか、そして駅名。日付と時刻。
米花駅はわたしが最初に降りた駅。日暮里駅はわたしの元の職場の最寄り駅だ。
何か帰る方法に関係があるのかと、残りのメールも開けてみる。
心臓がばくばくとうるさく鳴る。
『Toto Kanjo Line Inner Tracks Beika 10/28 14:51
Yamanote Line Outer Tracks Nippori 11/7 17:24』
『Toto Kanjo Line Inner Tracks Beika 11/27 14:51
Yamanote Line Outer Tracks Nippori 12/7 17:24』
『Toto Kanjo Line Inner Tracks Beika 12/28 14:51
Yamanote Line Outer Tracks Nippori 1/7 17:24』
『Toto Kanjo Line Inner Tracks Beika 1/28 14:51
Yamanote Line Outer Tracks Nippori 2/7 17:24』
『Toto Kanjo Line Inner Tracks Beika 2/25 14:51
Yamanote Line Outer Tracks Nippori 3/7 17:24
Last chance!』
どのメールも米花駅の後に書かれている日の二日前の深夜0時に送信されている。
何か、規則性があるのはわかるけれど。落ち着いて考えることができない。
すっかり使い慣れたスマホを手に取って、電話アプリを起動する。零さんの番号を入れようとして、踏み止まった。
だめだ、いま"帰る方法がわかったかもしれない"なんて伝えたら、帰されるに決まっている。
……だったら。電話帳から、交換していたコナンくんの連絡先を呼び出した。
電話をかけてみると、すぐに出てくれた。後ろでは子どもの声が聞こえる。小学校って携帯の持ち込みは大丈夫なのだっけ。履歴だけ残すつもりだったから、驚いてしまった。
『もしもし、千歳さん? どうしたの?』
「……コナンくん、学校にいるわよね、大丈夫なの?」
『休み時間だから、少しだけなら。何かあった?』
コナンくんの声は優しい。
年下だとわかっていながら、つい頼ってしまう。
「帰る方法と戻ってくる方法が、わかるかもしれなくて……知恵を、貸してほしいの」
『! それ本当? 今日の放課後でもいい?』
気になっていた謎が解けそうとあって、コナンくんの声が弾んだ。
好奇心旺盛なのは相変わらずだ、と自分の頬が緩むのを感じる。
「えぇ、できたら……安全なところで」
零さんに盗聴されるような心配のないところで。
この電話だって、もしかしたら盗聴されているかもしれない。
それが怖くて、おいそれと赤井さんや沖矢さんの名前は出せなかった。
『わかった。学校が終わったら灰原と一緒に迎えに行くね!』
哀ちゃんと一緒に来てくれるのなら、阿笠邸か工藤邸に連れて行かれるのだろう。それなら安心だ。
通話を終えて、息を吐く。
わたしはこの謎を解いて、どうしたいのだろう。でも、わざわざ日暮里駅の発車時刻らしきものもあるのなら、こちらに戻る手段なのかもしれないと考えてしまう。
二つの鍵は棚に戻して、古いスマホのロックは指紋認証からパスコード方式に変えた。
そのスマホと手帳は鞄の底に忍ばせて、コナンくんと哀ちゃんが迎えに来るまで落ち着かない時間を過ごした。
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