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ドライブを終えて、赤井さんはマンションの地下駐車場に車を停めてくれた。
ずっと持っていたプレーヤーを返し、車のキーを受け取る。
まだ時間はある。きっと残りは少ないけれど。その間に、できることを探さなければならない。
コナンくんはずっと何か考えていて、赤井さんに声をかけられてようやく帰ってきたことに気がついた様子だった。
「千歳さん」
「なぁに」
「もし、安室さんの立場を悪くせずに済む方法があったら……何でもできるの?」
「わたしにできることならね」
赤井さんは変声器の電源を入れて、車から降りた。
コナンくんはそれを見て、わたしから視線を外して追っていった。
わたしも外に出て、車のドアをロックした。
「ねぇ、コナンくん」
「なぁに、千歳さん」
呼びかけると、コナンくんはまっすぐにこちらを見上げてきた。
「車に乗ってからこの瞬間までの間に、わたしはひとつ嘘をついたの。どれだったかわかる?」
白河さんとの、いつものやりとり。
会ったら別れるまでに、ひとつだけ嘘をつく。
コナンくんは、見破れるだろうか。
「……ゼロの兄ちゃんの本音を知ってしまったこと、後悔してるの?」
目を伏せて、首を横に振った。
後悔なんてしていない。知れて良かった。残り少ない時間の中で、できる限りのことをしたいと思えた。
「彼との駆け引きが上手くできないのは、彼に対してだけは素直で可愛い女の子でいたいから。惚れた弱み、だったのよ」
コナンくんは眼鏡の奥の双眸を瞬かせて、深い溜め息をついた。
それから、眉を下げて、困惑を含んだ笑顔を見せる。
「わかんないよ……千歳さん。前は、千歳さんは嘘つきだってわかるのに、本当のことはわからなかった。それだけでも、手強かったのに……もう、見破らせてもくれないんだね」
「現職の人たちの仕込みよ? これだけは得意なの。……何かあったら、連絡してね」
わたしにできることなんて、高が知れている。
あらゆる言語を操ること、嘘をつくこと。それだけだ。
コナンくんは頷いて、沖矢さんと連れ立って工藤邸へと帰っていった。
二人の背を見送ってから、エレベーターに乗り込む。六階のボタンを押して、すっかり住み慣れた自室へ。指紋認証で鍵を開けて、部屋に入って。
閉まったドアに背をつけて息を吐き、自分だけの安心できるスペースに戻ってきたと自覚した瞬間、涙が溢れ出た。
ずるずるとしゃがみこんで、膝の上に載せた腕に顔を埋める。
零さんは、どんな思いだったのだろう。
自分の手でわたしを守れないと諦めて。あんなにも憎んでいる赤井さんに頼みごとをして。
わたしを愛したことを、やりたいようにやったことを、優しさゆえに後悔して。
少しぐらい危険だって、零さんが上手く立ち回るための手助けができるのなら、それで良かった。
彼の守る国から追い出すような真似をしないでほしい。エドとヘレナのことだって大好きだけど、きっと助けを求めれば二人は応じてくれるだろうけれど、零さんを見捨ててまで助かりたくはない。
わたしは、愛されたかったから愛された。終わりがあるとわかっていながら、零さんとの恋に溺れてしまった。それが零さんを苦しめることになるだなんて、少しも考えないまま。きっと、時が来れば忘れ去られるのだろうと、勝手に傷ついていた。
わたしだって、零さんが言ったように"生きたいように生きてきた"。
思い返せば後悔することばかりで、あれもこれも間違いだったと思わされる。それでも、ここで生きてきたことが嫌だなんて、少しも思ったことはなかった。
零さんが教えてくれたら全部拒否も否定もできるのに、それさえさせてくれないなんて。
"ボク、諦めないから"
わたしだって、諦めたくない。
あの夜、わたしは"帰りたいと思っているのか"と訊かれて首を横に振った。それなのに結局突き放さなかったのは、あんなやりとりをした後だったから。そして、まだ言い訳をまとめきれていなかったから。
でもきっと、二度目はない。
"ここにいることが楽だから"と告げても、"零さんを少しでも助けたいから"と伝えても、彼はわたしを突き放す。わたしに覚悟ができていても、関係なしに。
"覚悟が足りないから傍には置けない"、"愛せなくなった"、そう言って。
方法がなくはないのだと、薄々わかってはいた。
絶対に零さんが選ばない道。わたしを、警察の役に立たせること。傍に居なければ、彼が困る状況をつくること。
そこまでしなければ、彼は"手放したくない"という思いを成就させようなんて考えない。
鞄からプライベート用のスマホを取り出して、顔の高さまで持ち上げた。零さんにつけてもらったアザラシのストラップが、ぷらぷらと揺れる。
零さんにとびきり大事にしてもらったあの日を思い出して、楽しかった、満たされたと思えるのに、胸が痛い。
あの日にはもう、零さんはわたしを手放すことを決めていた。"手放したくない"と嘯きながら、風見になくなった物を探させて。
忘れたかったのは零さんだ。自分が忠誠を誓った組織がわたしを裏切ったこと、わたしを手放すと決めたこと、全部忘れて、たった一日の夢に浸りたかった。
「思い出づくりをしていたのは、そっちだったのね。零さん……」
彼は別の覚悟を決めてしまった。わたしに覚悟ができたと伝えたって、一緒に苦しみたいと願ったって、もう遅い。
後悔に苛まれて、窒息しそうなほどに胸が締めつけられるような心地だった。
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