14
マリブミルクを作り終わり、降谷さんは"座りましょうか"と言ってソファに戻った。わたしもそれに続いて、コースターの上に置かれたカクテルを見つめる。
いや、うん、改めて考えると、イケメンにカクテルを作ってもらうというのも、そのイケメンが元の世界では大人気のキャラだというのも、それが普段絶対に表では出さない素の性格の状態なのも、とんでもないことではないだろうか。頭がパンクしそうである。
「とりあえず、あなたにお願いしたいことがいくつかあります。まず外では"降谷"と呼ばないでいただきたい。僕は潜入捜査官でもあるので」
降谷さんはバーボンのボトルを開けて、ショットグラスに注いだ。あ、自分で飲むのか。ボトルも開けるとフタが割れるタイプのものだし、グラスも洗っていた。なるほど、心配なさそうと判断できる状況だったらしい。
「なるほど。ということは偽名が?」
ぐいっと呷って満足そうに頷くのを眺めながら返事をする。
「えぇ、"安室透"という探偵をやっている男です」
「なるほど。安室さんとお呼びすればいいですね」
「はい。それと、口調も先ほどのもので結構です。あなたに畏まられるとやりにくい」
なんですって。とても真面目に取り合っているのに、挑発的にぶつかる方がやりやすいというのか。
返答に悩んだ。お礼を言うのはおかしい。真面目にやっているのにやりにくいと言われたことには、怒るべきだろうか。
「……失礼な?」
「いえそうではなく。普段は口調を変えているので、妙に畏まられると釣り合わない」
「そういうことなら……普段通りに話すけれど。安室さんはどんな風に?」
尋ねると、降谷さんは一呼吸おいて人のいい笑みを浮かべた。
素を見た直後だと胡散臭さが倍増する爽やかな笑顔である。
「――僕は普段はこんな調子ですよ。あまり堅苦しく接されても不自然でしょう?」
「えぇ……そうね」
「それと、明日の打ち合わせで自宅に伺う際には、恋人のフリをさせてほしいんです。クラウセヴィッツ氏との打ち合わせに、突然外部の人間が同席するのもおかしいでしょう。僕があなたのパートナーとして参加し、お仕事の邪魔をしない程度に側にいますので、それまでの間だけ」
「いいわ。どうせ相手もいないし、お安いご用」
今は、という雰囲気を滲ませてみたけれど、残念ながら今まで恋人がいたことはない。仕事人間だった。
虚しくなりながら、マリブミルクに口をつける。いつもより濃いけれど、おいしい。
「ということで、本職についても口にしないようにお願いします」
「えぇ」
さらりと演技を切り替える彼に、単純に感心してしまう。
「明日は九時半に伺いますから、盗聴器やカメラの確認をさせてください」
「わかったわ」
「それと、ごまかしている経歴について正直に話してください」
「っ、それは無理ね」
危ない危ない、頷くところだった。
真剣な表情でこちらを見つめる降谷さんに、どうしたものかと心中で唸る。
探られて痛む腹はない。何より、彼らの手はどう頑張ったって一歩届かない。
――消極的事実の証明は不可能。わたしの経歴が適当であるとわかったところで、わたしの本当の経歴を知ることはできない。
だって、わたしを知る者はこの世界に存在してなどいないのだ。
本当の経歴を知ることもできずに、どうしてわたしの経歴が嘘だと証明できるだろうか。
「探るのならどうぞ好きなだけ。わたしの真実に辿り着けたら、"わたし"に会うこともゆるしてあげる」
降谷さんは、不可解な発言をするわたしを苛立ちの滲む視線で睨んだ。
怖いと思いながらも、平静を装ってガトーショコラに手を伸ばす。
「エドはわたしに優しいわ。"公安が怖い"と言えば、FBIの日本での捜査許可すら取るのに労は惜しまないでしょうね」
わたしは彼の激情のスイッチを知っている。
それを押す発言をすると、降谷さんは目を眇めて、長く細く、感情を押し殺すように息を吐き出した。
「……元よりあなたのことは置いておく、と言ったのはこちらです。FBIを日本に入れる必要はない」
「そう、話のわかる人で安心したわ」
口に運んだガトーショコラは、いつもよりほろ苦く感じた。
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