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 過去の行いを悔いて嘆いて、どれだけ自分に怒りを向けようと、流しっぱなしの音声は止まらない。

『……千歳は取引に対して誠実だ。それは彼女への裏切りだろう』

 赤井さんの責め立てるような声が、耳に流れ込んできた。

『えぇ、本当に……』

 心底参っているような声だった。
 深い溜め息の後、零さんは言葉を続けた。

『どこから身分証のことが漏れたのか、誰がそれを利用したのか、調べもついていないんです。実行した人間の独断か、誰かの命令が下されただけなのか。かといって、下手に動いて別件逮捕などという手荒な真似もされたくはない。千歳にはすべて伏せたまま、今日まで誤魔化してきました。でももう、限界だ』

 いくつもボロを出していたのも、わたしに違和感を覚えさせるため。
 そうして、零さんを疑わせて――反対に、赤井さんとコナンくんを信頼させたかった。

『このままでいれば、千歳は確実に今以上の危険に巻き込まれる。ハンネス・レフラ逮捕の一件で、スパイとして十分に使えることを証明してしまったのも痛い。……警察は、千歳を守ることより利用することに重きを置く。この国は、僕は――千歳を守れない』

 裏切られたとは、思わなかった。端から信じてなんていなかった。まさか、藤波さんが動くとは思っていなかったけれど。
 そんなことよりも、だ。
 国に誇りを持っている零さんに、なんてことを言わせてしまったのだろう。
 わたしも日本国民なのだから守るのは当然だと――一番最初に協力するときに、言ってくれていた。
 その零さんが、日本にわたしを置いておいても"守れない"と判断してしまった。それを認めるために抱えた苦悩は、わたしなんかには推し量れない。

『――だから俺か』
『というよりは、貴方の上司ですね。千歳を娘のように大切にしている分、クラウゼヴィッツ氏の方がよほど信頼できます。友人であるブラック氏から、働きかけてもらえないかと。……難しいのなら、証人保護プログラムを適用してもらっても構いませんが』

 アメリカの制度を利用することに対しては、苦々しく思っていることが声から窺える。
 エドを頼るか、FBIを頼るか。
 本当に、そうするしかないと思っているのだろうか。

『千歳の意思はどうなる』
『身の安全のためだと言えば、納得すると思いますよ』
『君の立場は』
『…………』

 ここにきて、零さんの言葉が止まった。
 警察は、わたしを多少危険を冒してでも協力する人間にしたいと考えている。零さんがわたしを逃がせば、その意向に反することになる。
 組織についても、わたしに連絡を取る必要が出てくれば、連絡を取れずに"情報を持たせたまま取り逃したのか"と疑われる。
 あぁ、きっと赤井さんが悩んだのはこれが理由だ。
 ぐしゃ、と煙草を潰す微かな音がした。

『千歳のことを頼めますか』

 零さんは、赤井さんの問いには答えなかった。
 それが答え。足掻くことはするだろうけれど、うまくいく保証もない。
 二人とも、三本目に火をつけた。

『それは構わん、だが千歳の希望を優先するぞ』
『……えぇ。もしも、千歳がこちらに居続けることを決めて――そこに覚悟が伴わないなら、僕は千歳を突き放します。恨まれようと、最低だと罵られようと……それで千歳の身の安全が確保できるのなら、僕は構わない』
『覚悟があったとしたらどうする』
『同じことですよ。理由もなく突き放すのは簡単だ。愛せなくなったと嘘をつけばいい』

 ――元の世界に帰ることを恐れてしまっている今、零さんにまで見放されてしまったら、わたしはどうなる?
 考えないようにしていたことを、突きつけられたような気がした。
 零さんに突き放されるのは怖い。嘘だとわかっているとしても、零さんの口から聞きたくはない。
 本当に、零さん一人を危険の中に置いて離れるのが正しいの?

『君は国を守ることにストイックな人間だと思っていたが』

 赤井さんの問いは尤もだ。
 潜入中だというのに隠し切れなかった"国を守る"という信念。
 それほどまでに強く零さんの中に存在しているものを少しでも裏切って、どうしてわたしを逃がそうというのだろう。

『否定はしませんね。彼女のために死ぬことはありえません。それでも彼女のために生きることに意地汚くなろうかと思えるぐらいには、僕は彼女を好いている。……"恋とは落ちるもの"なんですよ。そして、"恋をすれば愚かしくならざるを得ない"。赤井は、正すべき愚かしさだと思いますか』

 零さんの声に、自嘲が滲んだ。
 結局わたしは、どうあっても零さんを苦しめてしまうのだろうか。
 そばにいれば、警察庁も組織も警戒しなければならない。離れるためには零さんが危険を冒さなければならない。零さんは優しいから、きっと自分のわがままでわたしを甘やかし続けたことを後悔する。手放しておいて、その先を気にしてしまう。
 ひどく怒って家に来たあの夜、彼が見せた絶望は――もしかしたら、わたしを深く傷つけることを悟ったからだったのかもしれない。わかっていながら甘やかした。"誰も愛せなくなればいい"と願って、そうなるように行動してしまった。そしてあの夜わたしの異常を察して、わたしの中でそれほどまでに零さんの存在が大きくなっていることを実感して、これまでの行動のすべてを後悔した。

『愚問だな。君のそれが答えだろう。"ゼロ"としては間違っている、彼女に恋をした男としては間違っていない。女は恋をすれば賢くなるが――男はどうも、頭のネジが飛ぶらしいな』

 赤井さんの声は優しくて、けれど"正しい"とはけして言わない厳しさも秘めていた。
 零さんは溜め息をついた。返答が予想通りすぎることに、呆れたみたいに。

『……食べ終わったみたいですね』
『そのようだ。……千歳のことは守ろう。だがあくまで千歳が望むなら、という話だ』
『精々騙されないように気をつけてくださいよ』
『肝に銘じておこう』

 一人分の足音がして、遠ざかっていく。
 赤井さんは最後に日時を呟いて、レコーダーの電源を落としたようだった。

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