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自分の車の助手席に乗るのは新鮮だ。宇都宮さんのドライブに付き合わされたり、零さんに乗せてもらったりと、車に乗っても運転しないこと自体は珍しくないけれど。
シボレーでUターンしたり、スバル360で博士にハンドルを任せてしまったり、マスタングで首都高カーチェイスをしたりと、荒っぽい運転しか見たことがなかったので思いの外安全運転をしてくれることに少しだけ驚いてしまった。
いや、子どもたちを乗せることもあるのだから安全運転は当然か。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
米花町を離れると、コナンくんが言葉を発した。
「千歳さん、"一番聞きたいことは聞けなかった"って言ってたけど……」
ポアロでは安室さんの存在を気にして深くは話さなかったから、気になっているのだろう。
アームレストに肘をついて、こめかみを揉む。
「あー……あれね。零さんが相手だと途端に駆け引きが上手くできなくなるみたい。すっごく怒らせたのに肝心なことだけ聞けなかった」
「惚れた弱みってやつ?」
「零さん相手に嘘をつかないっていう縛りのせい」
「はは……」
後部座席にいるコナンくんの苦笑い顔は容易に想像できた。
「……何を聞きたかったの?」
「わたしをどうするつもりなのか」
「! ……安室さんの本音は、聞けたんだよね」
「えぇ。でも"どうしたい"って望むこととどうするかは別の話でしょう?」
沖矢さんは運転をしながら、上着のポケットから音楽プレーヤーを取り出した。
それを手渡されて、首を傾げる。
「用事って、仕事の依頼?」
溜め息をつかれて、"外れか"とぼんやり考える。今の話の流れで突然仕事の依頼を振るのもどうかという話だ。
ハイネックの首元に指を突っ込んで変声器を切った沖矢さんは、細めていた目も開けた。
「……安室君は今どうしている?」
仕事の依頼でないのなら、やっぱり零さんとのことか。
「組織に呼び出されているみたい。しばらく来られないって言ってたわ」
「その間、他の警護がつくといったことは?」
「なさそうだった」
わたしが家に引き篭もっている間、風見が警護についていたことは聞いている。
赤井さんの言葉からすると、零さんが不在の間も本当は警護が必要な状況らしい。
そういえば、誰かしら警護に来るときは零さんは教えてくれていたっけ。
「……待って、零さんは警護のためにうちに泊まり込んでたの?」
「それだけではないだろうがな。酒も飲んでいただろう」
確かに、零さんは数日過ごすとあって寛いでくれていた。味の濃い肴を作って、ニュースを見ながらビールの缶を傾けるぐらいには。
しかし、なぜそんなわたしの自宅でのことを赤井さんが知っているのか。
「なんで知ってるの」
「スーパーでビールを買っているのを見かけたからな。千歳が甘いカクテルしか好まないことも察している。――しかし、そうか……そう判断したか」
正面を睨みつけるように見据えながら、何か納得したように呟いた赤井さんは口を閉ざした。
後部座席を振り返ってみると、コナンくんももどかしそうに歯噛みしながら何か考え込んでいる。
赤井さんたちは、確実に何かを知っている。
知らないことに納得がいかない。わたしのことなのだと、そこまでわかっていて知らされないなんて理不尽だ。
「ねぇ……呼んだからには何か話してくれる気なんでしょう。勝手に納得しないで」
訴える声は震えた。
零さんはわたしを守ってくれていた。――何から?
大きな交差点の赤信号に引っかかり、赤井さんは車を停止させた。
スクランブル交差点を、大勢の人が渡っていく。その人波を睨みつけながら、赤井さんは口を開いた。
「話すかどうかはまだ迷っていたよ。だが今、安室君の判断を聞いて話さざるを得ないとわかった」
険しい表情を少しだけ緩めた赤井さんは顔をこちらに向けて、プレーヤーを指差した。
「千歳。それは君にとって、パンドラの箱かもしれない。開けたが最後、知りたくなくとも知った事実は、知らなかったことにはできない。それが望ましいことなのか、そうでないのか、俺には判断ができない。降谷零という男が、君に対して抱えた秘密。それを暴くか否か、――君自身が決めてくれ」
モスグリーンの瞳は、"覚悟はあるか"と問いかけていた。
答えはもう、とっくに決まっていた。
「赤井さんは言ったわね。"世の中には知らない方が幸せなこともある"って」
「君は"知らなければ納得できないことの方が多い"と答えたな」
「そう、わたしは"知らなければ納得できない"。それは今も変わらない。今更――そう今更なのよ、知りたくなかったことなんて、今までたくさん知ってきた。わたしが本当に知りたいことを知ったとして、それで後悔なんてするはずないの」
わたしは自分が置かれている状況を知りたい。
何も知らないまま、零さんだけを苦しめていた自分のことが許せない。
二人が零さんに内緒にしているということは、きっと零さんはわたしがこれを聞くことを望んでいないのだろう。
彼は"言えない"と言った。"教えてやりたくても言えない"のだと、苦しげに訴えかけてきた。
それならもう、彼の口から聞くことは諦めて、別な手段で知るしかない。
――赤井さんとコナンくんの行動は、願ったり叶ったりのものだった。
イヤホンを耳に差し、再生ボタンを押す。
聞こえてくるのは風の音、家族連れの賑やかな声、さまざまな車のエンジン音。
『先に行け』
『あぁ。……ボウヤ、千歳と一緒に食事をしておいで』
『うん、わかった。行こう、千歳さん』
日常の音に交じる、険しい声。
覚えがある、赤井さんに喫煙所に先に行くように促した声も、コナンくんとわたしを遠ざけようとした赤井さんの言葉も、それに合わせたコナンくんの対応も。
隣に座る赤井さんの顔を見ると、深く頷かれた。
「あの日の喫煙所での会話だ」
信号が青になって、アテンザが滑らかに走り出す。
僅かな聞き逃しもしたくなくて、目を閉じてイヤホンから聞こえる音に集中した。
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