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 とても怒った様子で訪問してきたあの夜から数日、自分で作ったもの以外を食べるのはあまりよろしくないためか、零さんは毎食準備をしてくれた。ポアロのシフトや探偵の業務があって居ないときは、作り置きまでしてくれる。栄養がしっかり摂れているせいか、体調は頗る良かった。
 調子が悪かったのも気が滅入った原因だったのかもしれない。
 仕事は捗ってすぐに終わったし、終われば零さんが労ってくれた。
 地に足のついた感覚があって、ぐらぐらして不安定だった気分はどこかに消えていた。
 そんな日々の中、買い出しの必要はなくなって家の外に出る必要も相変わらずなかったけれど、流石にお金は下ろそうと思い立って家を出た。
 駅の中にあるATMでお金を下ろし、ついでに通帳に記帳をする。近頃は原価のほとんどかからない翻訳業務ばかり引き受けていたため、入金がとんでもないことになっていた。
 温まってばかりのお金に、積立の保険にでも入ろうかと悩む。定期預金の金利なんて雀の涙だし、株主優待目当てでどこかの株でも買おうか。いやでも、万が一のことがあったときに手続きが面倒すぎやしないか。
 将来設計を少しずつ考え始めた自分がいることに、もう戸惑いはなかった。
 どうせ零さんが家に来るから情報媒体の受け渡しも何もないけれど、ポアロには行っておくべきか。はたと思い至って、そちらへ向かうことにした。
 久しぶりに歩いた。ここ数日家の中をうろうろするだけだったから、本当に久しぶりだった。
 ご飯が美味しくてよく食べてしまっているし、流石に適度な運動を心掛けなければいけない。
 来店のベルを鳴らしながらドアを開けると、安室さんが出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」
「あ、千歳さん!」

 名前を呼ばれてそちらを見ると、カウンター席に座っているコナンくんがにこにこ笑って手を振っていた。
 相変わらずの猫被りに苦笑が漏れる。

「コナン君、今日は毛利先生がいらっしゃらないので蘭さんが帰ってくるまでポアロで時間を潰しているらしいんですよ。良かったら相手してあげてくれませんか?」
「えぇ、喜んで」

 推理小説らしき本に栞を挟んで、コナンくんはすっかり受け入れ態勢を整えている。
 相手をしてもらうのはわたしの方ではないだろうか。
 そう考えながら、安室さんの案内でコナンくんの隣の席に座った。
 メニューを眺めて、ミルクティーを頼むことにして、おやつも欲しいなと考える。でも、少しためらってしまう。

「……コナンくん」
「なーに? 千歳さん」
「レモンパイ、半分こしない?」
「え、いいの? ボクも食べたかったんだ! でも晩御飯が入らなくなっちゃうからどうしようかなって思ってて。そうしよう千歳さん!」

 嬉しそうに笑ってくれたので、ミルクティーとレモンパイをひとつずつ注文した。
 安室さんが他のお客さんの注文を取りに行く間に、コナンくんが羽織っていたカーディガンの袖をくいと引いてきた。

「?」

 "耳を貸して"と合図されて、体を傾ける。

「安室さん、千歳さんに避けられてることを気にしてたよ。もういいの?」

 コナンくんの心配そうな声色に、子どもにまで心配をかけてしまったのかと落ち込む。
 小さくなる前ですら、高校生の、"子ども"と言って差し支えない少年なのに。

「……もういいの。知りたいことはわからなかったけど、もう彼には聞かないことにしたから」

 わたしが知りたがれば、何も"言えない"零さんは苦しむ。
 あれから辛そうに謝ってくることはなくなったけれど、スキンシップは増えた。
 相変わらず、思い出づくりをされているような感覚は抜けない。

「そっか。……そうだ千歳さん、これ見て!」

 相槌を打ったコナンくんは、明るい声でスマホを見せてきた。
 画面に映っていたのは、メール作成画面。そこには"今週の日曜日の朝10時 車で工藤邸に"と打ち込まれていた。

「……素敵ね」

 適当に肯定の言葉を返すと、コナンくんは頷いて夜のライトアップされたベルツリータワーの写真を見せてきた。

「でしょ? この前、平次兄ちゃんと和葉姉ちゃんを案内したんだ」
「ふぅん、どんな人なの?」

 頬杖をついてにっこり笑って問いかけると、コナンくんはひくりと口元を引き攣らせた。

「徹底してるな……」
「そりゃあね」

 服部平次くんと遠山和葉ちゃんの情報を聞きながら、頭の中で整理する。
 安室さんやコナンくんはわかっているから何も突っ込んでこないけれど、下手に知らないはずの情報を口にすると蘭ちゃんや園子ちゃんがいれば"会ったことがあるんですか?"なんて質問が飛んでくるに違いない。服部くんは有名人なのでともかくとして、和葉ちゃんについては変に知っていたら警戒されてしまう。
 そういうわけで、情報収集は怠らないことにしていた。
 話をしているうちに、ミルクティーとレモンパイが出された。会話を聞いていた安室さんが綺麗に真ん中で切り分けてくれていて、コナンくんに好きな方を選ばせる。
 半分にしたパイは空いた小腹にちょうどよく収まって、食べ終わる頃に蘭ちゃんが帰ってきたので、コナンくんも住居としている三階に帰っていった。
 お会計を終えてポアロを出て、少し考える。散歩をしてから帰ることにした。
 米花駅周辺をうろうろしていると、宇都宮エンジニアリングのビルが目に入る。

「千歳ちゃん? ウチに何か用かな?」

 声をかけられて振り返ると、秘書を連れた宇都宮さんがにこにこと笑ってこちらに小走りで駆け寄ってきた。
 特別用事があるからここに来たわけではなかった。でも、頭の片隅で考えていることはあった。

「……お願いしたいことは、あるのだけれど」
「うん」
「今ふっと思いついただけで、あまり話もまとまっていないのよね」
「それはソフトを作ってほしいとかの依頼かな?」
「えぇ」
「じゃあ話を聞くよ。これから会議まで時間があるんだ」

 人懐っこい笑みを浮かべて誘う宇都宮さんの言葉を断ることはできずに、少し会社にお邪魔することにした。

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