02

 元々使っていたテーブルのソファに座らされて、ほっと息を吐く。
 足立さんはわたしたちがいる窓際とは正反対の、映画が無音で流れているテレビの前の席を選んだようだ。店内に流れるジャズミュージックもある、小声で話せば聞こえることもないだろう。
 零さんは堪えきれないといった様子で、口元を手で隠して笑い出した。ぷるぷると肩が震えている。

「何が"可愛い見た目で男らしい"ですか、僕はどう見たって子犬だったでしょう」

 ハニーバジャー、又の名をラーテルは可愛いイタチ科の動物だ。時にはライオンにすら臆せず立ち向かう獰猛さも持っている。
 気まぐれに見ていたドラマで使われていた表現は、どうやら零さんのお気に召したらしい。

「その割に喜んでいたわよね。あの駄々の捏ね方もどうかと思うけど」
「僕の渾身のわがままですよ。本当はときめいていたくせに」

 すっと細められた目がこちらに向けられる。嘘は許さないという意思表示だ。
 普段は大人の振る舞いをする零さんが、子どものようにわがままを言ったのには確かにときめいたけれども。

「否定はしないわ」
「でも、子守りはひどいです。"そんなガキみたいな男より僕を選んでくれ"なんて言われたらどうするつもりだったんですか?」
「It is impossible to love and to be wise. 恋は盲目、バカになっても仕方ないってね。大丈夫よ、わたしが面食いなんだって思われただけ」
「フランシス・ベーコンと僕が泣きますよ」

 肩を竦めた零さんは、グラスの中に残っていたバーボンを飲み干すと立ち上がった。

「興が醒めましたね。今夜はもう家に帰って僕と熱い夜を過ごしませんか?」

 手を取るようにと差し出しながら、ウインクをしてくる。
 この手を取らない可能性なんて、ゼロだと思っているくせに。あえて頷かせようという魂胆だ。わたしが自分で選んだのだと、教え込むために。
 案の定会計では金額は告げられず、支払いをカードで終えた零さんにお礼を言って、お店を出た。足立さんの方は、とてもじゃないけど見られなかった。
 エレベーターで一階まで下りて、人で賑わう街を歩く。

「宇都宮氏に連絡を取らなくていいんですか?」

 気遣わしげな視線とともに投げかけられた問いに、少し驚く。

「あら、デート中に他の男と連絡を取っても拗ねないのね、ダーリン」
「嫉妬して流石にやりすぎました。許してください、ハニー」

 バツが悪そうに視線を逸らすところが可愛い。
 お言葉に甘えて、宇都宮さんに電話をかけた。

『はい、宇都宮です。千歳ちゃん、どうしたんだい?』
「遅くにごめんなさい。ちょっと、足立さんのことで謝らなくちゃいけなくて……」

 零さんに手を引かれて歩きながら、最寄りの駅まで歩く。
 タクシーを捕まえてもらって乗り込んだ。

『あぁ、交際を申し込まれて断ったんだろう? 足立から聞いてるよ。おっかない番犬がいるから止めときなよって言ったのにな。また言い寄ったのかい』
「えぇ、ご名答……現場にいたの?」

 わたしのマンションの近くのコンビニを指定する零さんの声を聞きながら話を続ける。

『まさか。でも足立の性格と、恋人はいるのに僕にすら紹介してくれない千歳ちゃんのことを考えたら簡単に想像できるとも。"理由もなく断ったのは単に恥ずかしかったからだろう"って、再チャレンジする足立の姿がね』

 "いつか紹介する"とは言っているものの、エドと違って零さんの身分を明かせる相手でもない。
 宇都宮さん相手にすらそうなのだから、さほど親しくない足立さんには尚のこと秘密にしていることが多いと見抜かれていた。

「……宇都宮さんの顔に泥を塗るようなことをしていなければいいのだけれど」
『千歳ちゃんは真面目だね。気にしなくても大丈夫だよ。未収金はないかい? どうせ足立もバツが悪くて仕事の依頼はしないだろうけど、お金はきちんと振り込むように伝えておくよ』
「大丈夫よ、お気遣いありがとう。家族の時間を邪魔してごめんなさいね。良い夜を」
『あぁ、君もね。隣にいる番犬はちゃんと褒めてあげなきゃだめだよ』

 通話の終わった画面を見て、ひくりと頬を引き攣らせてしまった。相変わらず食えない人だ。
 ハンドバッグにスマホを仕舞い、数分するとマンションの近くのコンビニに到着する。バーではおそらくそう安くはないであろう額を零さんに支払ってもらっていたので、今度はわたしがお金を払ってタクシーから降りた。それでも平等になんてならないのに、お礼を言ってくれるところが好きだなぁ、と思う。
 夜風は冷えるからと貸してもらったジャケットを羽織り、マンションまでの道のりを歩いた。
 思いの外バーでの滞在時間が短かったので、マンションに着くと管理人室に電気が点いているのが見えた。
 数個の生体認証のセキュリティを通り抜けて自室に着くと、零さんが突然わたしの手首を捕まえて玄関のドアに押しつけてきた。
 目を白黒させているとこつんと額を合わせられ、至近距離でブルーアイズと視線がぶつかる。

「どこの馬の骨とも知れない男に交際を申し込まれておいて、僕に何も言ってくれなかったんですね」
「報告するほどのことでもないと思って……」

 責めるような視線に、つい零さんの頬にかかる髪を見て逃げてしまう。

「視線を逸らすな」

 強い口調で言われ、肩が跳ねた。
 顔が離れて、手首も放されたと思ったら背中に手を回して抱きすくめられる。

「……僕は心配しているんですよ。いや、そんなのは建前だな。千歳に下心を持って接する男をちゃんと知って、排除したいだけだ。……怒りますか?」

 しょぼんとした声に、うっと声が詰まる。
 独占欲の塊をぶつけられたみたいなのに、許せてしまう。
 広い背中にそっと手を回して、ベストを握った。

「……怒らないわよ。わたしも悪かったから」
「そうですね、元はと言えば何も教えてくれない千歳が悪かったんです。……だから、ベッドの上でたっぷり反省しましょうね」

 耳元で囁く艶めいた低い声に、背筋がぞっとした。
 謀られた……!
 しかし言質は取られてしまった。
 これから交際を申し込まれたときのことも、意地悪をしながら根掘り葉掘り聞かれる。確信した。でも、もう断るなんて選択肢はない。

「……シャワーを浴びてくるわ」

 身綺麗にするのは了承の合図。零さんはあっさりと体を離してくれた。

「どうぞ、倒れない程度にごゆっくり。その間に"掃除"はしておきますから」

 どうかシャワーを浴び終えるまでに彼の機嫌が直り――いや、意地悪をしたいという気持ちが萎んでいますように。
 叶わない望みを胸の内で呟く。
 結局そんな独占欲をぶつけられても溺れてしまえるのだから、わたしはやっぱりバカなのだろう。
 ――恋をすれば愚かしくなる。
 つい先ほども口にしたある哲学者の言葉は否定できないなと考えながら、床に座って恭しくパンプスを脱がされるのを受け入れた。


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リクエスト内容:甘め
夢主に好意を持つ人物が現れて牽制or自分のモノにしようとする/独占欲丸だし


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