01
たまにはバーでデートしようか。
そう誘われて零さんに連れてきてもらった、高層ビルの最上階にあるお店のソファ席。隣り合って座って窓の外の夜景を眺めながら、甘いカクテルを味わう。
「エッグノッグ、初めて飲んだわ」
「口に合いました?」
「とっても」
「これはカクテルじゃなくてもありますから、今度作ってあげますね。次はアラビアンナイトにしましょうか」
零さんはちびちびとバーボンを飲みながら、わたしにあれこれとカクテルを勧めてくれていた。
一人で飲みに行くときは多くても三杯、知りたい情報があって長居するときはロングカクテルで粘る程度には自制しているから、こうして気の向くままに飲むのは久しぶりだ。
気分よく酔えるのは気持ちがいい。
零さんが話し上手なことも相俟って、お酒はよく進んだ。
そうやって過ごしているとさすがにトイレに行きたくなって、そわ、と脚を動かしてしまう。
目敏く気がついた零さんは、カウンターの方を指差した。
「カウンターの右手です。目立ちにくいドアがあるでしょう?」
そちらを見ると、確かに照明を減らされた薄暗がりに溶け込むような扉があった。
マッドゴールドのプレートに書かれた"REST ROOM"という文字に、苦笑いが漏れた。
「……察しの良いことで」
「これでも観察眼は敵にも味方にも買われているんですよ」
「知ってる。……少し外すわね」
零さんにもお酒を勧め過ぎたという自覚はあるのだろう。
あまりの察しの良さに気恥ずかしさを覚えつつ、席を立ってトイレに向かった。
化粧も少し直してトイレから出て、零さんの元へ戻ろうと歩を進める。
「あれ? 千歳ちゃん」
不意に横からかけられた覚えのある声に、びくっと肩が跳ねた。
恐る恐るそちらを見ると、宇都宮さんの大学時代の後輩で、紹介されて仕事を受けた男性が立っていた。
「足立さん……」
「奇遇だね、こんなところで会うなんて」
「えぇ」
自身もベンチャー企業の社長だという足立さんからは、何回か仕事の依頼を受けている。でも、それだけの繋がりの人だ。エドや宇都宮さんのようにプライベートでまで親しく接する間柄でもない。
さっさと切り上げて零さんのところに戻りたいと思いつつ、愛想笑いを浮かべた。
切り上げたい理由は、もうひとつあった。
「あの言葉、考え直してくれたかい?」
「その場ではっきりとお断りしたはずですけれど」
「僕は本気なのに」
数日前、商談の通訳の仕事終わりにランチに誘われて、一緒に食事をしたときのことだった。
なぜか同行していた秘書が席を外してしまって、不思議には思っていた。その違和感を拭えないまま過ごしていたら、食後のお茶の最中に交際を申し込まれたのだ。
その場ではっきりお断りをしたけれど、"諦めないから"と言われてしまって。
気まずくなって、お金を置いて頭を下げ逃げるようにして帰ったのは記憶に新しい。
安易に恋人の存在を伝えるわけにもいかず、理由もなく断ったのがいけなかったようだ。
過去に思考を馳せていると、足立さんは一歩近づいてきた。
「一人なのかい? 贅沢したい気分なのかな」
あぁやっぱり、ここ高いんだ。メニューを見ても値段が書かれていなかったから、なんとなく予想はしていたけれど。
それはさておき、一緒に来た人がいることを言ってしまっていいものかどうか。しかし一人だと言えば、あちらも一人のようだし一緒に飲むことになる気がする。
不安になってハンドバッグを持つ手に力を入れてしまいながらどうしたものかと悩んでいると、何食わぬ顔で歩いてきた零さんがわたしの肩を抱いた。
「Are you cheating on me? I'm jealous.(僕を放って浮気ですか? 妬けちゃいますね)」
眉を下げて困った様子を見せつつもむっとした表情で言われて、思わずきゅんとしてしまう。
しかし、なぜ英語で。
足立さんを見ると戸惑った表情をしていた。口説いていた女が、突然現れた男に体を無遠慮に触ることを許しているのだから当然と言えば当然か。加えて彼は英語はほとんどわからないと言っていい。日本人離れした髪色をした零さんが英語を話すのを見て、日本人ではないと思ったかもしれない。
なるほどこれが狙いで。意地の悪い零さんに、眉が下がる。
「えーと……彼は?」
戸惑う彼の質問に、どう答えるべきか悩んだ。
「Be honest, please.(正直に)」
耳元で囁かれた指示に、素直に従うことにした。
「わたしの恋人」
「えっ」
足立さんが驚いた顔をする。交際を申し込まれたときに恋人がいると言ってくれればよかったのに、と言いたげな苦々しさを滲ませて。
ひとまず設定に則って、零さんに足立さんの紹介をすることにした。
「He is my client. Please behave well for me, my honey badger?(彼はわたしのお客様よ。私のためにもお行儀良くしてちょうだい、零さん?)」
「Let's go back soon. I want you all to myself.(早く戻りましょう。僕はあなたを独り占めしていたいんです)」
窘める言葉も聞かずわたしの興味を引こうとハンドバッグを持った手を握ってくるところは、完全に駄々っ子だ。
呼びかけに嬉しそうな顔をしているくせして、わがままは続行するのだからタチが悪い。
肩を竦めて、足立さんに向き直った。
「ごめんなさい、こう見えて子守りじゃなくてデート中で。交際相手がいるからお付き合いもできません。わかっていただけました?」
「あ、あぁ……うん、困らせてごめんね」
戸惑った様子の足立さんに申し訳ないと思いつつ、会釈をして踵を返した。二度と仕事は来ないだろうなぁ。気まずすぎる。
零さんはむっとした顔で足立さんを睨んでから、かなりの量のお酒を飲んでいたわたしをふらつかないようにエスコートしてくれた。
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