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わたしの立場はともかくとして、経歴を突き止めるには、もう遅すぎたはずだった。
それなのに、"運良く"破棄を免れたデータを、赤井さんが入手していた。
旅行先に選んだのは米花町からは高速を使って飛ばしても二時間はかかる場所で、位置情報を発信した状態の仕事用のスマホを載せたアテンザを追いかけて、一度は外してくれると期待していた。けれど、碌な時間稼ぎにもならなかった。
哀ちゃんはわたしにコナンくんが動き出すことを教えてくれたけれど、その後どうするかは伝えていないから知らないはずだ。
宇都宮さんにも、事情があることを仄めかして秘密にしてもらっていた。
わたしの絶対的な味方である二人が噛んでいないのなら、あとはもう、わたしを使うアドバンテージを独占したがっていたはずの零さんたちしか考えられない。
「……手助け、って?」
コナンくんは慎重に言葉を選びながら訊き返してきた。
「赤井さんが入手した映像データ……あれはね、一ヶ月前に削除されているはずだったんですって」
「うん、だから"運良く"破棄されずに済んでいたって言ったんだ」
「誰かが意図的にサーバーにデータを移した可能性は?」
「……ないとは言い切れないね」
肯定はしないけれど、明確な否定も返ってこなかった。
突っ込まないでほしかったと言いたげな、苦々しい表情だ。
「それと、追いつくのが早かったのはどうして? スマホの電源を入れたのは九時頃、それから飛ばしてきても二時間はかかるはず。宇都宮一家が乗ったアテンザを捕まえてもらって、時間稼ぎをするつもりだったのに」
「安室さんに発信器をしかけたんだよ」
彼がそれを見落とすはずがない。
あえて取り除かずにおいて、誘導したのだろうか。
疑おうと思えば、いくらでも疑えてしまう。
「……赤井さんが言っていた"約束"って、何?」
"口を挟んで約束を破ってしまうのも困る"と、赤井さんは言っていた。
あのときコナンくんは苦笑いを浮かべて、零さんは何も言わなかった。わたしだけが、疑問に思った言葉だった。
「さぁ……なんのこと?」
コナンくんは白々しい笑顔を浮かべて答えた。
はぁ、と溜め息が漏れる。やっぱりまだ子ども。駆け引きは苦手なようだ。
「質問そのものをはぐらかそうとするその答えは、この状況においては悪手ね」
ぎくりと身を固まらせるコナンくん。やっぱり"約束"には何か大きな意味があるらしい。
わたしに知られたくない、何かが。
「じゃあどう答えろって言うんだよ……」
苦笑いを浮かべて、コナンくんは訊き返してきた。
もうあまり取り繕う気はないらしい。わたしが正体を知っているせいだろうか。
頬杖をついて、喫煙所を眺める。……零さんが煙草を吸っているのは初めて見たなぁ、なんて思いながら思考を巡らせた。
「そうねぇ……"ボクも気になったんだけど、詳しいことは知らないんだ"ってところかしら」
同調しておけば、さらに深く突っ込むことはしにくいものだ。
こちらが好奇心旺盛な人間なら、一緒にその約束の内容を暴きたがるということだって考えられる。
そこまで行けば、コナンくんが"知っていて隠している"という認識は、生まれようもなかったのに。
コナンくんは脱力して、苦笑いを浮かべた。
「はは……確かにその方が良かったかも」
「それで? "約束"の中身は知っているの?」
話を戻すと、コナンくんはあからさまに身を強張らせた。
喫煙所の方を見遣って、それから眉を八の字に下げてわたしの顔を見た。
「知ってるよ。知ってるけど……秘密なんだ」
「……わたしに、関することなのよね」
「うん」
「それでも?」
「それでも」
コナンくんは力強く頷いた。
これ以上は、何も答えてくれないだろう。
零さんを信じたいのに、行動が不可解過ぎて信じられなくなっていた。
他人、特に自身が毛嫌いしているFBIに、わざわざ手助けをしてわたしについて調べさせた。そう時間を置かずに追いつけるように発信器を無視した。コナンくんたちと、何か約束をしていた。
「……わかった。もう聞かないわ」
コナンくんも、おそらく赤井さんも何も答えてくれないだろうことはわかった。零さんは、言わずもがな。それなら自分で探るしかない。
自力で調べて何か得られるかと言われれば、難しいのはわかりきっているけれど。
唯一信じられるものが頼りなくなって、足元がぐらつくような感覚が続いていた。
わたしのことは、零さんだけが知って利用してくれればいい。最初に秘密を暴いてくれた、信じ難い話をためらいもなく信じてくれた。だから彼の助けになろうと思ったのに、零さんはコナンくんたちにも暴かせてしまった。
不安ばかりが蟠って、外だというのにうまく笑えない。
突然テーブルの上に置いていたブザーが鳴って、注文したものが出来上がったことを知らせてきた。
話を続けるのも変な気がして、溜め息をつく。
「……食べよっか。荷物見ててくれる? 持ってくるから」
「あ……うん」
話はそこで終わりにして、昼食を手早く食べた。
トイレに寄ってから車に戻ると、零さんも赤井さんも自分の車の運転席に座って待っていた。
零さんはわたしが助手席に座ると、車のエンジンをかける。
コナンくんが乗り込んだマスタングは、滑らかに走り出して先に帰っていった。
「帰れるか?」
「……二人も納得したみたいだし、もう逃げる意味もない。……帰れるよ、零さん」
「あぁ。俺の助けがなくても良かったみたいだな。……頑張ったな、千歳」
"これでもう心配ないな"って、そんな風に聞こえるのはわたしの勘繰り過ぎだろうか。
頭を撫でてくれる手の優しさを、素直に受け止められない。
わたしはもう、要らなくなった?
幸せな気分に浸らせてくれた言葉の数々を、純粋に信じられない。
終わることがわかりきった恋を楽しんでいるのだと、自分にも周りにも嘘をつき続けた罰なのだろうか。
わたしの知らないところで何があったのか、零さんがわたしをどうしたいのか、何一つわからないままだ。
スマホからぶら下がって揺れるアザラシが目に留まる。可愛らしくデフォルメされた笑顔が今のわたしと正反対で、なんだか無性に泣きたくなった。
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