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コナンくんがわたしの非科学的な体験の話を受け入れてくれたことが、信じられなかった。
そんな戸惑いを感じ取ったのか、コナンくんは窓枠に腕を載せて、リラックスした様子を見せてくれた。
「千歳さん。ボクが大好きなホームズの小説の中には、こういう言葉があるんだ。"When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."」
"すべての不可能を消去して、最後に残ったものがいかに奇妙なことであっても、それが真実となる"。
その言葉は知っている。零さんも口にしていた。
「……それでも、こんな話を信じるなんて……」
「ゼロの兄ちゃんだって信じてるんでしょ。ボクたちよりも、もっとしっかり調べた上で」
コナンくんが向き合ったわたしの背後に視線を向けた。
振り返っても零さんはこちらを見ずに、フロントガラス越しに景色を眺めながら口を開いた。
「あぁ。それに……絶対に知り得ないはずの情報を口にしたんだ。僕と赤井しか知らないことだった」
スコッチの一件だ。そのことを口にする零さんの顔は険しくて、けれどどこか哀しそうで。
信じてもらうためとはいえ、ひどいことを言っただろうか。
後悔を滲ませたことを感じ取ってか、零さんはわたしをちらりと見て、頭を撫でてきた。
少しほっとして、またコナンくんの方に顔を向けた。
「出会ったときには知っていたの。彼の正体も、赤井さんがFBI捜査官だってことも、生きているってことも。あなたが――」
"工藤新一"だってことも。
目の前の小学生の正体に関してだけは、わたしが零さんに背を向け、コナンくんの頭で赤井さんにも見えていないのを利用して、声を出さずに伝えた。
「灰原は?」
「全部知ってるわ。わたしに力を貸す代わりに、わたしのことを教えるって、取引をしていたから」
「取引……」
「君は嘘つきだが、取引に対してだけは誠実だったな」
赤井さんが、ここにきてようやく口を開いた。
「だけ、っていうところに刺を感じるけど」
「それも強がりか?」
「……わかってて言ってるでしょ」
赤井さんに対して、ついつい可愛げのない言葉を吐いてしまう。
決まりが悪くなって視線を逸らすと、新品の煙草の箱が投げ込まれて膝の上に落ちた。
手に取って赤井さんを見ると、零さんにそれを取り上げられる。
零さんは箱を包むフィルムを剥がしながら、顎で喫煙所を示した。
「先に行け」
「あぁ。……ボウヤ、千歳と一緒に食事をしておいで」
「うん、わかった。行こう、千歳さん」
どうやら赤井さんは零さんに話があるらしい。それも、わたしには聞かせないかたちで。
頭のいい人たちの意思疎通のしかたはよくわからないなと思いながら、ハンドバッグとスマホを手に取った。
ドアを開けて車から降りながら、スマホの画面をつけて電話帳を開く。
――零さんに気づかれる前に、一秒でも早く。
マスタングの助手席のドアを開けながら、風見の番号を呼び出して発信ボタンをタップした。発信音は問題なく鳴っている。……間に合った。
降りてきたコナンくんがちゃんと離れたことを確認して、ドアを閉める。
話をするらしい二人は一度車のエンジンをかけて窓を閉めた。
「行こっか、コナンくん。ちょっと電話だけさせてね」
「うん」
スマホを耳に当てて、コール音に意識を集中させる。なかなか出ない。忙しいのだろうか。
諦めようかと思った直後、コール音が途切れた。
『風見だ。穂純、どうした?』
電話の向こう、風見の背後はざわついている。
「ごめんなさい、忙しかったのよね?」
『大きな案件が片付いた直後でな。質問の一つ二つなら答える余裕はあるぞ』
風見に訊きたいことはひとつだけ。素直に甘えさせてもらおう。
「それなら手短に済ませるね。わたしが米花町に初めて来たときの防犯カメラのデータ……いつまで残ってるって言ってたっけ?」
『あれは録画したその月と翌月一ヶ月間はカメラと繋がったハードディスクに保存され、その後別のサーバーに移されて三ヶ月間置かれた後、削除されるようになっていたぞ』
胸がざわつく。抱いた違和感は間違いじゃなかった。
「……もう、とっくに消えてるはずよね」
『あぁ、長くて五ヶ月の保存期間、穂純がこちらに来てから半年は経過しているからな』
「そっか、ありがと。……風見は優しいね」
口止めをされているかもしれないのに、教えてくれるだなんて。
『は? 突然何を言い出すんだ……』
「何でもない。じゃあまたね」
『あ、あぁ……』
戸惑ったようすの風見に話しかける別の声が聞こえてきて、通話を切った。
コナンくんたちがあの防犯カメラに行き着いたのは、わたしが組織の側の人間ではないとわかってから。つまりは、つい最近だ。
本来なら消えているはずの映像データを、なぜ見ることができたのか。――保管していたデータを、見つけてもらえるようにサーバーに送っていたとしたら?
それができるのは、零さんたちしかいない。
半年も経てば映像は消されるから、誰にも暴かれることはない。そう言ったのは、零さんだったのに。
コナンくんたちもだ。一度旅行先に行ったとして、三十分でわたしたちの居場所を突き止めたのはおかしい。今いるサービスエリアは旅行先から高速で一時間ほど走ったところにある。端からあの場所に行くとわかっていなければ、辿り着ける時間じゃなかった。
サービスエリアの中の飲食店に入って、コナンくんの希望も聞きながら食券を購入した。カウンターでそれを出して、呼び出し用のブザーを受け取る。
窓際のテーブル席に向かい合って座った。
窓の向こうに見える喫煙所では、零さんと赤井さんが他人のフリをして余所を向いたりスマホを見たりしつつ、煙草を吸いながら話をしている。
「千歳さん……?」
おずおずと声をかけてきたコナンくんに視線を向けると、コナンくんは戸惑った表情をしていた。
以前のように笑いもしないわたしを、訝しく思っている様子だった。
「ねぇ、コナンくん」
「なぁに、千歳さん」
コナンくんは笑顔を向けてくれる。
これまでとは正反対だ。
「ここに来るまでに、彼の手助けがあったでしょう」
単刀直入に告げると、コナンくんは眼鏡のレンズの奥の目を見開いた。
その反応だけで、十分だった。
口にしたくてもできなかった疑問が、喉の奥までせり上がるような心地だった。
零さんは、わたしをどうしたいんだろう。
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