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 ある日の夜のことだった。
 遅くにインターフォンが鳴って、誰だろうと思いながら寝室から出てモニターをつけた。
 映っていたのは零さんで、無表情なまま、ただカメラを見上げていた。さすがに様子がおかしいことに気がついて、息を呑む。

「……下りる?」

 首を横に振って、否定された。

「来る?」

 無言で頷かれて、それならばとエントランスのドアを開けた。
 モニターを切って数分待つと、玄関のドアがノックされる。
 チェーンロックをかけたままドアを開け、客が零さんであることを確認してから、開錠した。
 ドアを細く開けて滑り込むようにして入ってきた零さんは、後ろ手で鍵を閉めながら、空いた手でわたしを抱き寄せた。

「どうしたの? 話なら聞くから、ちゃんとチェックして」
「……あぁ」

 零さんはようやく靴を脱いで上がり、部屋のチェックをしてくれた。
 お茶を淹れる時間も惜しいのだろうと、書斎にコーヒーを取りに行くこともせずに、リビングに立ち尽くす零さんに近寄る。
 すぐさま力強い腕で抱きすくめられて、少しの息苦しさを感じながら零さんの少し掠れた声で紡がれる言葉に耳を傾けた。

「赤井とコナン君に、公安であることを暴かれた」

 ひゅ、と空気が喉を変に通り抜けた。
 零さんの様子がおかしいのも当然だ。彼は、自らの命の危機に直面している。
 きっといつ死んでも仕方がないと覚悟をしていながら、こんなところで死ぬわけにはいかないと足掻いている、この状況で。

「これは、千歳の知る結果か」
「……えぇ」
「そうか……」

 零さんはふー、と細く長く息を吐いて、わたしの体を離してくれた。

「大丈夫。赤井さんは零さんを敵視していないし……コナンくんも、言い触らしたりしないわ」
「あぁ、僕も赤井の生存については伏せておくことにする」

 自分の手で殺したいから、というのもあるかもしれないけれど。
 組織に対峙するのなら、手を結ぶことができそうな人物をわざわざ陥れる必要もないはずだ。
 わたしの知る限りでは、赤井さんもコナンくんもバーボンがスパイであることはけして漏らさず、零さんも赤井さんの生存について組織には"やはり死んでいた"と伝えるだけで……、そして、必要な時には協力していた。

「零さんの方は、ひとまず心配ないと思う」
「あぁ、ありがとう。情報はそれだけでいい」

 声の調子が戻った。本来、零さんは正体を暴かれて、多分考えに考えて、赤井さんとコナンくんの損得を鑑みて――大丈夫だと、判断する。
 "油断はしないで"と念を押すと、神妙な顔で深く頷かれた。
 零さんは目を閉じて、ひとつ深い呼吸をした。目を開ければ、表情もいつも通り。
 けれど、考える様子は変わらない。

「そうなると気にかかるのは千歳の方だな……」
「……そう、ね」

 コナンくんと赤井さんは、バーボンがスパイだと知って、わたしに関してどういう判断を下すだろう。

「少し整理して考えよう。コーヒーを淹れてくれるか?」
「……わかった」
「大丈夫、千歳にとって一番いいように策を考えるから」

 零さんは安心させるように笑って、頭を撫でてくれた。
 二つのマグカップにそれぞれ書斎から持ってきたコーヒーと紅茶を淹れて、リビングのテーブルに置いた。
 胸がざわつく。暴かれたくない。
 もしも彼らがわたしを警察側の、降谷零の味方なのだと判断したとして。そしてわたしを善人だと判断したとして。――そうなれば、彼らはわたしについて調べても安全だと判断してしまう。
 立場に関して調べられるのはいい。けれども、それ以上は望まない。
 隣に座るように促されて素直に従うと、固く握っていた手を解くように撫でられた。

「まず、千歳の立場についてだが……考えられるのは、三つのパターンだな。一つはシンプルに、公安に協力している人間。赤井も警察の外注先だと知っている、ここに落ち着けば問題は最小限だ」

 敵ではないと断じられれば、後に残るのは彼らの好奇心。わたしの経歴について知りたがる、それだけで済むだろう。

「次が、警察の外注先でありながら、バーボンと繋がりを持っている人間。どちらともビジネスとしてしかやりとりをしていないという認識だ。それと、警察を欺いて、バーボンと協力関係を結んでいる人間。この二つは、千歳が犯罪者だと断定される可能性が高い」
「……それは、厄介ね」
「僕たちとしてもそれは望まない。……ジンのせいでややこしくなったな」

 発端は完全にジンである。お城でわざわざ話しかけてくるようなことがなければ、バーボンとの繋がりは秘匿したままドクターを連れ出して保護してもらうことができたはずだった。ここまで頭を悩ませる必要もなかったのだ。

「ただ、これはあくまで可能性の話だ。あの二人なら一つめに辿り着くはずだ」
「えっ」
「ハンネス・レフラの研究資料は、日本の警察からアメリカの研究施設にも送られている。そして、あの城で逃げるに逃げられなかった一般人は、カウンセリングのために専門施設に一旦預けられているんだ。あの城で起こったことを徹底的に調べ上げて、千歳の教育係だったサラ・ノークスに面会し話を聞けば、ハンネス・レフラ逮捕の顛末は容易に想像できるはずだ。千歳が公安警察の依頼であの城に潜入し、ハンネス・レフラを誘き出した、とな」

 サラさんに話を聞けば、警察官である白河さん扮する黒川恵梨と恋人同士を演じていたことも、わたしが警察が一斉検挙に乗り出す直前に"ドクターのところへ行く"と言い残して消えたこともわかる。そして今、ドクターと一緒にいたわたしは米花町で普通に生活している。一方でドクターの研究資料が日本の警察から送られたとなれば、当然その資料を持っていたドクターは日本の警察が身柄を確保していると考えるはずだ。それどころか、研究資料を送られた経緯を細かく調べ尽くせば、ドクターの身柄を日本の警察が確保しているという事実すら掴めるかもしれない。
 わたしが警察病院に通っていたことも、調べればわかるはず。そこからわたしは警察の依頼で潜入捜査をして、ドクターの身柄確保に協力した後、カウンセリングを受けていたと推定できる。
 零さんはそう説明してくれた。

「……なるほど」
「だから犯罪者として詰られる心配はしなくても大丈夫だ。もしもそうなったら"お前たちの調査能力はその程度か、お笑い種だな"とでも言っておけばいい。いや、僕が言うからすぐに呼んでくれ。特に赤井が相手ならな」
「ふふ、頼もしい。……でも、内通者って線は残らないの?」
「なくはない……が」

 顎に指を添えて少し考えた零さんは、"やっぱりないな"と首を横に振った。

「今回の件で、二人は僕が"組織の敵"だと断じた。千歳がバーボンとしか繋がりを持っていないことも伝わっている。良くて僕の立場を知っている、悪くて僕にいいように使われているという認識だろう。千歳にとっての組織へのパイプがバーボンだけなら、千歳は内通者の役割を果たせていない。僕が握り潰せばいいだけの話だからな。"荷物の運搬"を画策していたというのも、僕が公安警察であることがわかればハンネス・レフラの誘き出しの話だとすぐに結びつけられる。そして、日本警察は恙無くレフラを確保している。潜んでいた公安のお目こぼしを受けたと想像することも容易い。あそこで内通者として働く意味もないし、成果もなかったんだ」

 それでも犯罪者だとしたら、零さんにいいように使われて、悪いことをしているつもりが警察の手助けをしている、どうしようもない間抜けだ。

「……そう、ね。確かに。大丈夫そう」

 お城での出来事については、彼らが得た情報、そしてこれから調べて入手するであろう情報で決着がつく。
 実際にないことで糾弾されて耐えられるほど、強いわけじゃない。だから、あの二人が真実に辿り着くことはいい。……そこまでは、いいのだけれど。

「あとは、千歳のことをヒントなしにどこまで読み解くかだ」

 零さんの言葉が、鉛のように重たく胸に沈んだ。

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