12

「できたぁ……」

 バーを出てから夜遅くまでやっているショップに寄って買い物をし、自宅に戻ってきて。
 徹夜で、暗号を完成させた。死ぬかと思った。
 届いた書類を開けたら、意味不明な単語の羅列。多分風見さんは目を剥くに違いない。
 向こうは調べているだろうけれど連絡先は教えないままだったし、"読んだ人"になら協力する、と言ったし。暗号であることにはすぐ気がつくだろう。

 まず左上の日付と数字で、為替レートによって国を割り出す。終値を念入りに確認して、重複することがないようにしたので問題ないはずだ。
 そして、さまざまな言語で並べられたすべての単語をその割り出した国の言語に直す。これも別の単語にならないよう細心の注意を払った。
 これらをつくったあと、買ってきた便箋をスキャンして加工し、どれを読むかの法則を示す。鶏とひよこの親子が列になって歩く絵が便箋をぐるりと囲んでいるもので、先頭を歩く鶏のくちばしが開くように加工して、手触りの似たまったく違う紙につくった暗号と一緒に印刷した。単純に頭文字を読めばいいのではなく、鶏の中にもくちばしを閉じたものがいるので、法則も単純ではない。
 一回自分でも解き直して、たぶん問題ないなと判断して、ようやくシャワーを浴びることができた。
 スーツに着替えて隈をコンシーラーで念入りに隠しながら化粧をし、時計を確認したら朝の九時。近くのカフェのモーニングセットでも食べて、タクシーで向かえば十時過ぎになるだろうか。
 よし、それで行こう。そうしたらすぐに帰ってきて、寝よう。
 残り少ない気力と体力を振り絞り、パンプスを履いた。
 簡単に朝食を済ませて、米花駅まで歩く。ちょうどタクシーがいたので、霞ヶ関までと言って乗り込んだ。
 うとうとしながら乗ってしばらく経ち、運転手さんに着きましたよ、と声をかけられた。料金を支払って降り、一旦地下鉄に行って警察庁の近くに出られる出口を探す。
 向かいに裁判所、隣に警視庁。
 物珍しさについきょろきょろしてしまう。
 門のそばに立っていた警備員に尋ねて入り口を教えてもらい、ようやく受付に行くことができた。

「すみません、穂純千歳という者なんですが。風見さんという方に、この書類を渡さなければいけなくて」
「風見ですね。ただいま外出しておりますが、"穂純様という女性が書類をお持ちくださる"とお話は伺っておりますので、お預かりいたします」
「お願いします」

 警察庁の受付の女性は書類の入った茶封筒をすんなり受け取ってくれた。
 自分で設定した納期を憎らしく思いながらも、とりあえずこれから一日半はこのことを考えなくていいと思うと気が楽だ。
 書類を渡し終えたので、用は済んだと建物を出て、国道に出て伸びをする。
 帰ろう、寝よう。
 タクシーを捕まえて米花町まで帰り、ゆっくりお風呂に浸かった後ベッドに沈んで意識を手放した。


********************


 起きたら朝。軽く十八時間は寝ていた計算になる。
 ばきばき鳴る体を伸ばして、十時からの仕事に備え準備を始めた。
 今日の夜八時から深夜零時までの間に、一昨日風見さんと会ったバーの個室に誰も来なければ協力はしない。そういうことになっている。
 午前中の商談の通訳が終わったらお昼を食べて帰ってきて、午後は翻訳作業をして、それから夕食を軽く取った後バーに出向けばいいはずだ。四時間も待つのは億劫だけれど、意地悪をしてしまった自覚はあるのでそれぐらいは待とうと思う。
 立てた予定を順調に実行に移して、いよいよ夜になった。
 臙脂色のワンピースと、黒のクラシックボレロ。足元はパール入りの黒いパンプスでまとめてみた。
 アイラインで目元をきつくして、艶のあるリップグロスで唇をふっくらさせた。
 今となっては慣れた化粧は、臆病なわたしをすっかり隠してくれた。

「……ゆるしてね、臆病なわたし」

 鏡を眺めて、強気に笑っているように見える顔に謝罪する。
 そういえば、どれくらいのあいだ素の自分を曝け出して他人と会話していないだろう。
 まぁ、いいか。
 他人に理解してもらうことなんて、とっくに諦めている。
 まだあまり慣れないピンヒールのパンプスを履いて、財布とスマホ、キーケースだけが入る小さなハンドバッグ、それと手土産を持った。
 歩いていける距離のバーだったので、タクシーを捕まえることもせずのんびり歩く。
 バーに着いて腕時計を見ると、七時五十分だった。

「こんばんは、穂純さん」
「こんばんは。ごめんなさいね、いろいろと厄介なことを頼んでしまって」
「いえ。カルーア・ベリーとガトーショコラを穂純さんにと頼まれたら、その方を個室にお通しすればいいんですよね」
「えぇ」
「承知しました。お部屋には穂純さんがお好きなリキュールとミルクを置いてありますから、ご注文が億劫であればどうぞそちらもお使いください」
「ありがとう」

 馴染みの彼にあれこれとお願いしていたので、準備は万端だった。
 個室に案内されたところで"休憩時間にでも食べてほしい"とお礼を兼ねた差し入れを渡して、一人になってからカウンターを覗く。
 スマホでカルーアミルクの作り方を検索して、その通りに作ってみた。

「……ひま」

 もし、もしも。風見さんも他の人もあの暗号を解けなくて誰も来なかったとしたら。
 四時間、一人で個室で飲み続けるのって結構苦痛じゃないだろうか。
 先の長さにちょっとうんざりして周りを見たら、スマホ用の充電器が備えつけてあったので、ナンプレのアプリをインストールした。
 上級レベルの問題を悩みながら解きつつ、ちびちびとカルーアミルクを減らした。
 グラスを空けて、次は何をつくろうかと検索をかけていたら、こんこん、と個室の扉をノックされた。
 腕時計を見たら夜の九時。すごい、もっとぎりぎりまでかかると思っていたのに。
 一体どんな人がくるのだろうと、アプリを閉じてスマホを置き、スツールを回転させて扉に向き直る。
 扉が、ゆっくりと開いた。

[BACK/MENU/NEXT]
[しおり]

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -