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「そちらの美男美女カップルさん、記念写真はいかがですか?」

 屋外に出たところで、スタッフに声をかけられた。
 視線は明らかにこちらに向いていて、思わず足を止める。
 写真って、まずいんじゃなかったっけ。

「あ、えっと……」
「お願いします」

 "どうしよう"と隣の零さんの顔を見上げたら、彼はにこにこと愛想よく笑って応じてしまった。

「大丈夫、残るタイプの物じゃないです」

 囁き声が落とされて、肩の力が抜ける。
 撮ってもらった写真は、すぐに現像されて手渡された。そこにはにこにこと笑う零さんと、ぎこちなく笑うわたしが写っていた。
 ポラロイドカメラだと、何も残らないらしい。たったいま現像されたもの以外は。
 零さんはそれを大事そうにポケットにしまって、スタッフにお礼を言って歩き出す。
 敷地の出口でリストバンドを返却して、駐車場に向かった。車に乗り込むと、零さんは小さく息をつく。

「他に寄りたいところはないか?」
「うん、帰りましょう。……零さんと話がしたい」
「わかった」

 ちぐはぐな口調にも、零さんは特に言及してこない。本当に全部受け入れてくれているのだと感じて、ほっとした。
 尽きない話題に耳を傾けながら、時々休憩して。わたしの自宅があるマンションの地下駐車場に着いたのは、空が燃えるような赤色に染まった頃だった。
 来客用のスペースに停められた車から降り、また体を伸ばす。やっぱりぱきぱきと鳴る体に、苦笑いが漏れた。
 車のドアにロックをかけたことをしっかり確認して、エレベーターに向かう。指紋認証で扉を開けて乗り込んだ。
 六階のボタンを押して、浮遊感に包まれながら上昇した。

「潮の香り、結構残るわね」
「そうですね。悪くはないですが」
「ね」

 日常から離れていたことを感じさせる香りだ。
 六階に着いて、自宅である605号室の扉を開けた。指紋認証だと鍵を取り出すことがないので楽だ。
 ソファに荷物を置いてカメラや盗聴器のチェックをする零さんにその場は任せて、寝室のクローゼットにバッグをしまった。書斎のチェックには同行して、心配なさそうだと断定できたところでようやく息をつく。

「冷蔵庫の中身は?」
「そこそこはあると思うけど……」
「すっからかんでなければいいさ。俺が作る」

 零さんは袖を捲って、ポケットに手を突っ込んだ。

「本当? 楽しみ。好きに使って」
「あぁ。それと、これを」

 ポケットから取り出されたのは、水族館から出る間際に撮ってもらった写真だった。
 お風呂を溜めるように機械を操作したところでそれを渡されて、どうすればいいのかと零さんの顔を見つめる。

「よく目に焼きつけておいてくれ。食事の準備が終わったら燃やすから」
「わかった」

 零さんは申し訳なさそうに言うけれど、わかっていたことだ。
 ソファに腰を落ち着けて、忘れてしまわないようにと写真をじっと見つめた。

「水族館の親子連れを見て、本当は何を考えていたんだ?」

 テンポよく食材を切る音に交じって、零さんが問いを投げかけてきた。
 写真を見つめながら、少し返答に迷う。

「……聞きたい?」
「聞きたい」

 やっぱりいいよ、なんて言ってくれるわけもないことはわかっていたけれど。時間稼ぎにもならないなんて。

「懐かしく思ったのも、本当だけど。……零さんとああしたかったって、どうしようもないことを考えただけ」
「そうか。……そんな願望が出るくらい、好きでいてくれてるのか」
「どうせ夢見がちですよー」
「悪い気はしないさ」

 低い声が少し弾んだのがわかった。
 キッチンに視線を向けると、食材に視線を落としていた零さんと目が合う。その口元は緩んでいた。
 零さんが作ったのは、ドリアと野菜たっぷりのコンソメスープだった。
 食べる前にと呼ばれて、シンクのそばに立つ。写真を零さんに渡すと、零さんはそれを三秒ほど見つめて、無言で火をつけた。火のついたそばから黒くなり、跡形もなくなっていく。指先が触れる部分が黒くなる直前で手は離され、落ちる間に残された部分も燃え尽きた。

「……残せなくて悪いな」
「いいよ、覚えたから」
「あぁ……本当に、ごめん」

 時々重ねて落とされる謝罪の意味を、よく掴み損ねる。
 考え込む前に背中に触れられて、"食べよう"と促された。
 零さんが作ってくれた料理は美味しくて、食が進んだ。食べるのが早い零さんは、頬杖をついて穏やかに微笑み、味わいながら食べるわたしを眺めていた。

「ごちそうさまでした。おいしかったぁ」
「お粗末さまでした。喜んでもらえて何より」

 食器を流しに持っていって、さすがに片付けはしようとコックに手を伸ばしたら、それすら止められた。

「千歳、片付けはやるから風呂に入ってこい」
「片付けも、でしょ。ここまでやってもらってばかりじゃ申し訳ないじゃない……」
「……赤点」
「へ」

 テーブルを拭き終えた零さんが、動かないわたしの背後に立った。
 バレッタを外されて、はらりと髪が落ちる。残っていた潮の香りが、鼻腔を擽った。髪が余計に邪魔になって洗い物がしにくくなる。
 文句を言おうと振り返ると、熱の宿った視線に射抜かれて――何も、言えなくなった。

「こんなのただの暇潰しだよ。……なぁ、待つ時間が惜しい」

 主導権を握っているのは自分のくせして、こんな、ねだるみたいな甘い声を出してくるなんて。
 居た堪れなくなって手を引っ込めると、"よくできました"と言わんばかりに頭を撫でられた。

「ゆっくりしてこい」
「どっちなの……」
「はは、これも"難しいこと"か。ただ待つのは億劫だが、千歳が俺に抱かれるための準備をするのを待つのは悪くない。それだけだよ」
「〜〜っ」

 聞くんじゃなかった……!
 気恥ずかしく思っていることを察している零さんは穏やかに笑うばかりで、わたしは"片付けお願い"と告げて脱衣所に駆け込むことしかできなかった。

「ふふ、……かわいいな」

 ドアを閉める間際に耳に飛び込んできた小さな独り言。へなへなと座り込んで、誰に見られているわけでもないのに赤くなっているであろう顔を両手で覆い隠す。
 本当につい漏らした本音なのか、わたしに聞こえることをわかってわざと言ったのか。……なんであれ、嬉しいことには変わりがない。
 待たせるのも悪い。自分も、期待していないわけではない。だくだくとうるさく鳴る心臓をそのままに、カーディガンの襟に手をかけた。

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